まさか友だち記念日を忘れるなど2
 
 階段を上がり、フェリシアーノがいつも使っている客室に入ると、やはりそこに姿はなかった。
 フェリクスの言い方からして、二人は一緒に寝たのだろうと推測できた。隣の、フェリクスに充てがわれた部屋を覗くと、ベッドは盛り上がり、その向こうに見慣れた深い茶髪が見える。
 こいつが裸で寝る事について、フェリクスがなんら言及してこなかったことから、すでにこの習慣をよく知っていたのだろう。だがそれにしても複雑な心境だった。
「おい、起きろ」
 寝転がっている胴のあたり、ベッドの端に腰かけた。
「んー……」
 フェリシアーノは唸りながら身じろぎをする。しばらくして、声の主が俺だとわかると、途端に身を起こした。
 そしてじっとこちらを見つめた。二日前の喧嘩は、消化不良のまま放置されていたのだ。俺はちょうど仕事が忙しかったので、あまり話し合う時間もなかった。
「おはよー……ルート」
「おはよう」
 フェリシアーノの眼は泳いでいた。本当なら、抱きしめてやっても良かった。
 少なくともこの部屋に踏み入るまでは、そう思っていた。今更言い合ってもどうにもならないことだし、早く水に流してしまおうと。
 けれど、フェリシアーノが全裸でこのベッドに横たわっているの見て、考えが変わってしまった。
 不快に感じた。
 習慣だとかそんなことは抜きにしても、いくら同衾の相手が幼なじみだと言われても、ただ気に入らなかった。
 もちろん、フェリクスとの間に、何か親密なことがあるなんて思っていない。そういった意味では、俺はこいつを信じている。なにしろ後ろめたい事はすぐ顔にでるからだ。
 俺が鬱屈としている原因は、自分の嫉妬が過ぎるためか、それともこいつが無神経なだけなのか、最近ではよくわからない。
 まだ体の関係こそないものの、俺たちは想い合っていた。その確認が済んだのが、つい一ヶ月ほど前のことだ。 
「朝飯だぞ、もうエリザベータも着いた。早く来い」
「うん……、ルート、あのさ」
 何か言いかけたフェリシアーノを横目に立ち上がる。
 フェリシアーノもつられてこちらを見上げた。
「先に行ってる」
 もとから俺たちは良い友人だった。
 フェリシアーノに慕われるのは心地よく、そして彼の気質からくる過度なスキンシップは心を乱させた。
 俺が近頃抱いている不安は、フェリシアーノの『愛』が限りなく『家族愛』に近いものだということだ。
 可能性に思い当たってから、なるべく気にしないようにしていた。これだけはまってしまったあとで、やっぱり違った、なんて言われたら目も当てられない。
 フェリシアーノは抱擁とキスで満足する。俺ははっきりとした情欲を抱いている。
 無理に抱きたいなんて思わない。フェリシアーノが嫌なら我慢してもいい。その気になるまで、いくら待ったっていい。
 けれど今回のようなことがあると、ムシャクシャしてたまらなかった。
 きっとフェリシアーノは、こちらの想っている半分も、俺の事を想っていないだろう。だからこんな真似ができるのだ。



 問題の日曜は、俺とフェリシアーノの『友達記念日』だった。
 制定されたのは二年前で、もちろんその前からずっと友達だと思っていたわけだが、俺の無愛想さから、フェリシアーノは自分が友人と思われていると、気づいていなかったらしい。好意を示せば、それは喜んだ。
 そして今日から正式な友達だといって抱擁した。それが二年前。そして一年前の同日は、フェリシアーノから提案があり、二人で過ごした。
 俺はそんな記念日があったことさえ忘れてしまっていたが、フェリシアーノは大事にしてくれた。その優しさにひどく感動した。その頃から、フェリシアーノに友人以上の何かを感じるようになった。

 そして土曜日。
 記念日の前日、仕事を終えての帰宅途中、いつもの通りでふと、ショウウィンドウに飾られた靴が眼についた。
 なぜ立ち止まってしまったのか。それは少し前にフェリシアーノが、一番気入りだった靴を海に落としたのだと、ぼやいていたのを思い出したからだ。
 フェリシアーノは同じような靴を何足も持っているから、パッと見る限り、その時履いていた靴と、海に落とした『気入り』とに、どれほどの差があるのかわからなかった。
 けれど、一時ではあったがめずらしく落ち込んでいた。その横顔をしっかりと覚えている。
 もしプレゼントを用意して、フェリシアーノが記念日自体をすっかり忘れていたらどうする。
 普段からぼけっとしているのだから、フェリクスにつきっきりで、そこまで気がまわらない可能性は充分あった。去年は俺が忘れていたのだから、責めることはできない。それは、わかっている。
 ウインドウの前でもやもやと悩んでいると、店内の電気が消えた。閉店かと顔を上げると、また明るくなる。
 客に気づいて出て来た店員と眼が合うと、俺は靴を指差し、フェリシアーノの足のサイズを口にしていた。


 家に着くと、フェリクスを見送りに行ったフェリシアーノはまだ戻っていなかった。この時間にはいるだろうと予想していたので、何を話そうか考えながら帰り道を歩いて来た俺は、拍子抜けした。居間のソファで本を読んでいるローデリヒに声をかける。
「フェリシアーノはどうした?」
「あの子を送って、そのままフランシスの家に泊まると言っていました。結局、一緒に祭りを楽しんでくるみたいですよ」
「そっ……そうか。……わかった」
 フェリクスに付き合うのは今日まで。
 そう思っていた俺は、希望を打ち砕かれた気がした。
 右手に持った紙袋の中身は、一瞬で輝きを失った。フェリシアーノの頭の中には、記念日のことなど、もとからなかったのかもしれない。
 去年は俺が忘れていた。過ぎた事は仕方ない。
 だが今年は、もう友人以上であるわけだから、こういう日を大切にするべきではないだろうか。少なくとも、フェリシアーノが大切にしろとそう言ったのだ。去年は。
 脱力し部屋へ戻ると、紙袋を机に置いてベッドに寝転がった。自分がとても惨めに感じられ、とてつもなく落ち込んでいた。
 忘れたのは仕方のない事だ。去年は俺が忘れていたのだ……。何度そう自分に言い聞かせても、蔑ろにされているようで悔しく、ひりひりと胸が痛んだ。
 フェリシアーノは自由だ。ばかみたいなことに、俺はそこにどうしようもなく惹かれている。
 俺はこのことを、絶対フェリシアーノに話さない。



つづき