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 ドイツはどうしてもまっすぐ帰る気になれなかった。
 途中から車に乗り換え、遠回りをして大型スーパーマーケットに寄って、持っていた買い物袋に入る分だけ買って帰った。
 帰る道すがら、もう暗くなった市街に寂しさを感じた。
 家に着くと明かりが点いていて、そのことにほっとする。プロイセンも日中出かけると言っていたが、すでに帰っているようだ。食事の支度ができていたら、と期待して中に入ったが、調理の匂いはしなかった。リビングからプロイセンの声が聞こえた。
「ヴェスト、遅かったなー」
「ああ、兄さん夕飯はどうする?」
「今これ食っちまったし、帰りにもいろいろ食ったし、悪いけどいらねーわ」
「何を間食したんだ」
 ドイツが眉間にしわを寄せ、食材の袋を持ったままリビングを覗くと、ソファでくつろいでいるプロイセンがいた。そして隣の椅子には、何故かイタリアがいた。ドイツはイタリアの瞳を凝視したまま固まる。
「遅かったね、クーヘンごちそうさまぁ」
 イタリアは挨拶にと立ち上がり、ハグしてくる。
「……あれから来たのか」
「だってよく考えたら、兄ちゃんはしばらく寄んないって言ってたし〜、いっぱいあるから悪くなっちゃうとさ……」
「だからといって」
 ドイツは想像しなかった展開に動揺していた。今日は食事を済ませたら、早めに就寝しようと思っていたのだ。
 イタリアはいつもと同じようにニコニコとしていて、変わった様子はない。
 そもそも、かわいい女性が好きなのだと昔から知っていた。ナンパして食事に誘ったりするのも、イタリアにとってはそう特別なことではないのかもしれない。そうでなければ、今頃彼女のことを考えて悶々としていなければならないだろう。自分といる時は、ふざけてわざとモテないふりをしているのだろうか。嫌われることを恐れているイタリアは、それによって妬まれるのを避けようとしているのか。
 そう思えば思うほど、自分たちの関係はおかしかった。
 イタリアと初めて深いキスをしたのが、去年のオクトーバーフェストの時だ。
 その時は酔っていたにしても、その一ヶ月後の週末には、すべてを済ませていた。去年のちょうど今頃はずいぶん寒くて、既にコートにマフラーを巻いて外出していた。イタリアがよく寒いと言ってはくっついてきたのを覚えている。
 キスもイタリアから、服を脱がせてきたのもそうだった。イタリアはシャツしか羽織っていなかった。互いの体を愛撫しあううちに、いつのまにか本気になって…。とにかくイタリアの体が、滑らかで、柔らかくて…、おまけにひどく良い香りがして、心地良かったのだ。普段のスキンシップでもある程度知っていたが、これほどまでとは思わなかった。
 行為はもう一度したいと思えるほどだったし、それからは、求められれば至り、また自分から誘うこともあった。
 お互いこのことについて、話し合いすることはなかったが、意識の上では通じ合っている気がしていた。
 なぜ抱きあうのかといえば、快感が得られるからだ。
 イタリアの様子がおかしくなったのは先々月。ある時を境に、すっかりセックスをしなくなった。
 気づけば、イタリアが理由をつけて断っていることが多く、拒絶されているのだと気づいた時、少し驚いた。特に喧嘩をしたつもりもなく、イタリアも普通だった。故に問い詰めるのもの変な気がしていた。
 理由もなく始まったのだから、やめるのに理由がいるのも変だ。
 しかし、まあいいかで片付けられないほどには、長く関係を持ちすぎていた。
 行為をしなくなっただけなのに、まるで自分がイタリアに嫌われてしまったのか、と感じることもあった。
 時が経つにつれ、ますますその思いは強くなった。
 離れてみれば、イタリアが何を求めていたのかわかる。甘やかして欲しかったのだろう。優しい言葉をかけた記憶がない。行為の最中は互いの漏れる声意外、ほとんど無言だった。そういったことに加え、抱く側のほうがいいと気づいたのかもしれない。
 だからやはり、セックスをしていた状態が異常だったのだ。
 イタリアの向こうに見える壁時計は、もう10時を回っていた。
「イタリア…、時間が」
「泊まっていい?」
 そうなるだろうと思っていたし、イタリアにその気がないなら問題は無いと自分に言い聞かせる。友人を家に泊めるだけだ。先月数回泊まった時も、別の部屋で寝たのだ。
 正直、今日明日ぐらいは顔を見たくなかったが、仕方なかった。


***


 ドイツはベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。疲弊しているような気がしたのに、頭だけが妙に冴えている。
 今更ながら、イタリアは組み敷かれている時、どんな気持ちだったのかと考える。セックスのあれこれについて、とくに主張してこなかったし、一度も文句を言ったことがない。いつも従順だった。だから、満足しているのだとばかり思っていたのだ。
 ドイツは、後悔とも言えるような感情が自分の中にあると気づいていた。
 もう少し早く気づいて、イタリアに伝えれば良かったのだ……。こんなにもイタリアを気にかけていて、いつも想っていると。そして昼間のあの女性よりは自分のほうがずっと……
 ドイツは心臓が高鳴って、目を見開いた。何故か冷や汗をかく。
 イタリアは、普通の恋愛をしようとしているのだ。
 一体何と比較しようとしているのかと、ドイツは唸った。友人でいることはできても、パートナーになどなれるはずがない。そんなことは望んでいない。
 深呼吸をして心を落ち着け、何度目かの寝返りを打ったあと、突然のドアノックの音に驚いてドイツは身を起こした。
 ドアの向こうから顔を出したのはイタリアのようだった。室内は暗く、廊下の常夜灯がぼんやりと照らしているだけなので、イタリアの体のラインすら定かではない。
「やっぱり一緒に寝ていい?」
「ま…待て!」
 ドイツは急いでベッドから降り、イタリアが踏み入る前に廊下へ押し返した。後ろ手でドアを閉める。
「部屋が寒いか?」
「ううん」
 ドイツは後ろ頭をかく。
「寒くないけど……」
「寝付けないのか。何か飲むか?」
「ん? …ううん」
「トイレか」
「ううん……」
 イタリアの両肩を押し、客室に入れた。部屋の明かりをつけると、イタリアがTシャツと下着を身につけていることに気づき驚く。裸だとばかり思っていた。
 ベッドに横になるように示し、ふとんをかけてやる。
「もし寒かったらこれも使え、足元はどうだ?」
 もう一枚枕元にタオルケットを置き、ついでに頭を撫でる。そのあと、壁際にあった椅子を枕元まで持ってきて、腰掛けた。
「寝るまでここに居てやるから……」
「ねえ、ドイツは…眠くないの…?」
「妙に目が冴えてな」
 イタリアはどこかぎこちない。こういった様子はめずらしかった。
「そういえばおまえ、服を着て寝ているんだな」
「えっ」
 ずいぶん慌てた様子で、早口で言う。
「うん…、ほら!!! だって、いつもドイツ寒いなら服着ろっていうから……」
 イタリアの顔はみるみるうちに赤くなった。そのうち泣き出しそうな表情になる。
 服を着て寝ることは、イタリアにとって、恥ずかしいと思えることなのだろうか?
 女性がいなければ、ところかまわず脱ぎたがるイタリアは、感覚が違うのかもしれない。しかし、肌が見えないのは本当にありがたかった。
「そうか。進歩ではあるが…、気持ち悪くはないのか? 俺はつい言ってしまうが……、無理をするようなことではないぞ」
「慣れればね…!!! 最初は落ち着かなかったけど…」
「だったら、……着ていたほうがいい。まだまだ寒くなるからな」
「うん」
 よくよく考えれば、この部屋のクローゼットにはイタリアの着替えが仕舞ってあるので、そこから引っ張り出したのだろう。
 露出が少ないことで、ドイツはずいぶん落ち着きを取り戻した。服を着ていれば、そこまで扇情的というわけでもない。  イタリアとは、泊まって別々に寝ることのほうがめずらしい。一人客室で寝ることに寂しさを感じ始めたのだろうか。ドイツは心の余裕ができたためか、急に同情的な気持ちになった。イタリアが自主的に服を着たのだから、途中で脱ぐこともないだろう。今後の友情ためにも、一緒に寝るくらいできなくては。
「イタリア、一緒に寝るか」
 そう一言つぶやくと、笑顔になるかと思ったイタリアは、逆に不安そうな目で見返してきた。そして、こちらに背を向けるように寝返りを打った。表情が見えなくなる。
「ヴぇっ、や……やっぱいいよー、おやすみ」



つづく
2011.11.09