パリの12月 2



 キスすると安心する、なんて言ったが本当は違った。
 本当はキスしてほしかった。気づいてもらえないようなので、そう言ったのだった。
 欲してばかりではいけない思うが、自分なりに愛情表現はしてきたつもりだった。けれど、ドイツには通じないのか反応はよくない。打てば響くような手応えを求めるのは、いけない事だろうか。
 イタリアは、ドイツが寝ていた隣のベッドを見た。
 シャワーを浴びているようで、脱衣所のほうから微かな水音が聴こえる。
 今のままでも悪くない。
 ドイツは優しいし、面倒を見てくれる。会いに行けばかまってくれる。けれど日に日に、物足りなく感じるようにもなった。以前なら気にならなかったようなほんの些細なことで、ドイツに見放されてしまったのでは、と心配することが増えた。その全てが杞憂だったが、どうしてこんなふうに思うようになってしまったのかわからない。
 前はねだって好きと言ってもらえば満足できたのに、今は駆け引き無しで、ドイツの心情によって心から好きと言ってもらいたかった。
 ドイツはいつも過剰だと言う。イタリアにも自覚はある。しかし我慢などできない。好きと思った時に愛を伝えたい。
 そして、ドイツはその分を差し引いたかのように愛情表現が少ない。
「起きたか」
 水音が止まりしばらくして、ドイツは脱衣所から出てきた。下着だけ身につけている。
「はやく入ってこい」
「おはよー」
 すれ違いざまに横から抱きつくと、想像通りドイツの手が額にかかり、引きはがそうとする。まだ所々湿っている肌から、石けんの良い香りがした。
 自分のものにしてしまいたいわけではない。
 ただ何か一つ、手応えのある、自分に向けたドイツの意思が欲しいのだ。
(あれ……?)
 ぎゅうぎゅうとしがみついていると、ドイツの股間が若干盛り上がっている事に気づいた。からかってやろうと顔を見上げると、何故だかドイツも驚いた顔ををしていた。
「ドイツー、もっかい浴びてくれば?」
「ああ……」
 ドイツは、イタリアに気づかれた事を少し気まずそうにして眼を泳がせたが、素直に脱衣所へ戻って行った。



***



「どうしたんだよ」
 家主は意外すぎる来客に、眼をまるくして驚いていた。
「近くに寄ったものでな」
 緊張しているのだと一目で分かった。チャコールグレーのスーツに、タイは薄い菫色のストライプ。完璧にプレスされた襟は珍しく緩められていた。脇に抱えた茶色い鞄は、よく使っている仕事用のものだ。
「おいおいパリからずいぶんあるけど」
 フランスは粉だらけの白い手先をエプロンで拭った。
「昼過ぎてるけど、今飯つくってんだ。食べてく? あ、ピザね」
 約束もせず、パリから1000キロも離れたこの村に来るなんて、博打のようなものである。
 ここは南仏、コートダジュール地方。山の中腹の小さな一軒家で、パリから通うにはいささか不便であったが、窓から見渡せる地中海の美しさに惚れ、フランスは長い間ここを借り上げていた。
「綺麗なところだな」
「でっしょー。暖かいし静かだし、俺、集中したいときはここなのよね」
 ドイツを居間に案内してソファを勧めた。台所に戻り手を洗い、一時前に入れたコーヒーを薬缶からマグカップに注いだ。ドイツにカップを差し出せば、軽く礼を言って受け取る。フランスも向かいの椅子に落ち着き、カップに口をつけた。
「んで、仕事の話?」
「いや……」
 ドイツは姿勢よく座っていた。咳払いをしてから、話し出すかと思えばまた口籠り、コーヒーを飲み、また咳払いをした。
 そして大きく息を吸い、吐き出し、きつく眼を閉じる。そして咳払いをする。
 フランスは、そのあまりの挙動不審に眉をひそめた。ドイツの顔の前に手の平を出し、注目させるようにパタパタと振った。
「大丈夫かよ、何? どうしたの」
「実は、最近……体の調子がよくなく……」
「え? うんうん。どう見たっておかしいぜ」
 ドイツの話は、なんとも抽象的な表現で始まった。
「自分でも調べたり……、念のため病院にも行った。だがこれといった病名もみあたらず……困っていて。こういったことは、おまえが詳しいのではないかと考えて」
「調子って?どこが悪いんだよ」
「その……下半身だ」
 おおまかではあったが、ドイツがあまりにも言い躊躇うので、下半身が何を指しているかはわかる。フランスはにやけた。
「えーっ、もしかしておまえ勃たなくなっ」
「その逆なんだ」
 逆という事は、多いに利用価値があるではないか。
「問題なのは、イ……タリアの前でだけなんだ。会うなりすぐ……。頭では全く違うことを考えているのに、体だけ反応してしまう。時間も場所も選ばない。いくら事前に処理しておいても必ずなる。異常なんだ」
 フランスの高揚感は一気に失われていった。
 惚気話は聴きたくない。特にイタリアのことは、なんだかんだ言って可愛がっているので、あまり具体的なことを知りたくなかった。
「あー……、ふーん、へぇー。そんなの、一緒にバカンスにでも行って、朝から晩までやり倒せばすぐ治るんじゃないのぉ」
 冷めた調子でそう言うと、ピザの焼き具合を見ようと席を立った。
「俺とイタリアは、そんな淫らな関係ではない!」
突如部屋に響いた怒号にフランスは振り返る。顔を真っ赤にしたドイツが、ソファから立ち上がっていた。
「ええ? ほんとに?……やってないの?」
「あたりまえだ。何故そんなことを」
「だって好きで一緒に寝てるんだろーが」
「イタリアを性的な目で見た事なんてない」
「イタリアは?」
「同じだ。俺たちは友人であるし……」
「それはそれは」
「あいつが来ると、日常生活に支障がでる……。おまえはそういった面の見聞が広いし、何か教えが乞えるのではないかと思って、ここまでやってきたのだ……。どうか茶化したりせず、真面目に助言してほしい。本当にまいっているんだ」
 椅子とソファに座り直し、向かい合って詳しく話を聞くと、イタリアの前以外では、まったく通常なのだという。
 そんなもの、真っ当に考えて抱きたい相手だから反応するのではと思ったが、病院に行った、というあたり、そうとう追いつめられていたのだろう。身内に相談できそうな相手もいず、それでここへやってきたというわけか……。フランスは、少し同情する気になった。
「それ、イタリアにはなんて説明してんの……? バレてんの?」
「説明なんて出来るはずが無い。最初のうちはなんとか言い訳もできたが、無理があるし、もうずいぶん会ってないんだ」
「あらそう……」
 フランスは一週間前、イタリアと夕食を共にしていた。
 いつもより元気が無いとは感じたが、普通だと思える範囲だった。だが、思い起こせばイタリアの口からは、ドイツの話題が一言も出なかった。
「それじゃあ、寂しがってるんじゃないの? あいつ」
「……いや、そんなには……」
 ドイツは言葉尻を濁し、思うところがあるのか、視線を落とした。
「なによー。でも会わないなんて、よくできたな。イタリアってその辺からひょいって出てくるだろ。待ち伏せとかされなかったの?」
「そうなんだ、何度も待ち伏せをされて……」
ドイツは短く息を吐き出し、頭を抱えた。
「俺の仕事の状態は、どうしてもイタリアに漏れてしまう。避ける事ができないんだ。それで仕方なく……」
「仕方なく?」
「仕方なく……、嘘を」
「もー、どうしてそうなっちゃうかね」
「恋人がいるという嘘をついた」
「な……」
「身分の開かせない人なので……、プロイセンにも紹介していないと説明し、イタリアにも他言しないでくれと頼んだ。おかげで、イタリアからの接触はほとんどなくなったわけだが」
 フランスは額に手をあて、天を仰いだ。
 どうしてこうも問題を複雑にしてしまえるのだろうか。
「なにロマンチックな嘘ついてんのよ! バカバカ!! もう、信じらんない!」
「うむ、嘘をついたのはやはり後ろめたくてな……。だが、背に腹は代えられない。理由もなく避けているなんて思われても困る。イタリアも傷つくだろうし」
「お兄さんわかっちゃった! 今聴いた話をイタリアに暴露して、一回抜いてってお願いすれば解決するから、電話してくるね」
「やめっ……やめろ!」
 電話の子機を手にフランスは立ち上がり歩き出した。だがボタンを押す前に、近づいてきたドイツに後ろから子機を奪い取られてしまう。文句を言おうと振り返ると、ドイツが悲痛な面持ちであったため、フランスは言葉をなくした。
「やめてくれ。こういうことは……頼む」
 下手をすれば弱みをにぎられるとわかって、相談をしに来たのだ。ドイツの覚悟も窺える。
「……それ、さ……。いつからなの? 症状」
「ちょうどこの前の世界会議のあとだ。それ以前は、全くそんな兆候はなかったものだが……」
 精神も身体も関係がないところが原因だとして、このタイミング。
 となるとフランスには思い当たる節が……おおいにあった。
「悪かったな。とりあえずもうピザ焼けるから、食って落ち着こうぜ、な?」


 
つづく

2010.12.20