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 脇腹に添えられた懐かしい腕の感触。振り返らなくとも、匂いや呼吸のタイミングで、それが誰だかわかる。
 手を取り振り返ると、一ヶ月前と変わらない笑顔のイタリアがいた。今までの何倍も、輝かしく感じられる。胸の奥が温かくなったようにさえ思った。
 細められた目と下がった眉が、心の底から好ましい。左右に分けた前髪も、そのうしろにちらと見えている耳の形も、とても好みだ。身長も調度良いし、痩せすぎず太すぎず……。香水は前と違うものをつけているようだったが、やはり好きな香りだったし、イタリアはこんなにも自分の好みに合致していたのか、とドイツは理想通りの彫像を見るような思いがした。
 胸が早鐘のように打つ。緊張でも不安でもなく、イタリアと会えたことへの高揚感だった。この距離で、イタリアの顔を眺めたいとずっと思っていた。
 まだ午前だ。イタリアとはきっと会議の後、行動を共にするだろう。いつもそうしていたのだから自然の流れだ、なにもおかしいことはない。夕食に誘い、長く話せるだろうと自信があった。ずっと気になっていたこと…、そう、彼女のこともこの機会に訊いてみようと考えていた。
 今回の議長国はオーストリアだ。会場は馴染みあるホーフブルグ宮殿だった。欧州だけの会議で、ドイツは事前準備からだいぶ協力していた。
 いざ会議が始まってみると、ドイツは目の端にうつる、フランスとイタリアが気になって仕方なかった。何か小声でしゃべっている。2回注意したが、それでもしばらくするとまたやりとりが始まっているように見える。しかも、フランスから一方的に話しかけているわけでもない。
 ドイツは会議の内容に集中しようと意識を向けた。目を落とした書類に性という文字を見つけ、何故かフランスとイタリアの肉体関係を想像する。
 昔のことは知識でしか知らない。イタリアの性が、著しく享楽に耽った時期もあったという。そういえば、イタリアは初めから男同士での性交に抵抗がないように見えた。やはりフランスとは過去になにかあったのだろうか。二人は文句を言い合いながらも仲が良い。料理やファッション、文化で多くの共通点を持っている。それに、どうやら気性も合うらしい。
 一体何を考えているのかと、再び顔をあげると、やはり視界の隅に映る二人が気になる。
 ドイツは苛ついていた。なかなか私語をやめない二人と、執着が終わらず悩み続けている自分に。

***

会議は予定していた時刻に終わった。オーストリアと意見を交わしているうちに、室内は閑散としていった。気づけばイタリアの姿はない。廊下に出てみたが見当たらなかった。
 ハンガリーがオーストリアを見つけて近寄ってくる。人を探しているのを感じたのか、ハンガリーはすぐに言った。
「イタちゃんなら、フランスと一緒に降りていったわよ」
「そ、そうか…。ありがとう」
 挨拶も無しに帰ったなんて信じたくなかったが、そういうことなのだろう。
 ドイツは忘れ物をしたふりをして、ハンガリーとオーストリアを先に行かせ、会議室に戻った。自分の座っていた席に戻り、ペンをカバンに入れるふりをする。その頃には、部屋には誰もいなくなっていた。
 何度かため息を吐き出し、深呼吸をして、意味もなく頷いた。想像していたよりずっと傷ついている自分が情けなかった。
 友達とはいえ、ずっとイタリアの優位に立っている気がしていた。イタリアは好きだと言うし、どこにでもついてくる。それをいつのまにか、あたりまえのことだと、勘違いしていた。想われていることがあたりまえだと……。
 イタリアの中での自分の地位は、変化しないものと思い込んでいた。だからこんなにショックなのだ。
 フランスに負けたとは思わないが、相当悔しいのは確かだった。なぜイタリアは、自分との関係にに飽きたのか。それこそ、刺激が足りなかったのかもしれない。
 席を離れ会議室を出た。
 とぼとぼと階段へ向かっていると、曲がり角からイタリアが顔をのぞかせた。
「イタリア…!」
 思わず名を呼ぶと、イタリアは明るい表情で手を振り、近寄ってくる。
「あ、ドイツー! あのさぁ」
 ドイツは衝動的に、その手首を強く握りしめていた。
「ヴェッ……」
「ちょっと来い」
 戸惑っている様子のイタリアがわざとらしいとすら感じる。いちいち癇に障る。嫉妬と怒りで頭に血がのぼっていた。逃げ腰のイタリアを強引に連れ、人気のないほうへと向かった。奥へ奥へと進み、廊下の突き当りにあるドアを押す。中に入ると、こぢんまりとしたテーブルセットがひとつ。何かの前室のようだ。
 内鍵をかけた。窓は閉めきってあり、空気がこもっていた。豪華なレースのカーテンが下げられている。 窓のすぐそこに大木が植わっていて眺めは良くない。ここは二階だが、外から室内を覗けるとは思えない。
「ドイツ」
 椅子を引いてイタリアを座らせた。ベルトを外そうと手をかけると、さすがに驚いたようで、抵抗してきた。
「ヴェっ、ドイツ??」
 ベルトを開き、その下のホックを外して、下着に触れる。
「あまり声を出すなよ」
中を取り出して、軽く扱いた。イタリアは息を吸い込み、緊張しているのか固まっている。そっと先端を口に含むと、股を閉じようと力をいれるのが分る。布越しとはいえ、柔らかい内腿に首を圧迫されるのは至福だった。そして、イタリアの匂いを密に感じている気がした。
「ど…ドイツまって」
 イタリアは立ち上がろうとしているようだ。だが少しも譲る気はなかった。
「ねえドイツ、やだ…」
 一気に奥まで含み吸いついてやると、イタリアの力が抜ける。何回か抵抗があったが、そのうち荒い息遣いがと微かな…くぐもった声が聞こえてくる。思えば、付き合いの中で口淫は数えるほどしかしていない。
「あ…あっ! ん……」
「静かに」
「むりだよぉ」
「静かにしていろ」
「んん……っ」
 指先で意地悪く先端ばかり弄ってやる。涙をにじませ喘いでいるイタリアを見ると、徐々に溜飲が下がった。
 イタリアを達させると、だいぶ気持ちが落ち着いた。もちろん自身も反応はしていたが、ここでイタリアに何かしろというのは、あまりにも酷だ。始末をしているときに詫びたが、イタリアは一度目を合わせただけで、ぼうっとしていた。それから拗ねたように眉間にシワを寄せ、口を尖らせ何事も発しなかった。ずれたテーブルや椅子を元通りに戻して、部屋を出ようと促したが、イタリアの足取りは重い。
「今日は、どこかホテルをとっているのか?」
「ん? …うん、…大丈夫」
 返答があってほっとする。
「送って行くぞ、どこなんだ?」
 イタリアがじっと見つめてきて焦った。下心があると思われても仕方ない。
「まぁ、では…、出たら別れよう」
「うん……」
 外へ出るまでの沈黙は、耐えかねるほど厳しいものだった。ドイツはとにかく、別れ際に何を言おうか考えることに集中した。
 宮殿を出てすぐにある大きな彫像の前で、いつものようなハグをして、頬にキスをした。互いにコートを着込んでいるせいか、体のラインがよくわからなくて味気ない。イタリアは疲れているようで、一刻も早くベッドで眠りたい、と顔に書いてある。夕飯を一緒に…と言い出せるような雰囲気ではなかった。
「悪かったな」
「ううん、いいけど……。びっくりしたよー……」
 イタリアは弱々しく微笑んでそう言ったが、ドイツは自分の浅はかな行動を、後悔し始めていた。
「そうだろう、本当に悪かった」

 イタリアがタクシーを拾うのを確認し見送った。これからどうしようか考えていると、ポケットで携帯電話が振動する。液晶を確認するとフランスからだとわかった。通話を一瞬躊躇った。
「イタリアに代わって?」
「本人の携帯にかけろ」
「でないんだもん」
「……あいにく別行動だが」
「別行動? トイレ?」
 フランスのからかうような口調に頭にきて、今すぐ切ろうかと思ったが、その瞬間に続きを話し始めたので踏みとどまった。
「ま、いーわ。言い忘れてたんだけど店の予約、俺じゃなくて、ロベール・アルトーっていう知り合いの名前でとってあるからよろしく。なんていうの…ちょっとほら、ウェイターちゃんとあれこれあったのよ。深く聞かないで! 味には関係ないから。あとイタリアいないんなら言っとくけど、今日は1.5倍くらい優しくしとけよ。なんかめずらしく落ち込んでるみたいだったし。それじゃあな」

つづく
2011.11.23