おまえのしてほしいこと

「またか……」
 部屋に戻ってため息をつく。ため息といっても、もうくせになってしまっているので、それほど大きな意味はない。
 ただ、イタリアに見せるための一つのポーズだった。迷惑だとか、うんざりしているとかそういったポーズだ。ドアを閉めベッドに近づく。ベッドの奥半分が人型に盛り上がっている。もう慣れたもので、何も言わずにベッドに上がった。
 昔のイタリアはもっと遠慮がちに、ばれないよう忍び込んできたと思う。気づいたら朝、隣にいるということがままあった。逃げ足は早いが、こういったことも得意なのだな、と感心するほどに気づかなかった。それは自分がある程度、イタリアに心を許していたのも原因だったと思う。
 少し前は、イタリアを力づくでベッドから下ろしたり、叱ったりしたこともあった。
 だが考えてみればマイナス面は、ベッドが狭くなることのみ。一度寝てしまったらイタリアは静かだし、寝相もそんなに悪くない。一日の終わりにああだこうだとやりあって疲れるよりは、受け入れてしまったほうが楽だと、最近思うようになった。イタリアはそのやりあいを楽しんでいた節もあったようなので、当初少しつまらなそうにしていたが、もう慣れたようだった。
 ふとんをめくり、静かに横になる。具合のいい位置に頭を移動させ、イタリアに背を向けた。
 寝入りばなに喋ることもあるし、そのまま寝てしまうこともある。ほとんどはイタリアに委ねられていた。今日は静かだった。何も無いようだ。何もない時はなんとなく、一声かけてから寝たかった。タイミングを思案する。
「ヴェぷしっ」
 くしゃみが聞こえて、すぐにイタリアのほうを向いた。
「イタリア」
「ごめん」
「寒いか?」
「うーん」
 イタリアはあいまいな返事をする。夏場は適当に寝かせておけばいいが、冬は下着一枚でもあるなしで随分温かさが違う。断固として裸で寝ようとするイタリアの言い分は、寝ているときはリラックスしていたいのだと言う。いつもリラックスしているくせにと思うが、眠れなくなるとそれはそれで困るので、下着を無理強いはしなかった。
 考えた末にベッドから降り、他の部屋から毛布を二枚持ってきて、ややイタリア寄りにかける。
「これでいいだろ」
「ありがとー」
 再び横に並んで背を向けた。意識が眠りの淵へ落ちていく中、イタリアの台詞を反芻する。礼を言われたくて持ってきたわけでなく、ただ寒そうだったからなのだが、気分がいい。イタリアは常識が著しく欠落しているところもあるが、礼だけはちゃんという。どんな場面でも……。
「ヴぇぷしっ」
 また聴こえて、つい身を起こした。肘をついて起き上がり、イタリアの額に手を伸ばす。体温は普段とそう変わらない。もしかすると、これから熱が上がるのだろうか。
「今日何か変わったことをしたのか?」
「う……ううん」
 やましいことがあると分かる声色だった。
「何かしたのか?」
 厳しい口調でもう一度訊くと、イタリアは言いにくそうに口を開いた。
「湖に落ちたー……、スイスんちの……」
「落ちるな」
「山の写真撮ってる子達がいてさー、頼まれて手伝ってたんだ」
 どうせ、若い女性の観光客だったのだろうと想像した。いいところでも見せようとしたのだろうか。
「まったく……。ちゃんと服を乾かさなかったんじゃないのか。気分はどうなんだ」
「普通だよ」
「何かしてほしいことは?」
「えっと……」
 イタリアの言いそうなことは予想がつく。きっと、くっついて寝たいとかそういう類のものだろう。男同士として、今まで断固拒否してきたが(そもそも同衾を許していることが、ずいぶん譲歩している)緊急事態と言われれば、跳ねつけるほどのことではない。それで少しでも明日の体調が良くなるなら、協力しようと思う。
 イタリアが言い出すのを待った。しかし、一向にはっきりとしたことを口にしない。
 悩むように唸ったあと、のどが渇いた、と言った。
 枕元の電気を付け階下へ降り、湯冷ましと、ついでに温めたワインを作った。イタリアに与え、空になったマグカップを受け取る。それをナイトテーブルに戻す。一息つくとイタリアは再び横になる。笑顔だった。
「グラッツェ〜、あったかくなってきたかもー」
「そうだろう」
 言いながら、自然とイタリアの肩をさすろうと手を伸ばしかけた自分に驚いた。途中で気づき、その手でふとんを首元に引っ張り上げてやる。最近、無意識で自分でも信じられない行動を起こしている時がある。特にイタリアに関しては。
「寝れそうか?」
「うんうん」
 灯りを消した。今度はイタリアに背を向けず、仰向けで寝転んでみる。
「寒くないか」
「うん、大丈夫ー。さっきかけてくれた毛布で、全然違うよ」
 それなら良かった……と思う反面落ち着かなかった。イタリアが必ずこういうときに言ってくる言葉を聴いていない。何故だろうと不思議に思う。例え本当に寒くなくたって、風邪を口実にねだってくるはずだった。
「おやすみ〜」
「ああ、おやすみ」
 ちらとイタリアを横目で見やり、仰向けのままでいる。イタリアはこちらに体を向けて寝ている。どうしたことだろう。いつもなら……、こんな状態なら、腕を組んでくるに決まっている。そこまでいかずとも、手をつないで遠慮がちに指を絡ませてきたり、そっと頭を寄せてきたりするものだ。体調が悪かったり、寂しさを感じているときは決まってそうだ。待っていたが、イタリアの呼吸は徐々に一定になっていく。
(何かあったのか……)
 何かと言っても特に思い浮かばないが、イタリアの中で変化が……あったのかもしれない。ようやく気づいたのかもしれない。男同士で、ベッドでくっついて寝るということの異常さに。
何かを言われたのもしれない。そして考えを改めたのか……。うっとおしいと思ったことは何度かあるが、嫌というほどではなかった。
 ほんの少しだけ、今、寂しさを感じている。認めたくなかった。さんざん面倒を見てきた相手なので、きっと子育てしてきた親のような心境かと仮定してみる。
「イタリア」
 しかし気づいたときには、そう口にしていた。あたりまえだが、イタリアから返事がある。
「何ー?」
「……なんでもない」
「ヴェ……」
 イタリアが、じっとこちらを見ているような気がした。
「寒くないよ」
「おまえいつもは……、こういう時、ハグして寝たいだとか言うだろう」
「ん、うん……。おおー……そうだね」
 何故か心臓がバクバクと鳴っている。
「でも、いいんだ〜」
「何がいいんだ」
「うん、だってさ……」
 イタリアはそう言ったきり口ごもってしまった。その先をじっと待っていた。何故こんなに気にしているのだろう。体中の全ての器官が、イタリアに集中しているようだった。
「よくわかんないや。おやすみ〜〜」
 舌打ちをするような気持ちで、目を強くつむった。
(こいつは……!)
 イタリアの理解し難いところはたくさんあるが、こういうとき、自分と全く違う性格なのだなと思い知る。
「イタリア、本当に寒くないんだな」
 もう一度だけ訊いた。
「……もしかしてドイツ寒いの? ワイン半分こすれば良かったね」
 この流れなら、イタリアが温めようと寄ってきてもおかしくないのだが、それもなかった。
「そうでなくてだな…………」
 くっついて寝てもいいぞ、と……。
 その一言が、どうしても言えなかった。
 イタリアならば、きっと簡単に言える。本気でも、冗談めかしてでも……。自分は今更何を恥ずかしがっているのか。温めてやるという目的があっても、自分から言い出すのは躊躇われた。
「まあいい……、おやすみ」
「うん〜、おやすみ」
 口実を探していた。やはり、寒いだろうと言って抱きしめてやるのが一番いい。それにしても少し機会を逃してしまった。それからずいぶん考えた。
 結局イタリアが寝入った頃に、実行することにした。朝そのままでもなんとでも言えるだろう。イタリアに合わせてしまえばいい。
 何故か目は冴える一方だった。
 何十分か経った頃、イタリアの様子を確認してそっと手を伸ばす。二の腕に触れ、背中まで手をのばした。起こさないようにゆっくりと身を寄せる。丁度あごの下にイタリアの頭を収めると、ようやく落ち着いた。イタリアの体は温かくて……、とても気持ちよかった。吐息があたる胸元は少しくすぐったい。ふんわりといい香りがして、自分と同じ性別とは思えない。つい髪に鼻を埋める。思い切って体の下に手を入れた。やや強引に抱き寄せると、唸ったイタリアもそろそろと手を胴にまわしてきた。
「どいしゅ……」
 変な言い方に思わず吹き出しそうになる。しかし、無意識でも自分のことに気づいてくれるのかと思うと胸の奥が温かく、活力が漲ってくる気がした。
 だが同時に罪悪感も沸き起こる。
 求められてもいないのに、勝手にこんなことをして……。
 イタリアのやりたい放題と比べれば、ささいなこと。
 ああだが、寝ている隙を狙うのはどうかと思う。
 しかし、イタリアは高確率でこれを望んでいるはず。
 相反する気持ちがせめぎ合っていた。
(なんなんだ俺は……)
 ゆっくりイタリアから離れ、再び仰向けになった。体を離すと、急に寒くなったような気がする。
 そもそも、やはり同じベッドで寝ていることがおかしいのだ。別々に寝ていればこんな悩みは生まれない。きちんと話し合わなくては……。
 しばらく、ほのかに梁が見える薄暗い天井を見つめながら、イタリアの事を思った。
 抱擁を求めてこなかった訳についても考えていた。
 最近なにかあっただろうか…。思い当たることはない。考えることに疲れ果て、もう寝てしまおうと決め隣に注意をやる。静かな吐息に耳を傾けていると、心は安らいだ。
 昔は心底面倒に思っていた。だが不思議なことに今では、イタリアの存在が心地良く感じるのだ。
 朝起きたとき、枕に顔を押し付け眠そうに唸っている姿は心和ませるものだった。じんわりとした喜びが胸に湧き起こる。イタリアと友人でいて良かったと、その時ばかりは思うのだ。
 そういった感情の片鱗は注意深く隠して、イタリアに見せたことはない。話してしまったら、気恥ずかしくてもう二度と同じベッドでなんて眠れないと思っていた。
 単にイタリアを調子づかせたくないのか、それとも、イタリアに弱みを見せるようで嫌なのか……、自身でもはっきりとわからなかった。
 しばらく目を閉じていたが寝付けず、体を起こす。
 イタリアのほうが窓際に寝ているので、灯りがなくてもぼんやり表情がわかる。顔を眺めて、もう一度横になった。
 そしてふとんの中で、イタリアに手を伸ばす。左手に触れた。イタリアの指先はもう充分に温まっていたが、その上から重ねるようにして手を握った。頭に渦巻いていたのは、イタリアにキスをしたい、そのことだけだった。
 『一体なんのために』と問いかけるいつもの自分がいる。
 しかし、体は勝手に動こうとした。肘をつき身を起こして、イタリアを見下ろす。
 唇を見つめた。頬へのキスは日常的にしているが、唇を重ねたことはない。その行為がどんな意味を持つのかもわかっていて、イタリアに口付けたいと思っている。
(俺は……)
 イタリアの唇はやわらかいだろう。
 髪はいい匂いがして、首元に触れるとくすぐったがる。実をいうと、つけているトワレがとても好きだ。
 イタリアは、自分のことを好きだと言ってくる。いつも適当に躱してしまうが、本当は、そう言われるのが嬉しい。たくさん好きだといわれると、安心した。
 一言くらい返してもいいような気はしていたが、どうにも素直になれず、できない自分がもどかしい。
 唇を合わせた感触を想像する。寝ているのだから、イタリアの反応はないに決まっている。
 身を屈め、少し顔を近づけた。イタリアの匂いがぐっと濃くなり、嗅いでいるうちに、枷になっていた感情が脳内から次々と押し出され、キスのことしか考えられなくなっていく。しかし、あと指一本分ほどの距離で、我に返った。
 気付かれなかったからといって、何故キスをする?
 まるで後ろめたい行為のように、こそこそとしているのが自分では気に入らなかった。
 こんな風になったのは最近だ。
 イタリアに……やけに優しくしたいと思うのだ。
 寒ければ温かくして寝かしてやりたかったし、美味しい物を食べさせて、満足した顔が見たい。
 イタリアが自分に向ける「好き」の中に、性的な興味も含まれているのか、はっきりとはわからない。けれど、時々それに準ずるような恋人の行為を求めてくる。
 泣くときは胸に抱いて慰め、膝枕なども要求する。挨拶のハグとキスは、人目のない時は異常なほど長い。言わないと、ずっと抱きついていそうな勢いだった。
 そして、いつのまにか同じベッドで寝ることはあたりまえになった。
 イタリアを見ながら、ハグをしている時のことを思い出していた。掴んでいたイタリアの左手を、強く握り直す。それは自分の手が、イタリアの他の部分を触ろうと動こうとしていたからだった。心臓がドクドクと脈打っている。
 やがて完全に身を起こすと、イタリアから離れ、床へ足をおろす。立ち上がり、めくれてしまったふとんを元に戻して、静かに部屋を出た。


***
 あれから結局自室に戻ることはできず、リビングのソファで朝を迎えた。いつもより一時間も早く活動を開始する。新聞を取りに行った音で気づいたのか、いつのまにかベルリッツがリビングにはいっていた。ソファに戻ると、ついてきて足元に伏せる。それから、いつもは読み飛ばす箇所まで、じっくりと新聞を読んだ。
 朝食の支度をしている最中、キッチンに入ってきたイタリアは、全くいつも通りだった。
「おはよー…」
 ほとんど開いてない目で近寄ってきて、横から抱きついてくる。
「おはよう、体調はどうだ」
「うん、何ともないや」
「そうか」
 ほっとして、ヴルストを皿に盛り付ける手を止めた。作業を途中にして、イタリアに向き直る。
「イタリア、話がある」
 昨日、ベッドを抜けだした時から決意していた。先にダイニングに向かい、椅子に腰掛ける。
 キッチンからついてきたイタリアは、おどおどと不審そうに眉を顰めている。
「な、なにかなぁ〜……」
 改めて言うものだから、きっとひどく叱られると思っているのだろう。イタリアは所在なくテーブルの脇に立っていたが、座るように指示した。テーブルを挟んで斜め向かいに座った。
「もう俺の部屋で寝るのは禁止だ」
「ヴェっ……」
 イタリアは、不思議そうな顔で見返してきた。
「なんで…??」
「なんでもなにも……以前からちゃんと客室で寝るように言ってるだろ」
「いいじゃんかー、ドイツやだ?」
「嫌だ」
「狭い?」
「狭いし、迷惑だ」
「でもさ」
 イタリアは何も無いテーブルに視線を滑らせた。
「いっぱい喋りたいし」
「昨日なんて、風邪の事しか話さなかっただろう」
「眠かったからだよ」
「まあいい。これは規則のようなものだぞ。破ったら仕置があるからな」
「どんな? 痛いやつ?」
「破ることを前提にするな!」
「はーい……」
 イタリアは全く気のない返事をした後、少し考えこむように、テーブルを見つめていた。
「ドイツってさ……昨日ってだからいなかったの? 俺、夜中一度起きたけど……それから戻って来なかったね」
 寝付きのいいイタリアがトイレに起きる確率などごく僅かだ。何故こんな時にあたってしまうのか。
「風邪だったら……移ると困るだろう」
「そうだね……。でも今度からは風邪じゃなくても、だめなんでしょ」
「ああ」
「どうして急に?」
「急ではない。だから前から言っていると」
「ねえ俺なにかしちゃったかなぁ。この前までは普通だったのに」
「俺が我慢していただけだ」
イタリアは目を見開きしばらくこちらを見つめた後、、視線をテーブルの上に落とした。眉尻はこれ以上ないほど下がり、傷ついた、という顔をしている。
 多少厳しいことを言っても、ここで手を緩めてはいけない。イタリアは納得がいかないようで、しつこく食い下がってきた。
「でも……。どうしても一緒がいいんだよ。せっかく泊まるのに、どうして別々に寝るの? わかんないよ……」
「おまえ、じゃあ友人の家に行ったら、必ずそうするわけか」
「いじわる」
イタリアは口を尖らせて席を立った。
「ねぇ、じゃあ……なんでいけないのかちゃんと教えてよ。狭い意外の理由は?」
「俺達は男同士だし、友人だろ。例えばこれを、公の場で聞かれた時に、堂々と話せることか?違うだろ?」
「でもそんなの、前からずっとそうじゃん。友達でしょ? ずっと隣で寝かせてくれたのに……どうして今日言われたのかがわかんないよ。心の準備もできてないし」
「それは、たまたま今日だっただけだ」
一向に進展のない言い合いに苛立ってきた。
「ねーどうしてもダメ? 今度からジェラード一日一回しか食べないようにするから、お願い」
「だいたい、なんでそんなに一緒に寝たいんだ」
「ドイツが好きなんだもん」
「お…、おまえはおかしいぞ」
「好きな人と一緒に寝たいんだよ、すごく安心するし……」
「お前はそれでいいかもしれんが、俺の気持ちを考えろ」
「ドイツの気持ち……」
「仮にもだな、す……きっだとか言うなら、相手にどう思われるのか一度よく考えて行動しろ」
「ドイツはどう思ってるの…??」
「迷惑だと言ってるだろ」
 互いに黙ったまま見つめ合い、数秒経った所で、階段をどすどすと降りてくる足音がした。
 音はキッチンのほうへ向かい、やがて、ペットボトルに口をつけたプロイセンが現れる。
「朝飯は? もう食ったのか?」
「おはよー」
 プロイセンは準備の止まったキッチンを覗き見て、不思議に思ったようだ。
 同時に不穏な空気も察したようで、イタリアの隣にくるとペットボトルをテーブルに置き、足を開いて行儀悪く着席した。
「ったく、またイタリアちゃんいじめてんのかよぉ、先に飯にしようぜ。俺様がかっこ良く手伝うからよ。パンはあるんだろ?」
 軽口を叩くプロイセンを一睨みする。
「幸いもう話は済んだ。朝食はこれから準備する。では、わかったなイタリア」
「ヴェー……」
 イタリアは、可とも否とも受け取れるような返事をした。朝食後にもう一度話し合おうと決め、椅子から立ち上がる。このままでは、まともな方向へ話が進まない。
 しかしプロイセンは、さっきの言葉を聴いていなかったかのように間へ割り込んできた。イタリアの方を向いて尋ねる。
「んで? 何があったんだよ」
 イタリアは一瞬こちらを窺い見るが、すぐに話し出してしまった。
「ドイツがさー、一緒に寝るなって言うんだよ」
「それ前も言ってたよな。おい、あんまケチケチすんなよヴェスト。人んちで心細いんだろ」
 プロイセンはイタリアに頷きつつ、文句を言ってくる。眉間にシワを寄せ、ため息と共に吐き出した。
「……おかしいと思わないか? もううちには数えきれないほど泊まっているし、部屋なんてひとつイタリア用にしてある。心細いとか、あるわけないだろうが」
「でもでも、ドイツがいるなら、一緒に寝たほうがいいよね」
「それがわからんと言っているんだ!!」
「はいはいうるせーよおまえは! 朝っぱらから怒鳴んなよ!」
 怒鳴り返してきたプロイセンの声を聴いて自らの声の大きさを自覚し、口を噤んだ。イタリアに対してすぐ怒鳴ってしまうのは、悪い癖の一つだ。
「い…イタリアちゃん、良かったら俺の部屋で寝る?」
「ヴぇっ……いいの?」
「ヴェストはこう言ってっしよ。俺は別にイタリアちゃんがいてもいい……ぜ!」
 イタリアは目をぱちぱちさせていた。返答が出る前に、思わず口を挟む。好きだから一緒に寝たいと言っていたくせに。
「おい待て、それでは何も解決していないだろう。俺は一人で寝れるように努力しろと言っているんだ」
「ヴェスト、もういいじゃねーか。イタリアちゃんだって普段は一人で寝てるんだろうし……。たまに泊まりに来たときくらい、そういうのが楽しみなんだろ」
「だがな。さも自分のベッドのようにイタリアがいるものだから……」
「何が不満なんだよ。ベッドが狭くなるからか? 一晩ぐらいどうだっていーじゃねーかよ」
「一晩ならいいが、泊まりに来たときは毎回だ」
「毎回でもいいじゃねーか」
「だから、それが良くないと」
「あーもうケツの穴が小せぇんだよおまえはぁ!!!!!」
 プロイセンは勢い良く立ち上がり、椅子を後ろに倒した。
「そんなに嫌なら、最初っから泊まらせなければいいだろうがよ!なんだよ!!! イタリアちゃんがくるっつーと嬉しそうな顔し…」
 プロイセンの顔面へ椅子のクッションを叩きつけた。
「ってぇな!!!」
「口出ししないでもらいたい! 話は終わったと言ったろうが!!」
「おまえが勝手に終わらせたんだろ! イタリアちゃん全然納得してねーじゃねーか」
「わーっ! ちょっと待って待って……」
 拳を握ったプロイセンをイタリアが宥めた。
「ご飯食べようよ…!! お腹空いてるといいことないよね〜!」
 イタリアはひどい形相のプロイセンに笑いかけると、その次にこちらを見る。笑顔を見て、徐々に冷静になってきた。ムキになってプロイセンと言い合いをしていることが、少し恥ずかしい。
「ねっ、そうしよ!」
 イタリアはキッチンへ向かう。プロイセンは口を尖らせリビングを出ていく。目が合うと、バーカバーカ!と子供じみた悪態をついた。その後、玄関の開閉音と犬たちの鳴き声が聴こえたので、散歩に出かけたのだろうと分かる。
 結局、朝食はイタリアが準備した。手伝おうかと悩んだが、どうにも謝るタイミングを失ってしまい、仕方なくリビングの片付けをしていた。

***

 プロイセンが帰ってこないので、二人で朝食を食べ終えてしまった。その後イタリアを玄関まで見送る。
「プロイセン、どこまで行ったのかなぁ…」
「ずいぶんふてくされていたから、山のほうまで行ったのかもな」
「ケンカさせちゃって、ごめんね……」
「いつものことだ。気をつけて帰れよ」
「うん」
 イタリアが何か言いたそうにもじもじとしているので待った。
「あのさ……。ごめんドイツ、俺、ほんと…、そんなに嫌だって思ってなかったからさ」
「ま、まぁそういうことだ…」
 顔を上げたイタリアが瞬きをすると涙がこぼれたので、驚き目を逸らす。つい口が動いた。
「泣いたってダメだぞ」
「そんなつもりじゃないよう……」
「あ、ああ……。そうだな。わかってる」
 何故この期に及んで責めるような言い方をしてしまうのだろう。
「俺ね、ドイツが俺と同じ気持ちだと思っちゃうんだよ。ほんとに迷惑なんだって、全然わかんなかった。一緒に寝るの、ドイツも好きなのかなって思ってたんだ……」
「そんな……こと」
「だからすごく、びっくりしちゃった……急だったし」
イタリアは深く息を吐く。
「だったらさ、一緒に寝ること意外にも……嫌な事いっぱいあって我慢してるのかなって……」
 指摘にどう答えたらいいのか分からず、口を噤む。細々と注意したいことはあるが、イタリアだからとあきらめているところもある。我慢して、一緒にいるわけではないのだ。そして、それを覆い隠してもまだ有り余る魅力を、感じている。
「それとは少し話が違うが」
「今も我慢してる……?」
「俺は、文句は都度言ってるだろうが…」
「でも、俺わかんなかったんだよう。この間だってドイツ、くしゃみしてたら、毛布持ってきてくれたし……、ワインもくれたし……嬉しかったんだよう……」
「そもそも一緒に寝ているのが、本来おかしなことなんだぞ」
「…どうして?」
「だから、再三言っているが俺たちは男同士だ」
「だけど、友達だよ……」
「友達は……、ベッドがないなどの特別な事情でもないかぎり、一個のベッドには寝ないだろ」
「そうかなぁ……」
 足元を見つめたイタリアの頬が濡れている。拭いてやりたいのをなんとか我慢していた。
 これは、イタリアだけの問題ではない。自分が過保護になっていたところもあるのだろう。命の危険でもない限り、イタリアは放っておいても大丈夫なのだ。世渡りはイタリアのほうが何十倍も上手い。
 イタリアは元気をなくして帰っていった。少し胸が傷む。イタリアが『同じ気持ち』と感じていたのは、間違いではないのだから。
 しかしこれで、もう二度と一緒に眠ることは無いだろう。ほっとしたような、どこか……寂しいような。
 しばらく連絡を避け、落ち着いた頃どこか遊びに誘おうと思った。
 だがその日、夜半も過ぎベッドに入ろうとした頃に、携帯電話が鳴った。無視しようと思っていたが、やけに長いので表示を確認すると、イタリアからだ。何かあったのかと、思わず通話ボタンを押す。
「ドイツドイツ−!」
「なんだ、どうした? こんな夜更けに」
「俺すっげーいいこと思いついちゃったよ!!」
 朝とは違い、とびきり明るい声だったので面食らう。
「夜は、俺とドイツが恋人ってことにすれば、一緒に寝てもいいよね!!おかしくないよね!」
「は……?」
「平日だけど、明日の夜行ってもいいかな? また俺がごはんつくるから! ドイツのんびりできるよ」
「イタリ……」
「すげー楽しみ!じゃあ八時過ぎくらいに着くと思うからー!!」
一方的に電話は切れた。


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 その日、帰宅するとイタリアとプロイセンが揃って出迎えてくれた。ビールを飲みつつ何かで盛り上がっていたようで、二人とも上機嫌だ。
 どうやらイタリアが、エイプリルフールの写真を持ってきたらしい。フランスが各方面にバラまいていたあれである。
「じゃーな! おやすみ。ケンカすんなよ仲良くなー」
「うん、おやすみー」
「ヴェスト返事ぃ!」
「ああ、おやすみ……」
「イタリアちゃんいつでも待ってっから!」
 プロイセンと昨日の朝のような言い合いを避けたかったので、イタリアに任せ黙っていた。プロイセンには一体なんと説明したのだろう、不安だ。
 イタリアの背を押し部屋に入れると、すぐに向い合って尋ねた。
「あー、イタリア。電話で話した件だが」
「うん…!!」
 イタリアは、期待に満ち溢れた目で見上げてきた。気まずくて咳払いをする。
「早口で、よく意味がとれなかったんだが。説明してもらえるか」
「そうなの?! あのね、ドイツは一緒に寝たくないって言ってたでしょ?」
「ああ……」
「確かにさー、俺たち男だし、友達だし、ドイツが気にするのもわかんなくはないよ。昔イギリスにめちゃくちゃ馬鹿にされたもんね〜」
「なんだ、わかっていたんだな……」
 理由について、イタリアがかけらも理解していないものと思っていたので、この台詞に感動していた。
「だってもうドイツに100回くらい聴いたよ」
「ならば」
「だからさ、考えたんだよ」
 する、とイタリアの両腕が腰にまわる。正面から抱きしめられるような格好になった。
「一緒に寝てても不自然じゃないのって、恋人とかじゃない? だからさ、夜だけ……恋人ごっご。俺、いいと思うんだけどなぁ」
 イタリアの話し方には緊張感がなく、まるでパスタソースを選ぶかのような気軽さだった。
 一気に飛躍した話に、心臓が飛び出そうになる。昨日も電話越しに聴いたが、本人を目の前にすると頭が沸騰しそうだった。
 だがある程度予想できていたことだ。出来るだけ冷静に、動揺を悟られぬようゆっくりと、イタリアの腕を掴んで取り外した。
「……全く意味がわからないんだが」
「言葉通りだよ……」
 ひどく動悸がする。
 イタリアは少し酔っていて、頬と目元がふんわりと赤かった。ニコニコしている。
 プロイセンと飲んでいたなら、ペースも上がるだろう。シャツの胸元に目が行く。だらしないイタリアは、ボタンを3つめまであけていた。肌はいつもより色づいている。身動きできずに固まっていると、やがて胸板に頭を預けてきた。
「だめ?」
 イタリアの貞操観念は、自分と随分ずれがあるだろうと、なんとなくわかっていた。
 しかしこうも直接的に、誘えるものなのか。未知のイタリアを知ってしまった驚きと、そして、失望に似た何かが、心を黒く覆った。男同士であるのに…いや、この場合、むしろ男だからいいのだろうか。イタリアは今までも……。
 一瞬、嫌悪を感じてイタリアの腕を離した。肩を押し距離をおく。
 夜の恋人ごっことは、いったい何なのだ?
 上機嫌のイタリアは、こちらの心の機微など気付かないようだった。なんとか言葉を選び、控えめに言った。
「俺は……、あまり良い方法とは思えんな」
「そうかな?」
「そういった付き合いは……」
「ヴェー、やってみなくちゃわかんないよ」
「自分のことくらいわかる」
「確かにドイツって、そういうタイプじゃないけど……、きっと楽しいと思うよ。新しい世界が開けるっていうかさー、ねっ?」
 イタリアは少し酔っているのだ。そう自分に言い聞かせるが、徐々に感情が抑えられなくなってきた。落ち着かせるように、一度、深い溜息をつく。俯いたのを見計らったように、イタリアが首にキスをしてきたので、つい手を上げてしまった。軽くだったが、戒めるようにイタリアのあごのラインを手のひらで叩いた。イタリアからのキスを、鬱陶しく思ったのは初めてだった。
「いたい……」
「するつもりはないと言っただろう」
「そんなぁ…。いいじゃん、別にこれからずっとじゃないし、軽い気持ちでさー。一回試してみるだけだよ。どーしても無理だったら、そこでやめていいし〜……。そんなに恥ずかしいかなぁ? 結構楽しいと思うんだけど……」
「俺には理解できん」
「ちぇー……残念」
 イタリアは諦めたのかドアに向かって歩き、ノブに手をかけた。そこで思い出したように振り返り、また腕を広げ近寄ってくる。
「おやすみ!」
 いつもの就寝の挨拶だ。互いに抱きしめて、頬にキスをする。それだけの短い動作が、どうしてもできなかった。イタリアが気づき、怪訝そうに見上げてくる。
「どうしたの?」
「いや……」
 そう口にしながらも、憤りを隠しきれない。態度には出てしまっているだろう。眼を合わせられなかった。イタリアは明るい調子で話しているが、ぎこちない。。
「えっと……ドイツ……?、俺、迷惑だっていうの、ちゃんと覚えてるよ。だからちゃんと考えて」
「ちゃんと考えて、こんな馬鹿げた誘いをするわけか」
「……そうだよ。でも、そんなに怒ること?」
「俺にとってはな」
 それから視線を床に落として黙っていたが、イタリアがなかなか部屋を出ていかないので、もう一度眼を合わせた。
「……言ってもいいか」
 イタリアは泣きそうな顔で、ぶんぶんと首を横に振る。
「お……おやすみ!」
 それから逃げるように出ていった。ドアが締まり、廊下の向こうでイタリアが客室に入る開閉音がした。
 腰に手を当てうつむく。なんだったのだ、今のは……。イタリアは一体、何を考えている。迷惑だと言ったものちゃんと覚えている、と。それならば、何故こんな行動を…? 全く理解できなかった。しばらく呆然と立ち尽くし、寝るしかないと気づいて、ベッドに入り電気を消した。
 驚きが過ぎ去ったあとは、ただ、イタリアの過去を思った。
こんなに気軽に交渉してくるのだから、以前にもこういった関係を誰かと結んでいたとしてもおかしくない。女性と経験がないのは知っていたから、自然と相手は限定される。
 思わず額に手をやった。
 あんなズルばかりして流されやすい奴だ。気持ちいいことにも目がない…。
 出会う前のことは深く訊いたことがない。
 相手はどんなやつか想像してしまう。遊びならば、貴族や画家、音楽家かもしれない…。おそらく享楽的で後腐れない関係だろう。
 そしてまた自分も、イタリアにとってはそういった男たちと同じなのだ。『軽い気持ちで』『一回試しに』性交渉ができると思われていたのだということが、ひどく不快だった。自分はイタリアにキスするかしないかで、あんなにも躊躇ったのに。何故あんなにも神聖なものを扱うような気持ちでいたのだろう。
 イタリアのこういった一面は、知りたくなかったというのが本音だ。勝手な感情ではあるが、裏切られたような気持ちになった。イタリアが、今までの心地いい関係を、相談もなしに壊そうとしたからだ。怯んでいるわけにはいかない。自分から壊してしまおう、こんな関係は。


***

 イタリアは客室に入ると、詰めていた息を吐き出し、涙をこぼしながらゆっくり服を脱ぎ始めた。
遊びのようなものならドイツもつきあってくれるかもしれないと、思っていた。出来るだけ軽く誘ってみたが、上手くいかなかった。
 服は適当にチェストの上に投げ、ベッドにもぐり目をつむった。柔らかいリネンが体を覆う。ドイツと一緒に寝るのはもう諦めよう、触れないでおこう、そう思う。
 ドイツがあんなふうに、静かに怒るとは思わなかった。顔を思い出すだけで震えてしまう。
 しつこかったのだ……。少し期間を置けば、まだ良かったかもしれない。ほとぼりが冷めるのを、どうしても待っていられなかった。再び一緒に寝るきっかけとして、名案だと思ったのだ。
 怒鳴られなかったことが、今では逆に恐ろしい。ドイツは最後に、何を言うつもりだったのだろう。逃げてきてしまった。けれど、ドイツ自身が言い躊躇ったぐらいだから、イタリアが深く傷付く言葉に決まっている。
 ベッドでイチャイチャするなんて、いつもとそう大差はないと感じていた。
 ドイツには理由が必要なのだと思い、そう言っただけた。ここまでこじれるとは思ってもみなかった。すっきり解決すると思っていたのに。
 実際、ドイツがしぶしぶでも了承してくれ、一緒に寝られさえすれば、元通りにする自信はあったのだ。
 ドイツは、ハグもキスも膝枕も……。頼めば大抵のことに応じてくれた。仕方なくという雰囲気もあったが、最近では慣れてきて、色々なことが自然になっていた。同じベッドで眠ることにしてもそうだ。
 だから、ドイツにいくら説明されても、自分が何かしてしまったとしか思えなくて、イタリアは悩んでいた。しかしそういった諸々も、今では考えるだけ無駄だ。きっと今度こそ嫌われてしまったに違いない。昨日に時間を戻したい。
「どいつ……」
 渦巻く嫌な予感から逃げるように、頭までふとんに潜った。
(恋人って、インパクト強すぎだったのかなぁ…)
 国としての性質はひとまず置いておく。ドイツ自身は、男性に性的な興味などないように見えた。
 もしかすると『男と恋人ごっこ』、というのが逆鱗に触れたのかもしれない。
 ドイツはあの体躯だから、その手の男性にモーションをかけられているのを何度か目にしたことがある。嫌な出来事でもあったのかもしれない。一緒だと思われたのだろうか。
 ドイツの体が大好きだったが、性的に考えたことはなかった。
 たまにいたずらで股間や尻を触ったりもするけれど、それはドイツの反応がおもしろくてやっていることだ。抱きつきたいのは、ドイツが温かくて気持ちがいいからだし、キスも良くするけれど、そのほとんどが挨拶や親しみのキスだった。口にしたことは一度もない。すべては友情の範囲内で収まっている。
(それは、もちろん…ドイツだってわかってる)
 やはり、度が過ぎてしまったのだ。
 明朝、顔を合わせることがとんでもなく憂鬱である。今すぐ謝りに行きたかった。けれど……、それが良くないと思い知ったばかりだ。時間を置かなくては、上手くいかないこともある。
 イタリアは今晩だけは堪えることにした。眠ってしまえば時間は過ぎる。
 一人のベッドは、やはり広くて冷たかった。
 ようやくうつらうつらしてきた頃に、小さなノックの音と、ドアの開く音。一瞬夢の中かと思ったが、イタリアは顔を出して確認した。ドアを閉めるドイツの姿が見える。
 許してもらえるのだと思い、安堵した。
「電気がつけっぱなしだぞ」
「えへへ」
 イタリアは手をついて起き上がる。ドイツの声は、ずいぶん穏やかに戻っている。まだ目が慣れず、眩しくて表情はわからない。
 近づいてきたドイツは、ベッドへ腰を降ろした。ちょうどイタリアの真横だ。何か思案しているようで、俯いていた。
「俺、反省してるであります……」
 ドイツの顔を覗き込むようにして、寄り添った。やがて手が伸びてきて、ベッドについていた右手に触れる。手を握られてこんなに嬉しかったことは、いつぶりだろう。そのうち、左手首も掴まれる。イタリアは頬が緩んだ。ドイツは顔をあげる。目が合った直後だった。
「ドイ……」
 キスしていた。口だったが、イタリアはまあいいかと思う。和解のキスなんだろう…ぴったりの気分だった。ドイツの唇の柔らかさは、もう充分に馴染みのあるものだ。キスは長かった。
 ドイツは、何度か唇を離し角度を変える。それも不思議と心地よかった。だが、しばらくすると身を乗り出してきたドイツが、唇の間に舌を割りこませてくる。イタリアはおっかなびっくり応対した。生々しい感触にじっと耐えていたが、ドイツが離れると、つい本音が漏れた。
「きもち…わるい………」
 涙目でそう言うと、ドイツは目を見開く。
「なっ……なんだ、おまえに合わせて……俺は……」
 それから、みるみるうちに耳まで真っ赤になった。
「す……っ、すまん…!! イタリア」 
 ドイツは慌てて立ち上がり、続いてイタリアをベッドから降ろそうと手を伸ばし、すぐに引っ込めた。
「すまない………、く、口を洗ってこい。俺は…少し思い違いをしていたようだ」
 見たこと無いほどに動揺している。イタリアはドイツを責める気などない。だが口を洗いたいのは確かだった。ベッドからおり、シャツを羽織ってスリッパを履く。キスの後、なんとなく唾液を飲み込むことが出来ず変なふうに口にためていたので、喋ろうとするとむせた。すぐにドイツがティッシュを口元まで持ってきた。
「大丈夫か? その、苦しいか……」
「う……ううん」
 全くなんともなかったが、ドイツが急に優しさをみせたので、イタリアは泣きそうになっていた。しかしここで涙を見せたら、また余計な心配をするだろう。ドイツも傷つくかもしれない。顔を洗う時まで、少し我慢しようと思った。しかし我慢に慣れていないイタリアは、結果、眉間に深くシワを刻み、やや俯き、不機嫌そうな表情をキープしたまま一階の洗面所へ向かう。もちろんドイツも一緒だ。先に行って、電気をつけてくれた。
 洗面台に向かい蛇口をひねると、冷たい水で手と顔を洗った。何故かドイツは、軽くイタリアの背中をさする。
「吐きたかったら……遠慮せず吐くといい」
 その言い方が大げさで、吹き出してしまいそうになるのを堪えた。
 ごまかそうと、何度かバシャバシャと顔を洗った。確かに気持ち悪いと言ったが……。
 最後に、手の届くところにあるドイツの洗顔料を使った。洗い終わり、水を止め顔を上げると、すぐにドイツがタオルを手渡してくる。
顔を拭きながらイタリアは尋ねた。
「ねー、一緒に寝てもいい…?」
「なっ……一体何を言ってるんだ。……気を使わんでいい」
さっきまで、難攻不落の要塞のように頑固でかなわないと思っていたドイツの存在が、急に可愛らしく思えた。タオルを置き、ドイツの手を握る。
「思い違いって……?」
「その…夜の恋人ごっことは、具体的にどんなことを指すんだ……」
「ええ? ここで言うの……」
 イタリアは照れながら、もう一度ドイツの手を強く握った。
「あ…いしてるよ」
 そのあと本当に顔が熱くなってしまい、離れた。
「みたいな感じ…!!」
 わざと茶化してみたが、ドイツの真剣な眼差しは変わらない。
「えへ…。なんか、俺も恥ずかしくなってきちゃった……」
 ドイツは何も言わなかった。目を見つめられているだけなのに、全身をすみずみまで観察されているような気がした。むしろ、触られているような……。
 その時、ドイツに抱きしめられたいと強く思った。身動きができないほどに強く、そして、大きな手で体をたっぷり撫でて欲しい。どんなに気持ちいいだろう。もう一度手をつなごうか迷う。
「ドイツ」
 背筋がむず痒くなってきてしまう。思考がぼんやりとしてきて、ドイツ以外目に入らなくなる。体の奥底が熱い。けして嫌な感じではなかった。ドイツと抱き合いたい。今飛びついたら、また呆れられてしまうだろうか。
「す……すまん、本当に」
 ドイツは謝ると同時に目を逸らす。そして言いづらそうに付け加えた。
「許してくれ、俺はてっきり……」
「てっきり?」
「腹が空かないか?」
「ヴェっ、うん! なんで分かったの?!」
「酒とつまみだけで、ちゃんとした夕食は食べていないんだろう」
「おお…!! そうだよ」
「キッチンへ行くぞ」
「わーい」
 つい、いつものようにドイツの腕へ抱きついた。ドイツは一度見下ろしてきたが、何も言わず前を向いた。きっと許してくれたのだ。夜食を済ませたら、同じ部屋に戻れる。
「ドイツ」
 横顔を見つめると、喜びに胸が湧き立つ。何が誤解だったのかはっきりわからなかったが、追求する必要はない。廊下に出ると、ドイツの二の腕に頭を擦りつける。ドイツは歩きにくいと文句を言ったが、顔を盗み見ると、ほんの少し口角があがっていた。


2012.01.02〜24
2012.06.26 加筆修正



つづき