昼下がりのロマーノ2

 弟はすぐに家を飛び出していったが、夕方には買い物袋をぶらさげて戻ってきた。食材は買ってきたくせに、ぼうっとして何も作ろうとしないので、文句を言いながらマルゲリータを焼いた。
 陽は落ち、ソファに寄りかかりサッカー中継を観る頃には、すっかり喋るようになった。
ボールが行ったり来たりで、試合はなかなか点が入らない。ワイン片手にだらけた姿勢でいると、眠くなってきた。
「そーだ、兄ちゃんごめんね」
「なんだよ」
「ドイツに電話したんだけど……、兄ちゃんの言ってた通りだった」
「マジかよ! だっせーな!」
 ナッツを頬張りながら嘲笑ったが、弟が泣いているような気がして、チラと目をやる。クッションを抱え、無表情でぼんやり背もたれに体を預け、テレビを見つめていた。
「オメーはさ、いちいち面倒なんだよ」
「面倒かぁ」
「重いっつーかよ。もうおまえ何十年芋野郎にベッタリなんだよ。こんだけ付きまとわれたら、嫌にもなるだろ」
「そうかなぁ……」
「ピッツアだってよ、美味いけどマルゲリータだけ一年中食ってるわけじゃねーし」
「俺、いろんな味が食べたい……」
「だろ? だから、もう芋野郎はおまえに飽きたんだよ」
「ヴェ〜〜、なんかショック………。そうなのかなぁ……そんなの嫌だよ」
 弟は天井を仰ぎ見てずりずりと頭を沈め、それから肘掛けに頭をもたれて唸った。
「嫌だよ〜〜」
「芋ヤローは電話でなんつってたんだよ」
「本当は疲れてて、一人でゆっくり休みたかったんだって」
「ブブーーッ!!!」
 口に入れたナッツを吹き出しそうになる。
「なんだそりゃ、はーおもしれぇ」
「でもさ、確かにちょっと……、いつもより静かだったんだよね…。でも、俺うれしくてさー……。前から約束してたから」
「ふーん……。ま、おまえといると休めないってことだな。考えたら当たり前か」
「俺いっぱい喋っちゃった……」
「これを機に縁切れよ」
「なんでそうなるんだよ〜」
「ちょうどいいじゃねーか。あんなでかくてゴツくて真面目で頭のかてーやつ、合わねーんだよこの国に。立ってっと邪魔だし。証拠におまえらしょっちゅうこんなふうにギスギスしてんだろ」
「……ケンカするのはたまにだよ。それに、ケンカってほどケンカじゃないし。すぐ仲直りするし……」
「無理に合わせようとしてっから、あいつも疲れたんじゃね」
「合わせようとなんてしてないよ」
「してるだろ」
「してないよ〜」
「おまえはしてないだろうけど、芋野郎はしてるだろ。神経質だし」
「してないよ。絶対してないよ」
 言い合いが面倒になり、試合が展開したので、弟にナッツを投げつけ、以降テレビを見つめて黙っていた。
「……合わせてるから、疲れちゃったのかなぁ………。あーあ、今日すげーいろいろ楽しみだったのに、これじゃつまんないよ……」
 弟が呟く。
「明日、会いに行ってこようかなぁ」
「バカ! そーゆーのがうぜーんだよ! ほうっとけよあんな芋野郎」
「でも」
「でもじゃねー。おめーがそうやってすぐ謝って仲直り〜とかやってっから、芋野郎を付け上がらせるんだよ。絶対こっちからもう連絡すんな。疲れたとか言いやがってふざけんな」

***

 次の、次の週末、シエスタ後にサンマルコ広場をフラついてたらドイツに遭遇した。目が合うと、一直線にこっちに大股で歩いてきたので、むかついてその場を動かなかった。先に怒鳴る。
「俺はぜーったい謝んねぇからなクソ芋ヤロー!」
 二の腕をものすごい力で捕まれ、引きつった笑顔で睨みつけてきたからこっちも睨み返した。
「偶然だなロマーノ」
「ついこの前クソ弟んとこで会っただろ」
「……イタリアのところにまだ泊まっているんだってな」
「そうだけど……」
「小腹がすく時間だろう。何か食べたいものあるか?」
「ねーよ!」
「好きなだけおごるぞ」
 巧妙な手口で、近くのバルへ連れていかれた。ドイツと向かい合わせで席に座るのは腹が立って体力を使うから、仕方無くいつもの倍くらいの量を注文した。
 ドイツは食事の最中、世界情勢の話ばかりしていたが、終わりごろになって弟の話を持ちだした。
「別に元気だけど」
「そうか……。ならいいんだか……」
「ほんとバッカみてーだよなおまえらって」
「何がだ」
「今日、ヴェネチアーノに連絡してないんだろ。朝、あいつ何も言ってなかったし」
 ドイツは渋い顔でエスプレッソを飲んでいる。
「疲れてて、一人で休みたかったって?バッカみてー」
「イタリアに聴いたのか……」
「ほんとよ、考え方から違うんだもんなおまえらとは。なんで友達とか言ってんのか気がしれねー」
「何か言っていたか……?」
「芋野郎は二度と家にくんなってよ」
 芋野郎と言ってしまったので、さすがに疑われているのがわかった。
「ま、これは俺の意見な。ヴェネチアーノは、合わないのかもっつってた」
「合わない? イタリアがか…」
「つまんないってよ」
「なるほどな……」
 目を合わせたあと、ドイツは再びテーブルに視線を戻す。
「確かにそうだ」
「プッ、自覚あんのかよ」
「他にも言われたことがあるからな。薄々はわかっていた」
「ふーん」
それからドルチェを2個追加して、満腹になってバールを出た。店の前でドイツは、真剣な顔で言った。
「ここで俺に会ったことは、イタリアには言わないでくれ」
 そう来るだろうと予想していたので、すかさず右手を出す。
「口止め料」
ドイツは大きなため息をついて店のなかに戻り、しばらくしてテイクアウト用の袋を持って出てきた。この店の味は好みだったから満足した。


つづき
2012.03.19