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 十一月、初めの週末。
 夕方帰宅し、力なくソファに沈んだイタリアの気分は最低だった。長い一日だった。
 今日はスペイン料理店のオープニングパーティーに行ってきた。珍しく昼から始まって、夕方には店主の親族を残してお開きとなった。
 ナンパで知り合った彼女…の叔父の店だ。
 スペインの名店で長年修行を積み、この店で独立したらしい。
 美味しいものが食べれるだろうと、イタリアは期待していた。味は文句なく良かった。何もかも美味しくて、香ばしい豚肉料理、具だくさんのパエリアに、店内はガーリックとオリーブオイルの匂いで満ちていた。イタリアの食欲は満たされていった。
 しかし、イタリアの心に一日中引っかかっていたこと。それは今朝、家を出る直前にかかってきた、日本からの電話だった。
 簡易な挨拶で始まり、今日は宜しく、これから向かいますが買っていくものはありませんか?という内容だった。
 意味がわからずに問い返すと、日本はこれからドイツの家に向かい、そこにてっきりイタリアがいるものだと、思い込んでいたらしい。
 ドイツにも電話をかけたが、繋がらなかったのでイタリアにかけてみたと言う。
 イタリアはこの日本の予定を知らなかった。日本が欧州に来る場合、だいたいドイツに連絡をする。イタリアが捕まらないと知っているからだ。
 ドイツには、今日は昼からパーティーに行くのだと話してあった。ナンパのことは伏せ、彼女のことは友達だとぼやかして話した。予定を知っていたから、日本のことを伝えなかったのかもしれない。けれど一言もないのはショックだった。
 日本に都合を話すと、電話越しにイタリアとドイツのぎこちない状態を知ったようで、優しい声色で、今日お会いできないのは残念ですが、楽しんできてくださいね、と言った。他にも欧州をまわって、イタリアとフランスには来週寄るのだと、そしてそのときに逢いましょうね、と…。イタリアも楽しみにしてる、と答えて電話を終えた。
 その時に感じた、胸に突き刺さるような寂しさを、イタリアは一日中引きずることになる。
 パーティーの最中は気もそぞろだった。
 ドイツの家の様子を想像しては、なんだかずるいとか、今頃何をしているんだろうとか、そんなことばかり考えてしまった。自然と受け答えも鈍くなったが、元来の社交性で流しているうちに、時間は過ぎていった。食欲だけは異様にあり、料理を褒めるイタリアは店主に気に入られた。しかし、食べる以外はぼんやりとしてしまった。それが、彼女の目には退屈そうに映ったのだろう。夕方、店の前で別れの挨拶をしたが、明らかに機嫌を損ねてしまったと思える態度だった。もちろん約束もない。もう一度こちらから誘わなければ、次はないだろう。

「はぁ……、もうやだ」
 朝、日本は電話口でパーティーの終了時刻を訊いてきて、夜に来れないかと誘ってくれた。泊まって、明日朝までドイツの家にいるらしい。だがドイツには何も言われていないし、行ったらきっと今日のことを聞かれるだろう。それがすごく嫌だった。
 そのままソファでふて寝をして、固定電話の呼び鈴で目が覚めた。床に落ちていた携帯電話を掴み確認すると、今の電話はドイツからのようだった。時刻は確かめなかった。日本から話を聴いたのかもしれない。食べ過ぎたので、イタリアは体がだるかった。ソファから一歩も動けないような気がした。
 もうどんな顔でドイツの前にいればいいのかわからない。
 このままでは嫌だから、やっぱりポルノ雑誌をチェックしたことを、正直に話さなければならないなと思う。収納を勝手に見るなと怒られるだろう。けれど、他にこの気まずさを解決する方法が無いと思える。
 もうセックスはしなくていいから、ドイツと以前のようにくだらないことを喋ったり、一緒に料理をしたり、暖かい肌に寄りかかって眠りたかった。


********

「ふううん……そっかぁ…………、だよね。俺、予定話してあったしね……」
 イタリアは目の前の洋梨のドルチェをグサグサときり崩しながら言う。
「ええですから、もちろん…悪気なんてないように思えましたけど……。イタリアくん…。あれですか、ドイツさんと喧嘩してるんですか?」
「ケンカなんてしてないよ」
「先週電話したときは、そんな感じでしたよね?」
「先週もしてないよ、その前も、ずーっと………」
 日本はわずかに首をかしげ、ラッテを一口飲んだ。日当たりのいいテラス席で、甘い食べ物をむさぼっていた。入り組んだ路地の奥にぽつんとある、洒落た外観の店だ。すりガラスで中は見えないので一人では入店を躊躇うかもしれない。
 店内は意外にも賑わっていて胸をなでおろす。テーブルの間を通り抜けて、低い階段を上がってベランダへ出る。4つしかないテラス席は半分埋まっていた。海まで見渡せるほど眺めが良い。イタリアは笑顔で、美味しいからよく来るんだ、と言った。
「ドイツさ、俺のこと何か言ってたー?」
「…ずいぶん寂しそうでしたよ。私がお会いする時はほとんどイタリアくんが一緒ですから、余計にそう思うのかもしれませんけど」
「ほんとー?」
「あ、写真を撮っていますが」
「見せて見せて!」
 日本はデジタルカメラを取り出し、中のメモリーカードを差し替えて、一週間前の画像を見せた。何枚かドイツとプロイセンのツーショット写真があった。
「ちぇー……、いつもと同じだよー……」
 イタリアは肩を落として、カメラを返してきた。日本も改めて写真を見る。写真ではわかりにくいが確かに、覇気がなかったというか、いつもと違っていたのだ。なんと説明していいものか悩んだ。きっと二人のことだから、本当にささいな意見の食い違いが長引いているのだろうと思う。なんとか早期にいつもの二人に戻って欲しかった。
「イタリアくん、ほら、ドイツさんはすぐ顔には出しませんから…」
「にほんは優しいね…」
「本当ですよ。元気がないというか…。ええと…あっ!! そうだ、ドイツさん、あんまり食べていませんでしたし…。体の至る所に影響するんですよ、精神不良というのは」
「食欲がないってこと……?」
「美味しそうに食べている人を見ると、食欲がわくでしょう? イタリアくんは、ドイツさんにとってそういう存在であることは間違いないと思うんです」
「お、俺?」
「ええそうです」
 イタリアは少しはにかんだ。
「えへへ〜、グラッツェ。嬉しいよー」
 やや断定的に言ってしまったが、イタリアは喜んでいる。日本は、なんとか二人の仲を修復させたくなった。
「……長引かせるとよくないです。ドイツさんも意地をはっているだけに見えましたし、イタリアくんがいつものように話しかければ良いかと…」
「うーん、そうだよねぇ…」
「何を躊躇っているんですか?」
「ドイツって、俺のこと好きだと思う?」
「ええ、そうですよ」
 即答したにもかかわらず、イタリアは浮かない顔だ。
「……だったらいいんだけどさ」
「イタリアくん」
「ドイツのこと好きだけど……。なんかさ、全然上手くいかないんだー……」
 日本は姿勢を正した。
「具体的には?」
 イタリアは口を開きかけたが何か迷ったようで、しばらく考えるような仕草をして、もう一度日本の目を見た。
「なんてゆうか……最近よく思うんだけど……。ドイツってさ。俺が連絡しなかったら、どんどん俺のこと……、忘れ、ちゃうんじゃないかって、思うんだ……」
「そんな……」
イタリアは何か思い詰めたように真剣な顔だった。目がじわじわと潤んできている。
「パーティーの日からも話してないしさ。夜の電話は俺が取らなかったけど……。でも、もう一回くらい電話してくれたらいいのにって、思って……。俺もかけようかなって、思ったけど…、もう一日待ったらドイツから電話くるかなぁと思って、一週間立っちゃった…」
「そうでしたか……」
「俺は、会いんたいけど……。ドイツはこのままでもいいから、なんにも言わないのかなって……」
 瞬きの瞬間に、涙が一粒目頭から落ちた。イタリアが静かに泣くところを初めて見た日本は、驚きのあまり動悸がした。このままではいけないと強く思った。


つづく
2011.11.16