おまえのしてほしいこと 半年後5

 結局気まずいままイタリアの車に乗り込み、夕方になって降りると、そこはフィレンツェのようだった。標識にかろうじてその字を見つけただけで、実際どのあたりなのかはわからない。市街から少し離れた静かな場所だ。イタリアから説明はなかった。
 少し路地を歩いて角を曲がると、急に視界がひらけ、庭園が現れた。アイアンワークの門扉を通り過ぎると、低い階段の向こうに小さいが噴水まで見えた。白く太い二本の支柱の間をくぐって、回転式のドアへ踏み入った。
 レストランに入ったように思ったが、そこはホテルのロビーだった。三階まで吹きぬけで、交差する梁をよけて天井画がすみずみまで描き込まれていた。輝くクリスタルのシャンデリア。白塗りの大きな暖炉。本物のようだが、随分ながい間使われてないように見える。マントルピースの上に細かい装飾金縁の鏡がある。最初はあまりの大きさに鏡と気付かなかった。ライムグリーンの壁。豪華だが落ち着いた色味の絨毯。至る所に、両手では抱えきれないほどの大きさのフレスコ画が飾られていた。どこを向いても、間接照明が視界に入る。
「ドイツ泊まっていける? それともディナーだけ?」
 いつになく強引なイタリアの態度に、つい頷いた。ぎりぎりではあるが、明日の朝帰れば問題はない。これ以上イタリアの機嫌を損ねたくなかった。ロビーにあった一人がけの椅子は、背を包み込み、驚くほどに座り心地が良い。手入れに手間がかかるだろう、飾られた調度品の数々を眺めた。オーストリアのとの同居を解消したとき、高価な調度品は結構な数のものを整理した。前よりは楽になったとはいえ、それでもまだ大部分は残っていて、掃除のときにはずいぶん気を使う。
「こんな急に泊まれるのか?」
「いざっていうときにはね、方法があるんだよ」


 入った部屋は広めの二部屋だった。正面には大きな両開きの窓と、バルコニー。重そうなコバルトブルーのカーテンは、ほとんど天井から垂れ下がっている。右を向くと、両端からカーテンがさがって間仕切りになっており、その向こうに寝室があった。左右にシェード付きのランプと、中央にキングサイズのベッド。ワインレッドに金刺繍がほどこされたフットスローがかかっている。
 ちらとイタリアに目を向けた。その瞬間に、イタリアは振り返る。窓を背にしていた。まだ灯りをつけていないので室内は薄暗い。
「いいところでしょー」
「そうだな」
 室内の調度品はイタリアに似合っていた。歴史あるホテルなのだろう、直感的にわかった。イタリアと少し見つめ合っただけで、心臓が早鐘のように打つ。
「イタリア」
「ドイツ!」
 駆け寄ってきたかと思うと、いきなりこっちの襟に手をかけ、大胆にボタンを外し始めた。前をはだけさせると、横に回り肩をから抜こうとする。
 シャツを脱がせ終わると、今度はベルトに手をかけた、一瞬止めようと思ったが、思い直し、身を任せることにする。イタリアに協力して下も脱ぎ、下着一枚になった。
 さらにイタリアは下着にも手をかけた。さすがに手首を掴んで抑えると、顔を上げたイタリアと目が合う。心の中を射抜かれたような気さえした。昨日今日の失敗を思うと、イタリアのいいようにさせてやろうと、その気持ちのほうが勝った。
 イタリアは全て脱がせてから、しばらく検分するように体を見つめ、ようやくひと心地ついたのか、正面から力強く抱きついてきた。
 今日の朝は断ってしまったし、久しぶりのハグだった。
 ああはやり、明らかに違う。全身から、愛しいという想いがこみ上げてくるようだった。後頭部を撫でる。イタリアは抱きついたまま、しばらく動かない。
「すき……」
 その一言が、心に刺さった。未遂だったとはいえ、自分はなんてバカなことをしようとしたのか。これこそ、イタリアへの裏切りだと思った。
「イタリア、俺は考えなしだった。この間のことも、昨日のことも……」
 イタリアが顔をあげる。
「上手くいかないからといって、おまえに八つ当たりをしたり、他にはけ口を求めてみたり、およそ俺らしくない」
「でも、それは俺が……」
「そうだ、俺も…、おまえに問題があるのかと思っていた。待つといいながら、心のなかでは、拒んでばかりいるおまえを責めていた…だが、本当は違った」
「違ったの?」
「もっとおまえに、優しくしてやるべきだったんだ」
「ドイツ……」
 イタリアの体をもう一度抱き直した
「俺はもっと、おまえがどうしたら安心して挑めるのか、考えるべきだった。まったく配慮が足りていなかった。経験もないくせに格好つけて、本を読んでわかったようなふりをして」
「朝にも言ったが…、セックスは、おまえが嫌ならしなくてもいい。ただそれは、おまえが選択するべきだと思っているだけで」
「うん……」
「しなかったからといって、関係が悪くなるんなんてことはない。だからその辺は気にするな。ただ、俺はおまえが嫌がっていることが、結構な……ショックというか、今までハグだのキスだの、そういうことをやってきているわけだから、あまり違和感もないだろうと、セックスもスムーズにできるだろうと、そう思っていたんだ」
「そっか……」
「だから余計に、急におまえに嫌がられたような気がして、それでむしゃくしゃして、あんな行動に……。だが決して、おまえへの当てつけなどではなく、気の迷いなんだ」
「ドイツ、よくわかんないけどわかったよー!」
 イタリアはそういって、ポンポンと背中を叩いてきた。
「じゃあやっぱり、今日せっくす…しよっか?」
「無理するなよ」
「優しいドイツ大大だいすき……。ありがとー!」
 軽くついばむようなキスをした。すっかりいつもの様子にもどったイタリアは、ホッとした、といってベッドに横たわった。柄にもなく心労もあったのだろう。なにより、車の運転があったため、シエスタをしていない。途中で変わってやればよかったとか、そんなことを今更思った。
 案の定イタリアはそのまま眠ってしまったが、意外なほど不満はなかった。その後一人でシャワーを浴び、さっぱりとした体で、イタリアの靴と服を脱がせベッドの中に入れ、そして自分もとなりに滑り込んだ。
 隣にイタリアがいて、安らかな寝息をたて、たまに唸りながら寝返りをうつ。顔を覗き込めば、とても間抜けに見えたが、それを同時に可愛いと言っていいものか自問自答した。好きだ、確かに強く感じる。きっとこうやって安心しきっているイタリアを眺めるのは、とても大切なことなのだ。
 イタリアが一緒に寝たがる理由が、ようやく少し分かった気がした。
 頬をそっと撫でる。無意識に頭ごと擦り寄せてくる仕草が、たまらなかった。 やがて、寝返りを打ってこちらに背を向けてしまったので、少しくらいなら…と、イタリアを抱え込むようにして、手を伸ばした。しばらくしたら離そうと思っていたのに、イタリアが腕を引っ張り込み手先を股に挟んだので、そのまま動けなかった。イタリアの肌は、何故こんなに柔らかで弾力を持っているのだろう。今すぐ太腿や臀部を思う存分撫で回し、さらに優しく揉みしだきたい。隅々まで舌を這わせて……。バスルームで二度しっかり抜いてはいたが、なんとも苦しかった。
 「イタリア……」
 今夜は、誘うべきなのだろうか。

2012.7.01


つづき