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「おい待て! 今日はもうイタリアと会う予定はないから、伝言なぞできんぞ」
「なんでよ。これから二人で飯食いにいくんだろ?」
「そんな予定はない。イタリアは帰った」
「ん? …んん? そーなの?」
 一拍の間があり、フランスは早口で続けた。
「………あー悪い悪い、確かに、相手をハッキリ聞いてなかったわ。俺はてっきり……。早とちりだったみたい。イタリアにもっかいかけてみるわ。じゃ」
「おい! その相手は……」
 通話は切られてしまった。
 ドイツは携帯電話にむかって悪態をつきそうになるのを堪える。
 イタリアが食事に行く相手とは誰だろう。
 結局あの女性とのことは聞きそびれていたが、もしかして、もしかするのだろうか……。しかしここはオーストリアだ。たまたまこの日、彼女もここにいるなんて偶然はない。だがもしかすると、想像以上のスピードで二人は親しくなっていて、イタリアの日程に合わせ、こっちで観光しているとか。どこのホテルか言わなかったのは、警戒したのではなく、彼女と部屋を取っているからなんてことは……。 
 ドイツは歩道の真ん中で、携帯電話を睨みつけたまま、険しい形相で立ち尽くしていた。
 もうこれ以上、一人で悩むのは耐えられない。傷ついてもいいからこの中途半端な状態から抜け出したい。このままでは、後にも先にも進めないのだ。

***

 イタリアの使いそうな市内のホテルを探して周り、運良く3店目でたどり着いた。
 ドイツ自身、一時よく利用していて支配人とも顔見知りであったから、イタリアの部屋はすぐに教えてもらえた。一人で泊まっているようだったので、ドイツはほんの少し気持ちが和らいだ。階段で三階まで上がる。
「おいイタリア」
 ドイツは、急ぎノックをした後で肩で息をしていることに気づき、無理やり深呼吸をして落ち着けた。
 外の様子を伺うように、ゆっくりドアは引かれた。ドイツはドアの隙間にすかさずつま先を突っ込む。勢いに驚いたのか、イタリアはドアから一歩退いたので、力任せにドアを中へ押し込んだ。
「ど、ドイツ……」
 イタリアは既にワイシャツ一枚にスリッパだけという、目に暴力的な格好をしていた。ドイツはすばやくイタリアの後ろに注意をやる。部屋の中に誰かいたらどうしようかと思っていたが、杞憂に終わったようだ。
「俺じゃなかったらどうするんだ! チェーンをかけろ、服を着て出ろ」
「だってドイツの声がしたからさ」
 生白い太ももを見てつい小言を言ってしまい、ドイツは心の中で舌打ちをした。自分で押し入るような真似をしたくせに矛盾している。イタリアが部屋に閉じこもってしまうことを考えて先手を打ったつもりだった。ドイツはすぐにドアノブから手を離した。一呼吸置いて言う。
「げ、元気か」
「うん」
「今日は落ち込んでいたのだと聞いた……。すまなかった。あんなことを」
「え?」
「店の予約は何時だ」
「……八時半」
 イタリアは目を丸くし、首を傾げた。
「この辺か?」
「うん、すぐそこ。五分くらい」
 ドイツは腕時計に目をやる。ほっとして肩を撫で下ろした。
「なんだ、まだ二時間もあるじゃないか」
「うーんと……、ドイツ、なんで知って」
「フランスが、お前に繋がらないから俺に電話してきた。予約の名前はフランシスでなく、ロベール・アルトーでとってある、と伝えろと」
「そ、そっかー……」
 イタリアは不自然に目をそらす。
「いきなり、押しかけてすまないな。だが、どうしても確認しておきたいことがあるんだ」
「確認しておきたいこと……」
「これから誰と食事に行くんだ。……嘘はつかないで、そのままを言ってくれ。文句を言ったりしないから」
 戸惑っているのが手に取るようにわかる。急に瞬きの回数が増えた。
「ほ、本当はね……、フランス兄ちゃんと行く予定だったんだけど、兄ちゃん、急に女の子の友達が連絡してきたって言って。でも当日キャンセルなんて全額かかるし、俺は他の人探して行くからいいよって話したんだ」
 ドイツは眉間にシワを寄せた。フランスが、ドイツと勘違いしていたくらいだから、相手はずいぶん親しい友達でなくてはならない。
「フランスだって、キャンセル料がかかるのを知っているだろう。なのに今日ダメになったのか?」
「俺知り合い多いし、誰でも誘えるって思ったんじゃないかなー?」
「そうか。それで? 誰と行くんだ」
「うん、たまたま連絡がとれて、都合の合う友達がこっちにいたから……」
「女性か」
「え? ううん、男だけど……」
 それを聞いて、心配のしすぎだったかもしれない、と恥ずかしくも思った。しかし、言及せずにはいられない。
「あの……、黒髪の女性とは、今はどうしてるんだ。おまえが広場でナンパした彼女だ」
「え?」
 イタリアは、部屋に踏み入った時よりも驚いた顔をしている。
「お…俺、ドイツに話したっけ??」
「アップルクーヘンを持っていった日、昼間お前がナンパしているところを見ていたんだ」
「ええ?」
素っ頓狂な声をあげ、イタリアは大げさなくらいに反応している。
「言ってよー! じゃあドイツ、夕方まで何してたの…? ヴェ…うそ、もしかして俺のことずっと待って」
「そっ……、そんなに何時間も待ってるわけないだろう!! 適当に買い物をしたり、まあいろいろだ。空振りは嫌だったから、目処をつけて家に行ったら、運良くお前が帰ってきたんだ」
「そうなの? ならいいけどさ……」
「遠目でもスパニッシュに見えたんだ。あの……スペイン料理店のパーティーは、その子と行ったのではないかと、思ったのだが。どうだ」
 息を飲み込む音が聞こえた。ドイツは勘が当たっていたのだと、落ち込む。
「うん……、そう。その子の、叔父さんの店でね……。お、美味しかったよ」
「やはりな、そうか」
「ドイツ、にほんが来るって教えてくれれば良かったのにー」
 イタリアはぎこちなく微笑んで言う。
「ああ、だが…、イタリア本土には翌週に行くと聞いていたし、俺はおまえの予定も知っていたから、わざわざ知らせることもないと思ってな」
「ふうん……」
 会話が途切れると、沈黙が重苦しい。ドイツは目を合わせようとしたが、イタリアは後ろめたいことでもあるのか、視線が宙を彷徨っている。
「どうなんだ? 彼女とは」
「う、うん…。まあまあかな」
「交際しているのか?」
「はっきりとは、言ってないけどね……」
「そうか……」
 本人の口から直接聴くと、もう確固たる真実だ。他所から噂話で知るより、ずっといい。だが、ショックはショックだった。胸に重い石でも置かれたように、器官が圧迫され息苦しい。
「そうか。ならば、ここに誓いをたてよう。もうおまえとは寝床を共にしない。だから安心しろ。もう俺のことに気をつかったり、考えなくていい」
「……ドイツはそのほうがいい?」
「あたりまえだ。このままでは二股だぞ」
「そっか……」
 イタリアは心ここにあらずといった感じで、ぼんやりしていた。
「ねえドイツは」
 イタリアが一歩踏み寄って、正面からそっと両手を握ってきた。久々の手を繋ぐ感触に、様々なイタリアとの思い出が呼び起こされ、一気に感傷的な気持ちになった。
「ドイツはあれから、俺に電話したい日はなかった…?」
 イタリアが真剣な眼差しで訊いてくる。
「今日顔を合わせるとわかっていたしな。用があればおまえがかけてくると思っていた」
「……そうだよね。いつも俺用なくてもかけちゃうしね」
 ドイツは、用がないときの適当な電話のやりとり思い出し、それを愛しく思った。イタリアは中身のないことばかりだらだらと喋るが、声を聴いているのは悪くなかった。そんなことでさえ、イタリアには好感を持っていたのだと気づく。ふいに目頭が熱くなったので慌て、半ば払うようにして、イタリアの手を退けた。
「話はこれだけだ。済まなかったな、急に来て」
「ううん、よくホテルわかったね」
「おまえが利用しそうなところを当たったら、運良く見つかっただけだ。……携帯電話はきっと鞄の底なんだろう。連絡がきたら、気づくようにしておけよ」
「うん」




つづく

2011.11.25