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 よく手を洗い、階段を上がっていると、どっと疲労感のようなものが湧いた。
 行為のあとイタリアが隣で寝ていたのは、今さらながら素晴らしいことだったと、ドイツは思う。部屋に戻りベッドに入ってもまだ、悶々とイタリアのことを考えていた。もうずいぶん連絡をとっていない。確かめたわけではないが、あのナンパした彼女と上手くいっているのではないかと思う。イタリアから連絡がないのはその証拠だ。日本とバッティングしていたパーティーの予定も、きっと彼女の関係なのだろうと踏んでいた。もちろん、こちらも直接聴いたわけではないが、伝えてきた時のイタリアはずいぶん挙動不審だったから、タイミングを含めると間違いないだろう。
 あの朝、日本からイタリアの様子を伝え聞いて、少し可哀想な気もした。しかしパーティーは、友人同士での遊びより、ずっと実ある良い機会だったのではと思う。夜に一度だけ電話してみたが、不通だった。一時間ほどして再びかけてみようとしたが、パーティーのあと彼女を家に招いていて、よもや何かの最中だったら……と思いついてしまい、それからはかける気にならなかった。翌朝になっても、その次の日も……。
 イタリアがそばにいなくても、日々は過ぎていった。とくに不足もなく平穏な毎日だった。
 イタリアへの愛情と憎悪が入り混じった複雑な感情は、仕事に追われているときは忘れることができたが、寝る前や、週末ふと時間ができた時などに、こういう時間をいままでイタリアと過ごしていたのだな、と実感してやけに感傷的になった。
 今は夜中の2時だったが、いきなりイタリアが家を訪ねてきたらとか、電話をしてきたら…とか、現実的でない妄想をいくつかした。
 前にイタリアが泊まっていった夜…、届けたアップルクーヘンをわざわざ持ってきたあの日。イタリアは、何か隠している様子だった。しつこく詰問したが応じなかったため、仕方なく最後にはベッドに乗り上げ肩を抑えつけて、シャツをめくった。いつもどおり綺麗な肌だった。てっきり森だとか、適当なところでシエスタして、傷を作ったか、肌がかぶれたのだろうと思っていたのに。
 けれど、あの時のイタリアの顔は、すばらしく情欲を掻き立てるものだった。恥ずかしくてたまらない、という顔だ。頬は朱に染まり視線を合わせようとせず、眉尻は極端に下がって、瞳が潤んでいた。欲望と戦ったあと、軽く謝って部屋をあとにした。
 以来、心に残ってしまって、処理するときは必ずその表情を思い出していた。無理に忘れようとするのでなく、いつか飽きて他を使うだろうと思っていたのに、一向にその気配はない。近頃では、もしあの時理性の壁が崩れ去り、イタリアに覆いかぶさっていたら…というパターンまで想像が進化していた。
 今まで無理強いはしたことは一度もなかったし、しようとも思わなかった。
 けれど、あくまで想像上でのことだが、嫌がるイタリアに一方的なセックスを試みるというのは、なかなか背徳感があり、甘美で、そして…、傷ついた自尊心を回復させるのに有効な手段だった。設定上では、浮気をした恋人を懲らしめるような気分でいた。
 しかし、それと反比例するように、終わったあとはいつもひどく自己嫌悪する。それが今の状態だった。未だ腹いせに痛めつけようなどと、考える自分が恐ろしかった。
 そもそもが……、なんの約束もない関係だったのだから、誰と恋をしようが自由だ。
 この調子では、一体いつになったら、昔のようにイタリアと気兼ねなく過ごせるのかわからなかった。

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 翌朝、メーラーをチェックすると、日本からメールが届いていた。無事帰国したことと、泊まった時の礼、それに欧州で撮ったらしい写真が幾つか添付されていた。風景だけの写真、人物入りの写真もあった。スクロールしていくと、最後にイタリアが笑顔で、何かフルーツのタルトを口に運んでいる写真があった。驚いてしばらく見入っていたが、元気そうだなと思う反面、この時一緒にいただろう日本に、少し嫉妬した。つくづく、心が狭い。
 イタリアにも日常があるのだ。自分と会おうが会わまいが、それなりにやっていける。
 彼女との中が落ち着いてきたら、イタリアは連絡を寄越すだろうか。
 その頃には、自慰の時に思い浮かべる対象が、ポルノ雑誌の誰かに移り変わっていると信じたい。




つづく
2011.11.18