おまえのしてほしいこと 続き

「久々だからといってイタリアを甘やかすのも」
「いえ、そういうつもりではなかったんです。欧州のかたは必ずお湯を抜きますかし、一緒に入れば丁度よいかと…、すみません。何も考えずに返事をしてしまって」
「そういうことか」
「以前より広かったでしょう?」
「ああ、中を見たが素晴らしいな。暖かみがあって、ハーブのような香りがする」
「ふふ。せっかく改築したので、思い切ってみました。本当はここも直そうか悩んだんです。床板が結構ゆがんでいて……。特にその出入りするあたりが」
 日本は台所をぐるりと見回して笑う。台所に踏み入った時、床が大きな音を立てて軋んだ。壊したかと思い焦った。
「でも、きりがないんですよねぇ」
 そう言うと日本は、黒髪を揺らしてまな板に視線を戻す。
 日本が住居にしている家は、平屋の庭付き一軒家だ。度々修理をし長く住み続けていた。今回は風呂と洗面所が、タイルのひび割れ、排水管の老朽化でどうにもならなくなってしまい、一部改修工事をしたらしい。
 その際、兼ねてから憧れていた『檜風呂』という仕様に変えたそうだ。この土地の温泉宿では何度か見かけたことがある。浴槽まで木材でできている風呂だ。
 話が逸れてしまったので仕切り直す。
「日本、イタリアのことなんだが…」
「何か問題でも?」
「ねードイツドイツー!はやくー!」
 洗面所のほうから、急かす声が聴こえる。
「いや……」
「ドイツさん?」
「布団はまだ用意してないよな? できたらイタリアと別部屋、無理なら畳一枚分ぐらいあいだを開けてくれ。ああ……場所を教えてくれたら俺が敷くぞ」
 日本が葉物の野菜をきざむ手を止め、不思議そうにこちらを見た。明日の下ごしらえらしい。
「分かりましたが……。イタリアくんと何か、ありましたか?」
「特には。ただ、最近以前にも増していろいろとうるさいんでな。少し距離を置こうと思っているだけだ」
「距離を?」
 日本は体ごとこちらに向けて、驚きを表す。
「一体どうやって」
「だから距離だ。身体的な……」
「ドイツー!」
 大きくなるイタリアの呼び声に、ドイツは怒鳴るように返事をした。
「とにかく、布団の件はそれで頼むぞ」
「ええ、はい……」
 急ぎ洗面所に向かうと、すでに服を脱ぎ切ったイタリアが、どこも隠そうとせず真っ直ぐ立っている。中に入り、後ろ手に戸を閉めると、イタリアの目を見ずに言った。
「寒いだろ、先に入っていろ」
「えー…。うん、じゃあそうするよー」
 一瞬引き戸があいただけで、浴室の湯気が一気に入り込んでくる。イタリアは、すりガラス戸の向こうに消える。深く息を吐いた。
 白い肌、曲線を描く背筋から尻のライン。
 どうしても見てしまう。以前は全く目につかなかった箇所を凝視してしまう。
 ドイツとイタリアが、夜に『恋人ごっこ』をやるようになって、数カ月が過ぎていた。
 具体的に何をするかというと、イタリアが一方的に愛の言葉を連ねる。耳を塞ぎ、唸ってどこかに頭をぶつけたくなるようなやつを……。
 対してこちらは、それを聞き流すための相槌しか打たない。それでもイタリアの中では納得がいっているらしかった。
 イタリアとのキスは……、強く印象に残ってしまい薄れることはない。
 あの夜のことは、何から何まで封印してしまいたかった。しかし現実では、イタリアを見る度、鮮明に思い出している。
 途中から完全に、セックスを試してみたがっていると思い込み、恥ずかしい思いをした。イタリアにも悪いことをした。イタリアにキスをしたのは、こちらから攻めれば、イタリアは逃げていくと予想していたからだった。それと少しの対抗心だ。イタリアが望んだような自分を演じて、仕返ししてやりたいと思った。
 しかしあの日、もう一つの気持ちに気づいた。万が一イタリアとセックスをすることになってしまっても、かまわない、と思っていたのだ。だからあんなことができたのだ。イタリアの唇はとても好ましく、もっと触れていたかった。本当は舌など入れる予定はなかった。
「っ……!」
 ドイツは両手で顔を覆う。
 思い出したくない。イタリアの顔を……。いくら柔らかさを心地よく感じることがあっても。男なのだから……。
 冷静になってみれば、すべて説明することができる。
 イタリアが抱きついてこないことに寂しさを感じていたのは、頼られていないような気がしたからだ。自分といえば、朝から晩までイタリアの世話をしっぱなしのときすらある。その状態と比較すれば、物足りないと感じるに決まっているので、ごく全うな精神だと言える。
 次に、何故あんなにも触れたいと思ったか。ちょうど一週間激務で、満足に自分の時間を持てず、自慰をしていなかった。欲求不満なのはあたりまえだ。今のイタリアが気に入ってつけているトワレは、ユニセックス向けのものだ。それにくわえ、イタリアは標準男性よりも、肌がなめらかで、柔らかい。髪もサラサラしている。触り心地の良いものを撫でてみたいというのも、ごく真っ当な欲求だ。どこもおかしくない。毛並みの良い犬が手の届くところにいたら、必ず撫でてしまうだろう。それと似たようなことだ。
 しかし、あんなことがあったにも関わらず、イタリアの態度は以前と少しも変わらない。それが安心であり、また苛立ちの原因でもあった。自身でもどうしたいのかよくわからないまま、もとから予定にあった旅行へ経つことになってしまった。そしてイタリアは……
「ドイツ、どうかしたの……?」
 イタリアが戸を半分開けて不思議そうにこちらを見ていた。いつから見ていたかわからない。今だと思いたい。
「入ってろと言っただろ」
「ぜんぜん服ぬいでないじゃん」
「今ぬぐ」
 そう言ってシャツに手をかけたが、イタリアはじっとこちらを見ていた。一歩近づいて戸を閉め、またもとの位置にもどって脱ごうとすると、また戸が横に動き、イタリアが顔をだした。もう一度閉める。また開く。完全に遊ばれている……。
「ねードイツー!」
 戸の向こうの声は笑っていた。鍵は内側からしか閉められないようだったので、片手で戸を抑える。
「ドイツー聴いてる? 俺先につかっちゃうよー、寒いから」
「さっきからそうしろと言ってるだろ」
「はーい」
 しばらくして、イタリアがボシャンと湯船に使った音がした。ため息をつき、服を脱ぎだす。
 一体何をやっているのだと、自分でも呆れていた。互いの裸なんて……日常的に目にしているのに。
 ぼんやりしながらシャツを脱ぎ、軽くたたんで洗面台横の開いているスペースに置いた。
「だーん!」
 急に後ろから抱きつかれ、心臓が飛び出そうになる。
「おい!」
 左にふりかえると、イタリアの肩の一部と、少し開いている戸が見えた。新築で静かな開閉音は、換気扇の音にかき消されてしまったようだ。
 イタリアの指先は冷たかった。ちょうど肋骨のあたりに触れている。腕は濡れていなかった。どうやら、一芝居打たれたらしい。
「一緒に入ろうよう〜」
 そういって抱きついたまま、背に頭を擦りつけてくる。
「あのな」
「どうかしたの? ドイツ……。さっきからなんか変だよね」
 トワレの匂いが強く香った。顔を背中に押し付けているようなので、声は、空気と言うよりも、体を通して伝わってくる。柔らかい頬が当たっている。手で触れた感触を思い出す。
 とても……、とても不本意だっが、自分の意思とは全く関係のないところで、下半身が目的を持った。洗面台へ体を向けたまま、一ミリも動きたくない状態になってしまった。言い訳はいくらでもできそうだったが、またからかいの種になる。知られたくない。
「どこも変ではない」
「そうかなぁ」
 下手をすると、イタリアは「俺が脱がせてあげる」と言い出しかねない。それだけは……回避しなければ。しかし背を向けたまま、脱ぐから、といったところで、先ほどの繰り返しだろう。どうすれば…。
自然に収まるのを待つというのは、あまりにも博打だ。そもそもいつまでイタリアが抱きついているのか分からない。
「ねーねードイツ、俺がぬがせてあげ…」
 ベルトに触れたイタリアの両手を、力強く掴んだ。
「バカを言うな。先に入っていろ」
 振り返ると同時に、頬へ口づけた。挨拶のキス以外に、自分からキスをすることは滅多にない。その為かイタリアも驚いていている。
 そのまま肩を押す。じりじりと浴室の中に押し込んだ。
「待ってろ、いいな」
 指を差しそう言い聞かせ、イタリアが頷いたあと、ゆっくり戸を閉めた。

***

 日本へ旅行に来て、初日の夜。頬にキスをもらって舞い上がっていた。
 ドイツが必要以外のキスをするのは、思い出す限り初めてだ。戸が閉まると、思わず左頬に手を当てた。自然と笑みがこぼれる。湯船につかって、ドキドキしながらドイツを待った。改装したという日本宅の風呂は、浴槽から何からほとんどが木で作られていて、とても温かい。それに、森のように爽やかな香りがする。
 ドイツが入ってきたら、なんと言おうかあれこれ考えながら、気分よく温まっていた。
 しかしふと、ドイツの気配が消えているように思った。もう10分くらい経過した気がする。顔をだしたら、また怒られるだろうか……。イタリアは少しだけ我慢した。
 のぼせてしまう気がしたので、ついに湯船から出る。おそるおそる洗面所への戸を開けると、そこにドイツの姿はなかった。
「ドイツ……」
 誰もいない洗面所にそう呟いて、イタリアはもう一度、髪を洗おうと浴室に戻った。急ぎ出て、シャツとパンツを身につける。
(待ってろって言ったのにさ)
 洗面所を出て廊下を渡り、居間に戻ると、ドイツと日本が炬燵に入っていた。茶を飲みながら、みかんを食べている。イタリアは口を尖らせた。
「もー、ドイツなんだよう」
 ドイツは目が合うと立ち上がった、小脇に洗面用具を抱えている。
「悪かったな。やはり風呂は静かに入りたいんだ」
 イタリアの肩を軽く叩き、居間を出ていった。悪かった、と口にしながらも、ちっとも悪びれた様子はない。イタリアはとぼとぼと炬燵に近寄り、ドイツが座っていた場所に収まる。
「ひどい……」
 つぶやきながら天板に頭を乗せた。
「まあまあ」
 日本はあたりさわりない相槌を打つ。
「ねえにほん……、なんでドイツは一人で入りたいのかな」
 イタリアは顔をあげ、日本を見つめた。
「ええと」
 日本は眉をひそめる。
「個人の家風呂なんて、普通は一人で入りますよ」
「でも、それって狭いからでしょ? にほんちのお風呂って、俺が二人くらい寝そべれるよ。広かったー」
 褒めると、日本は少し嬉しそうにはにかんだ。
「せっかくですからね。足を伸ばせて、腕もひろげて、ゆったりしたお風呂にしたかったんです」 
「じゃあ、二人ではいってもいいのにね」
「そうですねぇ……」
「今さ、ドイツと何話してたー?」
 日本はみかんを一房、口に放り込む。
「イタリアくんのことですよ」
「ヴェっ! なになにー?」
「イタリアくんが、最近夜やっている《恋人ごっこ》について」
「ヴェっ……」
 イタリアは驚いていた。ドイツがそれを日本に話すとは思わなかったからだ。一瞬怯んだものの、興味のほうが強い。
「なんて言ってたー……?」
「恥ずかしくて耐えられないと……」
 その意見は直接ドイツからも聴いていた。何度も、もうやめないかと言われた。でもきっと照れている部分もあるだろうと思っていたのに、こう人づてに聞かされると、本音だったのだとわかる。
ーーー俺が我慢している
 また、我慢させてしまったのだという事実に、イタリアは落ち込んだ。どうしてドイツが嫌だということを、やめられないのだろう。注意された通り、もっとドイツの気持ちを考えて、行動しなければ……、そう思ってはいるものの、そのときの衝動に流されてしまうのだ。
 ドイツに愛の言葉をささやくことは、イタリアにとっては楽しみなことだった。
 しかし、それがドイツにとって苦痛であるなら……、もうやめなければいけない。本当は、もっと早くに、やめるべきだった。それは前々からちゃんと頭の隅にあって、何度も、今日限りにしようと思った。話し合いの末、恋人ごっこを止めたからといって、急にベッドから追い出しはしないと、ドイツも約束してくれていたのに。
 恋人ごっこ、で言うようになった言葉は、全て、もともとドイツに対して言いたかった言葉だ。だからより一層、やめるのが惜しく感じた。
「私も聴いているだけで恥ずかしいですよ。やはりイタリアくんはすごいですよね」
「わはー……。だってさー。ドイツが一緒に寝てくれないっていうんだもん」
「ふふふ」
 何故そういう経緯になったのかも聞いたのだろう。日本はそれより深く尋ねてこなかった。
「俺ってさ」
 炬燵に足を入れたまま、仰向けに寝転がる。
「嫌だとか、迷惑とか、困るとかさ。そんなことばっかりだねー……。ドイツに」
 叱られたときにたまに思うが、こう口にしてみると、何故ドイツが懲りずに側にいてくれるのか、よくわからない。
「そうはいっても、ドイツさんにも得るものがありますよ」
「得るものって?」
「イタリアくんと一緒だと、楽しいのでしょう」
「ぜんぜん笑ってくれないよ」
「うーん……そうですよね……」
 日本も口ごもってしまった。
「恋人ごっこ困ってるってさ、どんな感じで言ってた?? ほんとに嫌な感じ?それとも照れてる感じ…?」
「そのー……」
 言い渋っている時点で、あまり良い状態ではなかったのだろう。
「俺ね。ほんとはドイツの怒った顔なんて、見たくないんだけど……。でも、なんかわかんないんだけど、そーゆーことばっかしちゃうんだぁ……」
「そうですか……」
「ドイツはさ、電話くれないし……。メールもくれないし。観光にはくるのに俺んちには泊まってくんないし。だから俺、やりすぎちゃうんだと思うんだよー」
 天井にむかってつぶやく。
「ヘンだよね……。いっぱい好きって言っても、すげー不安なときがあるんだ〜、伝わってるのかなって」
 日本が湯のみを置いた音がした。
「ちょっと厠に」
 そう言い立ち上がったので、イタリアも身を起こす。
「あっ、俺も場所忘れちゃったから教えてー」
 着いて行こうとすると、やんわり断ってくる。
「行きますか? トイレ……。一度外に出ますから寒いですよ。イタリアくんお風呂あがりなんですから、湯冷めしてしまいます。寝る前に連れて行ってあげますから」
「ヴぇ? うん……そっかー」
 日本は挙動不審だった。イタリアは炬燵から抜け出るのが億劫だったこともあって、身を起こしたまま、なんとなく日本を見送った。何かおかしい。
 廊下の足音が遠ざかるのを待って、イタリアは障子を開ける。中庭に面した渡り廊下に出て、少し歩くと、電気の付いている部屋がある。
 日本は布団の用意をしてくれているのだ。そう思った。
 障子をあけ中に入ると、やはり日本がいた。手前に一組、そして襖のあいた向こうの部屋に一組、布団が敷いてある。
 日本は奥にいて、布団の端を掴み、それを移動させようとしてた。
「用意してくれたんだね、グラッツェー!」
 顔をあわせ礼を言ったが、日本は慌てている。
「あーっ! イタリアくん。違うんですよこれは、別にそういったことでないんですよ。二つ並べて敷くことなんてあまりないので、つい習慣で別々に敷いてしまったなぁと、厠のついでに思い出しまして」
 そう言いながら、布団を引きずってこちらへ持ってきた。二つの布団を並べた。
「……にほん?」
「いえっ、なんでも!! そういうことなんですよ。朝は冷えますからねー。一緒に寝たほうがいいに決まっていますよ」
 日本の言い訳を聴いているうちに、ドイツが布団を離して敷くように言ったのだろうと、わかった。日本が、気付かれないうちにもとに戻そうと思っていたことも。
 きっとさっき、あんな話をしたからだろう……。
 イタリア自身は、風呂のこともそこまで気にしていなかったはずなのに、優しくされると、急に悲しくなってしまう。目の縁に涙がにじんでしまい、それが余計に日本を慌てさせた。
「もとに戻していいよーにほん……。俺がドイツに言うからぁ〜」
 イタリアは笑顔を作って言ったが、日本は気遣うような態度を変えなかった。
「ドイツさんは照れているんですよ」
「でもこうしろって言ったんだよね? なら戻しとこう……」
 日本はしぶしぶと言った感じで、布団を元へ戻した。
「ドイツさんは嫌がっているように見えますけど、鵜呑みにしないでください。私から言わせてもらうと、ドイツさんの言動は、全てツンデレという言葉一つで説明できるんです」
「ツンデレって、好きな人に意地悪しちゃうってやつだっけ? でも俺、意地悪されてないよ〜」
「意地悪といいますか……。最初は嫌いだった相手に好意を持つようになり、しかしずっと冷たく接していたので素直になれず、つい邪険にしてしまう。と…そんなかんじです」
「うーん……。確かにドイツって、昔はもっときつかったかなぁ……」
「ですよね!!」
 日本は身を乗り出してくる。
「ドイツさんの場合は、過剰に自身を律していると思うんです。イタリアくんにわざと冷たくしているのです。この布団の件だってそうです。私に仲の良いところを見せたくないのでしょう。それによって、その……」
「その…? 律するってさー」
「律するというのは、自分で気持ちを抑える、というようなことです」
 何故そんなことが必要なのか、全く分からなかった。もし少しでも好きだと思っているのなら、言わずにいられないのにと思う。
「ドイツが、好きな事を我慢してる、みたいなこと?」
「そうです」
「なんで我慢するのかな〜〜?」
「今の時点では、ツンデレだからとしか申し上げられませんが……。やはり、一度話し合ってみるべきと思いますよ。自信をもってくださいね、イタリアくん」


***

 日本は居間へ戻り、炬燵のそばで丸まっていたポチを呼び寄せ、テレビをつけた。
 イタリアはあの後、なんだかもう眠いといって先に寝てしまった。二人は、どうも上手くバランスが取れないようである。ドイツの気持ちもわかるが、かといって、イタリアの元気がないのも考えものだ。
 さっきのイタリアとのやりとりを、ドイツに話すべきか考えていると、風呂上りのドイツが戻ってきた。炬燵の、もといた一角に収まる。
「イタリアは? もう寝たのか?」
「ええ、よく温まったみたいなので……」
 ドイツの視線にいろんな含みを感じた。やはり、布団の件だろう。イタリアがどんな反応を示したか……。
「イタリアくん、やはりとても寂しそうでしたよ。残念がっていました」
「そうは言っても、寝たようだしな」
「寝たといいますか……、その、ふて寝といいますか。……ドイツさん」
 それ以上言うなわかっている、というように、ドイツは大きなため息をついた。
「口で言ってもわからんやつには、こうするしかないんだ」
「そうですかねぇ……」
 不満のように漏らしていても、ドイツは心を痛めているようだった。日本は余計なお世話だろうと思いつつも、話し始めた。
「私ですら、イタリアくんと外を歩くと、照れくさい思いをすることがままあります。ドイツさんが困っている部分というのも、もちろん理解していますよ。ですけどやはり、無理やり型に押し込めるようなやり方では、よくないと思うんですよ。ストレスも溜まりますしね……」
「何が言いたい」
「例えば、イタリアくんは……、フランスさんからの過度な接触というのを避けているでしょう。似たようなところだと、プロイセンくんや、スペインさんもそうですね。好意や下心が丸見えの人には近寄って行かない、と……」
「まあ、そうだな。確かに」
「それでですね。私なんかはやはり感情表現が得意でないです。感じるところとして、イタリアくんって、そういう相手との隙間を、無意識に埋めようとするんじゃないかと思いまして」
「なるほど」
「ドイツさんからは、叱られたり、注意をされたり、そういうことばかりのようですから……、なんとかして好かれたいと思っているみたいですよ、イタリアくん。それ故の愛情表現かと」
「そんなはずはない。俺のいうことなんてまるで耳を貸さないくせに」
「それは……おそらく、たぶんですが、ドイツさんの言うとおりにすると、不安になるのでしょう」
「なんだ、不安とは?」
 イタリアは、ドイツがかまってくれなくなることを、恐れているようにも見えた。ちょっかいを出すのをやめたら、そこで関係が終わってしまうかのように。はっきり理解はしていないようだったが、本能的に察知しているのだろう。ドイツが迷惑そうなポーズしかとらないのなら、そう思い込んだとしても不思議ではなかった。
「イタリアくんの不安は……、ドイツさんが好きと言ってくれないことでしょう」
 ドイツは眉を顰める。
「とにかくですね。ドイツさんの場合、もっと攻めていいと思うんですよ。イタリアくんがハグしてと言う前にハグをし、こまめに連絡をとって、会いに行くのです。良い行いをしたら過剰に褒め、好意もありのままに伝えるんです。もちろん、最初は恥ずかしいかもしれませんが、ドイツさんは欧州のかたなのですから、私よりはずっと容易いでしょう。続ければ、きっとイタリアくんはおとなしくなります」
「なるほど…。わからんところもあったが……。日本」
 ポチを撫でている日本の手を、ドイツが上から強く握った。日本は驚いて少し身構える。
「おまえはすごいな…。確かに、逃げまわるのは性に合わなかったんだ……。ストレスだった。だが、今の話で確信が持てたぞ。実は、俺も打開策として、以前似たようなことを考えたことがあったのだ。その時は理性が足りず失敗してしまったが……。もう一度試してみる」
「おお! そうだったんですか……?! そうですね。すぐに怒鳴ったりせず、優しくしてあげてください。冷静な判断をするためにも、理性は大切です」
「素晴らしい助言だ。感謝する、日本」
 ドイツは立ち上がった。伝わらないところもあったようだが、結果的に話してよかったと、日本は胸を撫で下ろす。ドイツは明日の予定を確認し、就寝の挨拶をしてから、早々に居間を出ていった。
 きっと明日には、いつもの二人に戻っているだろう。
 心配事が消えると、日本も急に眠たくなってきた。
 ポチを膝から下ろした。テレビを消し、炬燵も消す。湯たんぽの用意をしようとして、そういえば、二人用にも買ってあったのだと思いだした。
 とりあえず、今夜は自分の分だけでよいだろう。

***
 イタリアは真っ暗になった部屋で、布団に収まり丸まっていた。枕が涙で湿っている。
 ドイツが、布団を離してしくように頼んだこと、恋人ごっこを愚痴ったこと……。あんなに遠まわしな方法で、一緒に風呂へ入るのを拒んだこと……。それらの事実は、後からぐんぐんとイタリアの胸に突き刺さっていた。鬱陶しく思われているのがありありとわかる。
 遠くで、ドイツと日本の話し声が、かすかに聴こえる。
 間に一部屋はさんでいるので、内容は全くわからなかった。その話し声をきいているうちに、もとの状態に輪をかけて悲しくなってきて、イタリアは嗚咽を堪えていた。早く寝てしまおうと思えば思うほど目が冴える。
 しばらくして足音が近づいてくる。ドイツだ。障子の開く音がした。足音はイタリアの枕元で止まった。そこに腰を降ろしたようだった。灯りは既に消していたし、寝たふりをするのは簡単だったが、息が詰まる。
「イタリア。さっきは、すまなかったな」
 ドイツは、起きているのを前提に話しかけてきた。すぐに反応したかったが、こんなに大泣きしていることがバレたら……、余計に面倒と思われるに違いない。
やがてドイツの手が伸びてきた。頭まで覆っている掛け布団を剥がそうとしたので、とっさに抵抗してしまう。
「イタリア…? 起きているか?」
 もう一度、ドイツが掛けふとんの上部分を掴んでめくろうとした。今度も抵抗して、必死に布団をかぶり直した。もう起きているのはバレている。
「イタリア」
「おやすみ……」
「なぁ、寒いと思うが、ちょっと起きてくれ」
「静かに、していたいんでしょ……、俺、しゃべっちゃうもん」
 自分の口から、嫌味のような言葉がでたことに驚いた。何故か頬がカッと熱くなる。
 この気持ちは、一体何なのだろう……。ただ、どうしてもドイツの言うとおりにするのが嫌だったし、今日は話もしたくない気分だ。
「……泣いているのか?」
「違うよ」
「だが」
「おやすみ」
ドイツはしばらく静かにそこに座っていたが、ようやく立ち上がろうとする衣擦れの音がする。イタリアがほっとして力を抜いた時、急に掛けふとんがめくられ、体を抱き起こされた。一瞬何が起きたのだかよくわからない。
 突然、力強く抱きしめられる。
「ドイツ…?」
 挨拶時のような軽いものでなく、指先まで力の入った抱擁だった。イタリアが求めていたものだ。
 ドイツは離さなかった。まるで時が止まったように動かない。静かで……、部屋のどこかにある、時計の秒針の音しかしなかった。呼吸するたびに少しずつ、さっきまでの意地悪な気持ちが、どこかへ飛散していく。
 やがてイタリアもドイツの背に手を回す。肩に頭をもたれた。ドイツの髪はまだ少し、湿っていた。
「ドイツ、良い匂いだー……」
「おまえもな」
 心臓がドクンと跳ねる。ドイツの唇が、耳のうしろに当たっている。吐息が聴こえた。
 なんだか様子がおかしい……。そう感じたが、自分からこの抱擁を終わらせようとは思わなかった。
 やがてドイツが体を離し、軽く頬にキスをした。
「おやすみ」
 立ち上がろうとしたので、イタリアはシャツの裾を掴む。
「ドイツ、あのさー! ふとん……」
「なんだ」
「ふとん……別々に敷いてあるけど、もう少し、一緒にいたいな……」
 ドイツがふとんを別にするように頼んだことは知っていたから、あまり勝手なことはしないでおこうと思っていた。いつもならば何も言わず潜り込むけれど、何かドイツなりの考えがあるといけない。相手の気持ちを考えろと言われたことを、思い出した。
 するとドイツはもう一度屈んだ。再び力強く抱きしめられ、今度は後頭部をわしわしと撫でられている。息が止まりそうだった。胸が様々な感情で溢れる。ドイツが離れそうになると、今度はしがみついて甘えた。
「もうちょっと……」
 ねだり続ければ、ドイツは一晩中でもこうしてくれるような気がした。今日のドイツは、やはりどこか違う。もしかすると、風呂をすっぽかした罪滅しなのかもしれない。
「お風呂のこと……、もう気にしてないよ」
「どうしてそんなに一緒に入りたいんだ」
「二人で入ったほうが、楽しいよー」
「そうか?」
「んーと……。お風呂って気持ちいいでしょ? 気持ちいいのを、好きな人と一緒に感じたいっていうか…。だから、一緒に寝たいのも、俺、そーなのかもね」
「そうか。まぁ…言いたいことは分かるぞ。食事は誰かと食べたほうが美味しく感じるものだ」
「だよね」
 イタリアは抱き合って暖かいが、裸のままの尻や足が冷え、そろそろ布団に潜りたくなる。裸で寝るイタリアのために、結局、日本は掛けシーツと、毛布を二枚追加してくれていた。重くないかと聞かれたが、質のいい羽毛布団のおかげなのか、全体としてはイタリアの家の仕様より軽かった。そして温かい。
 抱きしめる力を緩めると、自然とドイツも離した。
「……俺のことが好きか?」
 普段ドイツはこの手の話題を、自分から振ることはない。イタリアがどれだけ好きと言おうとほとんど無視して会話を逸らす。意外すぎて返答が遅れてしまった。
「好きです……」
「わかっていると思うが……、俺も、おまえのことがそんなに嫌いではない」
「そっかー」
「……こうして、長旅をして苦ではない程度には、好き…だと思う」
「嬉しい」
「実はな、恋人ごっこも、口で言うほど嫌じゃない……」
 イタリアは、ドイツの腕を掴んだ。話は聞きたいが、起きているのは寒くて限界だった。
「ドイツ、あの、俺寒くて……」
「ああ、すまん」
 そう言うとドイツは、布団にイタリアを押し込んだ。一緒には入ってくれなかったので、少しがっかりする。
「はっきり答えろよ」
「うん」
「お前は、俺に……、セックスを求めているのか?」
「せっくす……!?」
 言葉を繰り返したまま、絶句してしまった。ドイツから、セックスという言葉を聴くのも、ほとんど初めてのような気がする。普段ドイツは、ぼかしたり、まわりくどい比喩を使ったりする。
「俺とドイツがするの…??」
「一度でも考えたことは?」
「無いよ。ドイツはある? あ、でもドイツがどーやってオナニーしてるのかは想像したことあるよ」
「《恋人ごっこ》は、本当にそうなりたいのかと…」
「ヴェ? うん…。ドイツが愛してるって言ってくれたらすげー嬉しいけど」
「ふむ。では肉体的な交わりは必要ないんだな」
「あっ、俺ハグはしたい!」
「まあ、それはわかってる」
「後ろからハグされるのも好きだな〜」
「……それもよしとしよう」
「ドイツの膝の上にのりたい」
「まあいい」
「朝、叩くんじゃなくて頬にキスして、優しく起こして欲しい……」
「おまえが起きないからだろ…!」
 ドイツは少しだけ口調を荒らげたが、咳払いをし、すぐに小さな声に戻った。
「あのなイタリア……。膝の上に乗る、までは、まあ友人の範囲内だろう。しかし、頬にキスして起こすのは度を超えていると思う」
「そうかなぁ……」
 イタリアはそうつぶやきながらも、ドイツとこんな話ができることが嬉しかった。
「ねえ、もしかしてドイツって、俺とセックスしようと思ってたの?」
「そんなわけあるか! ばかもの! ……おまえが紛らわしいことばかりやりはじめるから。断じてセックスなど……」
「俺ドイツとならしてもいいなぁ」
 普段なら、怒鳴られるところだ。しかし、ドイツはため息ひとつで終わらせた。
「してもいいとかじゃないだろう。互いが求め合い、愛を伝える手段として、自然に、セックスをするのだ」
「ふうん……」
 ドイツの、まるでロマンス小説のような考え方が、嫌いではなかった。イタリアはにやにやしながら、ドイツを見上げた。ドイツが本気になって、それを求める相手とはどんな人なのだろう。
「ねえ、俺とドイツだったらさー。どっちが入れるほう?」
「変なことを考えるな」
「男同士ってすげーきついっていうよね。ドイツでかいし……、俺ぜったい入んないよ。俺がドイツにいれたほうがいいのかなぁ」
「………知らん」
「気持いいのかな」
「フランス…とかに聴いたことないのか?」
「うん、あるけど……。ほんとに愛してる人だったら、抱き合ってキスしてるだけで満足するくらい、気持ちいいんだって……。だから、女とか男とかは後から考えるって言ってた」
「まあ、なんというか……フランスだな」
 ドイツは頷きつつも、眉をしかめていた。
「でも俺さー。ドイツとって、そういうのに近いんじゃないかなーって思う……」
「何がだ」
「だって、ハグしてるだけですげー気持ちいいもん」
「キスはしてないだろ」
「でも」
「馬鹿なこと言ってないで寝ろ」
 ドイツはもう一度頭を撫でた。立ち上がり、背後の襖に手をかけたが、また枕元に戻ってきてあぐらをかいた。
「別に、馬鹿なことではないな」
 真面目な声でそう言う。イタリアは、いつもと違うドイツに落ち着かない。全く今日は、どうしてしまったのだろう……。
「ドイツ……、なんかさっきから」
「してみるか。その……キス…を」
 イタリアは今度こそ本当に何を言ったらいいのか、わからなくなってしまった。
「あんなこともあったし、あくまで、おまえが嫌でなければだが」
「キスして……ハグするの?」
「そういうことだ。そうすればはっきりわかるだろう。俺とおまえの、関係が……」
 暗くて表情がよくわからないが、ドイツが真剣なのは伝わってくる。イタリアには断るなどという選択肢はなかった。
「うん。でも俺寒いから、ドイツもこっち入ってよ」
「よ、よし……いいだろう」
 手首を掴むと、ドイツはなんなくふとんの中へ滑りこんできた。


***

(怯んではいかん…)
 手始めに、口の端にキスをした。薄暗くて表情がわからないので、自然と目を閉じる。
”抱き合ってキスしてるだけで満足するくらい、気持ちいいんだって”
 試して、もし本当にその通りだったらどうすればいい。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
(とにかく攻めるのだ)
 日本と話したことを、頭の中で反芻する。
 しっかりと唇を合わせた。少し前に『気持ち悪い』と言われたことが蘇り、はたと動きが止まる。舌を入れなければいいだろうか。今のところ嫌がるそぶりもないが、どこからが気持ち悪いのかよくわからない。やがて、イタリアも抱き寄せるように腕を伸ばしてきたので、安堵する。
(キスも、……飽きるまですればいい)
 横髪を梳きながら、時間をかけて唇を味わった。同じ事を繰り返すうち、意識がぼんやりとしてきて、温かい吐息と唇の感触だけが、くっきりと浮かび上がる。
 イタリアも同じようで、次第に息は一定になり、動きが緩慢になっていく。
 唇をついばむたびに、気持ちが解れていくようだった。できることなら、ずっとこうしていたい。
 イタリアもゆっくりと後頭部を撫でてくる。こうしていると、本物の恋人になったような気がしていた。恋人ごっこの”愛してるよ”を思いだしてしまう。表情は暗くてよくわからないが、きっと寝入る寸前のような顔をしているのだろう。
 ついには欲が出てきてしまい、イタリアの乱れた姿を見たいと感じていた。きっと、たまに聴こえるくぐもった鼻声のせいだろう。
 胸の下の体を抱きしめ肌をなぞりたい。
(イタリアは快楽に弱いから、一度覚えたら何度もねだって、きっと、その姿はとても……)
そんなことを考えるうちに、やはり下半身は気づかれたくない状態になっていた。四つん這いで肘をついている格好なので、気づかれることはないと思うが、不意な動きがあるといけない。
「ドイツ……」
キスの合間に聴こえたので、顔を離す。言葉を待つが、イタリアは何も言わない。
「なんだ」
「俺……。ねぇ、今ドイツ、どんな気持ち…?」
「まぁ、悪くないな」
「う、うん、そーだね……」
 そっと肩を押されたので、起き上がった。体の上から退こうとした時、腿がイタリアの股間に当たってしまい、そこがやや硬さを持っているのが分かった。ビクリと震えたので、気づかないふりもできなかった。
「わあ! ごめん……、俺、今すげーエロいこと考えてた!」
 戸惑い、困惑している様子が新鮮だった。
「何を考えていたんだ」
 いつもなら馬鹿者と一蹴して追求しないのだが、なんとなく口にしてしまう。
「ヴぇっ……」
 まさか訊かれると思っていなかったのか、言葉が返ってこない。もう一度上体をかがめて、頬にそっと触れた。イタリアは首をすくめる。
 男とは思えないほど柔らかな頬を撫で、指で首筋をたどった。
 イタリアは、めずらしく警戒するようにその手を掴んだ。
「ドイツ……、ちょっと酔ってる?」
「いや」
「そうだよね。ぜんぜん…においしないしね」
 声は笑っている。しかし、息継ぎの仕方を忘れたように変な箇所で引っかかっている。やや掠れ、震えていた。気持ちは高揚していた。一体何を聴けるのか。この様子なら、自分も同じ状態にあることを、告白してもかまわないのではないか。
「いつも……おまえが望むような、俺ではないということだ」
「なっ……なにが??」
 イタリアが息を飲むのがわかった。緊張しているのか。自分がこんなふうにイタリアを追い詰めることができるとは、思わなかった。
「何を考えていた?」
「いろいろだよー」
「例えば」
「えっ、あのね……、ええと……、あの……うーんと。……ベッラの裸とか、かなぁ」
 答えは想像していたものと違った。何故か胸が痛んで、そのことに自分でも驚いて、ごまかすようにため息をつき、前髪をかき上げる。キスをしている間じゅう、そんなことに思いを馳せていたのかと思うと、腹立たしい。あんなに優しく撫でてやったのに。
「そうか」
 こういう勝手な性格だと知っていたはずだ。恋人ごっこだとか、一緒に寝たいだとか……。本当に、本当に馬鹿らしい。触れたがるくせに、それ以上は求めない。するつもりがないから、セックスしてもいいだなんて気楽に言うのだろう。だから人の気も知らず、ところかまわず抱きついてくるのだ。
 イタリアのからかいは、親しみを感じることもあるが、冗談として受け取れないことも多い。
 それは、きっと価値観や国民性からくるものだとわかっているが、なんだか、間に受けてしまう自分が、ひどく滑稽に思える時もある。
 ふとんから出て立ち上がると、ドイツは……? と、イタリアが尋ねてきた。
 もうおまえとキスなんてしない、よっぽどそう言おうかと思ったが、日本の言葉が頭をよぎる。好意を伝えるだなんてことは、イタリアを付け上がらせるだけだ。どうしても素直になれない。結局、問いかけを無視して襖を閉めた。



 自分のふとんへ横になり、目をつむった。
 攻めると決めたんではなかったのか。途中までは上手くいっていたはずなのに、イタリアがよそ事を考えていたのだと知って、急に何もかも馬鹿らしくなってしまった。
 夜の恋人ごっこなんてもう絶対にごめんだ。心地いいと感じていたのも、何かの錯覚だったのだろう。イタリアが一緒に寝ようとしたら、何か罰を与えないといけない。だらだらと甘やかしてしまったから、こんな面倒くさいことになってしまった。
 苛々しながら寝返りを打つうち、下半身はほとんど萎えていた。しかし、ようやく意識がぼんやりしてきた頃、スッと襖が開く。そば殻枕の音と共にイタリアが近寄ってくる。
「そっち行っていい?」
「だめだ、一人で寝ろ」
「恋人ごっこ、嫌じゃないんでしょ?」
 イタリアは既に掛布団へ手をかけていた。覆いかぶさるようにして言う。
「愛してるよ」
 声は穏やかだった。イタリアは本当に、人の神経を逆なでする天性の素質がある。どんな顔をして言っているのだろう。怒る気にもならなかった。
「そうやって言えば、同衾していいなんてな……。全くおかしな話だ」
「なんだよう。ドイツだって、反対しなかったじゃんかー」
「俺が一度でも同じことを返したか?」
「……またそういうこと言う…」
 珍しくイタリアが大げさな溜め息を吐いたので、なんだか腹が立った。
「また、とはなんだ」
「気持ちを考えろって言うんでしょ? ドイツが恋人ごっこに乗ってくれないのは、どうしてかって、考えなきゃいけなかったんだよね。でもさ…、一緒に寝かせてくれたから……いいのかと思うじゃん」
「仕方無くだ。おまえがしつこいから」
「俺、ドイツの気持ちなんてぜんぜんわかんないよ。お風呂で避けたのに抱きしめてきたり、いっぱいキスしたのに急に怒ってるし、もうぜんぜんわかんない。さっきのキスだって、ドイツからしてきたのに。どう思ったか教えてよ。わかんないよ、俺のこと、好きって……さっき言ったよね?」
「ふん、好きだと? それは……、おまえのせいだ」
 腕ごと、強くイタリアの体を押し返した。
「俺のせい?」
「おまえが好きといってくるから、俺もそんな気になっていただけだ。勘違いだった。本来、おまえのような無神経で勝手なやつは、大嫌いなんだ」
「そ……れって、だめなの…? 」
「だめだ。例えばだな。おまえが急に、俺に興味をなくした場合……、好きとかどうとか言わなくなった場合。俺だっておまえに興味をなくす。俺は……、きっと好きといってくれる人が欲しいだけだ。俺を好きだと言うおまえに好感をもっているのであって、おまえではないんだ」
「ヴぇ? 俺だよ?」
「だから…俺は見返りを求めている。たまに優しくしてやるのは、おまえが、好きと言ってくれるからだろう」
「…そうなの? でも別にそれって普通じゃない…?? 俺は好きって言っちゃうしー…、それでドイツと仲良く慣れるんなら嬉しいよ」
「だから…! 本来は絶対嫌いなはずのおまえと、こんなやりとりをしているから、ややこしくなるんだ! もう出ていけ」
「う〜〜」
 しばらくして、水滴が顔に垂れてきた。驚いて拭うと、どうやら涙のようだ。
「俺、ドイツが好きだから、一緒にいたいの……」
「だから俺は」
「ドイツは、俺の気持ち…考えてくれたことある……?」
「あ……、あたりまえだろうがバカ」
「うそだよ」
「嘘じゃない」
「さっきあんなキスしたのに、一人で寝るなんて無理だよ!」
 顔面に、そば殻の枕が叩きつけられた。
「おい!」
 払いのけて起き上がり、電気をつける。イタリアの顔は涙でびしょびしょになっていた。
「旅行楽しみにしてたのに、なんでこうなっちゃうんだろ」
 俯きがちに言う。
「俺、無神経で勝手なやつかもしんないけど、ドイツだって」
「そうかもな。だが、おまえに比べたらずっとましな方だ」
「でもさ」
「おまえ……、さっき自分がなんて言ったか覚えてないのか? 最中に、ベッラの裸を想像していたと言ったんだぞ! キスの最中に!」
 思わずついて出た言葉に、驚いて口を覆い横を向いた。視界の端でイタリアを見ると、怒鳴られた意味がわかっていないようで、固まったままこっちを見ている。
「い……今のは聴かなかったことにしろ……」
 一応そう付け加えてみたが、何の反応もない。しばらく視線を彷徨わせて動悸に耐えていると、イタリアは鼻をかみたいのか、ティッシュを探して首をめぐらせた。床の間の手前に置いてあったティッシュ箱を、掴んで投げてやる。
「ありがと……」
 イタリアは思い切り鼻をかむ。涙も拭うと、顔を上げ見つめてきた。
「ベッラのこと考えたらだめだった…?」
「だめだったとかではない…。キス…しているのに、それとは別人のことを考えるなんて、なんというか……、よくないだろうが」
 言われて、イタリアは初めて気付いたような顔をして、はにかんだ。
「そっかー……。えっと…ドイツの唇、思ったよりふわふわでさー、やわらかいなーって思って。なんかさ、口と口だからなのかな……」
「だから、ベッラのことを考えていたから柔らかかったんだろうが」
「ねえ…、ドイツとキスして勃っちゃうってさー、変だよね…?」
「だから、ベッラのことを……」
「う……うんでも、それはちょっとで、ほとんどはドイツのこと考えてたよ」
「またおまえは……」
 ドイツは俯き、深いため息をつく。この手に騙されてはいけない。
「本当に調子のいい奴だ…。そんなことを言って」
「ドイツはどう思う?」
「……男、でも……、気持ちいいこともあるんではないのか?」
「そっかなー。でも、男同士なんだよ」
「俺も……実を言うと、すこし変な気分になったのだ」
「ほんと?!……変な気分て、えっちな気分?」」
 イタリアはティッシュ箱を投げ出し、身を乗り出してきた。
「まぁ、そうとも言える……。いくら男相手だろうと、俺とおまえは寝所を共にするような仲なのだから、普通よりは、……嫌でないし、なにか勘違いするようなことがあったとしても、生理現象なんだし仕方ないだろう。自分の意思でどうこうできるものではない」
「うーん……そっか。でも、気持ち悪いよね、ごめんね」
「俺はそんなふうには感じないぞ」
「なんで?」
「お……俺がキスしているとき、何を考えていたか」
「うん」
「できたら、しばらくこうしていたいと…」
 イタリアは言葉を失い、目をしばたたかせ、こっちを見つめていた。
「ヴぇっ……、てかさ、それって…?? 俺のこと、すきなんじゃないかなぁドイツ…。さっきセックスしたいって言ってたし」
「したいとは言ってないだろ!」
「……どういうこと?」
「その、だから……」
 咳払いをして続ける。やはりイタリアには、回りくどいやり方では伝わらないようだ。
「おまえのことが……、その、以前より、大切に思えて……、優しくしたいような、気がするのだ、だからっ」
 手には汗をかき、顔がどんどん火照っていく。照明の加減で分からないといいのだが…。
「だから、一緒に寝ても良いということだ」
「グラッツェ! 大好き、大好きだよ、ふとん並べよ〜!」
 イタリアは飛びついて頬にキスしてから、隣から布団を引きずってきた。枕を並べ寝転ぶと、見慣れた横顔がこちらを向く。敷き布団に沿って、スッと手が伸びてきた。触れただけの指先を、そっと絡める。
 大げさに反応され、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。だがここに居たくもあり、手を繋いでいるのも好きだ。矛盾している。
「ねー、ほんと今日はどうしたの? ドイツ」
「黙れ」
 イタリアに伝えたいのはこんな言葉ではないのに、いつもひどい扱いをしているせいか、気の聞いたことが言えなかった。普通に受け答えするだけでいいのに、それすら出来ていない。
「イタリア、俺は」
 天井を見ると電気がついたままだ。二人共寝そべってしまったし、起き上がるのが億劫だな、とぼんやり考える。
「少し前の話になるがな。俺は、おまえに対して我慢していることは山ほどあるが……叱ってないことは一つもない。だから……、安心するといい」
「それって、安心していいの……?」
「それと……、確かにな。気持ちを考えろと言ったが……、俺も、たまにおまえの気持ちが全くわからないことがある。おまえは俺よりずっと察しが悪いんだから、その点をもっと考慮すべきだった」
「うんうん」
「正直に言うが……セックスがしたい、おまえと」
 反応が気になったが、一気に吐き出した。
「恋人ごっこをやる少し前くらいから、本当はそう感じていたんだ。自分では気のせいだと思おうとしていた。こんなこと、普通は理解されないだろう。お前は……女が好きだし」
「うんでも」
 イタリアは言葉を重ねる。
「でもほんとにドイツがしたいんなら……、俺考えてみるよ」
「本気で言ってるのか?」
「ドイツのちんこは入らないかもしれないけど……」
「そっ……それだけではないしな。別にそれだけでは」
 我慢できず顔を倒して、イタリアのほうを向いた。
「入れる入れないなどは、ひとまず置いておくことにしよう」
 肩を掴み視線をあわせ、ゆっくりと顔を近づけた。しかし、イタリアの顔が横にそれる。少し追いかけたが、また逸らされる。
「ドイツ、肩いたいよー」
「すまん」
 いつのまにか、指先に相当な力が入っていたようだ。手を離してから、気を取り直して深呼吸し、もう一度迫ろうとすると、今度はイタリアの手が顎を押し返してきた。
「……どうした」
「ううん。なんか、えっと……いつものドイツじゃないみたい」
「俺は俺だ」
「そーだけど……、どーしたの? ……息も荒いし、」
「別に、きょっ……今日すべてをどうこうなんて、思っていないぞ。ただ本当に、俺は真剣に」
 肩を掴むと、イタリアが眉間に皺を寄せる。そして手から逃れるように、体をよじった。
「ち……ちからが強いです……」
「ああ、すまん……何故だろう、つい」
 イタリアは起き上がってしまった。
「ね、俺……、なんかお仕置きされるとかじゃないよね?」
 そう言い、不安げに見つめてくる。意味がわからず首をひねった。
イタリアの手首を掴むと、すぐに払われる。
「なんか……なんか恐いよドイツ」
 そんなに必死な顔をしているのだろうか。笑顔を作ってみたが、イタリアの怯えた様子は変わらなかった。ふと、脳裏に日本の台詞が響いた。
《もっと攻めていいと思うんですよ》
《きっとイタリアくんはおとなしくなります》
 まさかとは思うが、好意が過剰すぎて、その状態になってしまったのだろうか……。いつもの自分とは一体……?? どんな振る舞いだったろう。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
「キス……、したくないか?」
「さっきすげーいっぱいしたから」
「そうだな」
 手を下ろし少し考えたあと、諦めて電気を消し、仰向けに寝転んだ。じっとしていると、イタリアも再び横になる。何故かさっきより少し距離があいている。
「無理やり…なにかしたりしないから、気にするなよ」
「何かって?」
「………キス、とか…な」
「うん、大丈夫だよ」
 もっと会話をしたかったが、なかなか言葉が思い浮かばなかった。そうこうしているうちに、イタリアのほうからは、一定の呼吸が聴こえてくる。体に触れていたい欲求があったが、また下手なことをすると逃げてしまうような気がして、我慢した。思ったよりも加減が難しい。それにしても、こんなに離れていたのでは、布団を並べた意味がないのでは……。
 目を閉じて思う。明日の朝、頬にキスをして起こしたらどんな顔をするだろう。想像するうちたまらなくなって、ほんの少しだけ、指先に触れた。

2012.03.08〜12
2012.06.26 加筆修正




つづき