恋に目覚めたら 2

「ドイツー?」
 夕方、ほろ酔いでイタリアが帰宅すると、わかりやすくドイツの様子がおかしかった。機嫌が悪いというよりは緊張しているように見える。
「掃除、ありがとう〜」
そう言って顔を覗き込めば、目が合ったが不自然に逸らされた。もう完璧である。
「何かいやなことあった?」
「別に何も無い」
 その言い方が既に拗ねている。イタリアは今朝の会話を懸命に思い出してみたが、これといって変わった事はなかったように思う。せっかく今日も泊まっていくのに、こんな状態ではつまらない。イタリアは思いつく限りの方法でドイツの機嫌をとってみたが、効果はなかった。むしろ若干悪くなってしまったような気がする。極めつけには就寝時だった。
「ソファで?」
 思いも寄らぬ提案をされて、イタリアは横になろうとしていたベッドから身を起こした。目を丸くしてドイツを見返す。
「ああ、下のソファで」
「なんで〜……? 一緒に寝ようよ」
「たまには別でもいいだろう」
「たまには、って会うの一ヶ月ぶりなんだけどなぁ」
「そもそもだ」
 イタリアが口を尖らせていると、ドイツがゴホン、と咳払いをした。
「何故おまえと同じベッドで寝なくてはならんのだ」
 根本的なことを言われるとイタリアはぐうの音も出ない。
「別に寝るのが普通だろう」
「う……うん。だよねー」
 同意しつつもイタリアは落ち込んだ。昨日もそうだったが、ドイツの隣で寝るのはイタリアにとって甘美なことだ。許されるのは、一重にドイツの世話焼き体質のおかげであり、拒絶されると取りつく島も無い。
「でも、せっかく泊まりに来てるんだしね!」
 果敢にもう一度ドイツを誘ってみたが、断られた。就寝の挨拶をしてドイツが部屋を出ていったあと、イタリアはベッドに潜ったがなかなか寝付けなかった。
 不意に思い出し、起き上がって机の上を確認する。机上は整頓され置いておいた白のカードは消えていた。反応がないのは慣れっこだったが、今日のようにドイツの機嫌が悪いと、何か過剰に書きすぎてしまったっけ?と自分を疑った。
 普段言っていることしか書いてないつもりだが、ドイツが本気にしてしまったらいいのにという、下心は充分ある。
ドイツの背中が恋しい。同じ屋根の下にいるのに別々に寝るなんて不健全だ。
 イタリアは心を決めた。
 一時間ほど経ってから起き上がり、静かに部屋を出る。  足音をさせないように階段を下りリビングに向かう。耳を澄ましてドイツの寝息を確認しようとしたが、よく聞き取れなかった。しかし静かではあるので、イタリアは忍び足でソファへ近寄った。
 ドイツが何を感じているのか分からない限り、できることなんてない。それならばいつもの自分でいたほうが楽だ。そしてドイツも、つられて自然になるんじゃないかと思う。
 あたりまえだが、ソファはドイツ一人横になるだけで精一杯の大きさだ。イタリアはそれを見て躊躇ったが、まあいいかと考え直し、ドイツに掛かっている毛布をはいで中に入った。中というよりドイツの上だった。当然、イタリアの重みに、何事かとドイツが身をよじる。
 そしてため息が聴こえ、天井の照明が点き部屋が明るくなった。呆れ顔のドイツが胸の下にいた。イタリアは、すぐに押しのけられるかと構えたが、意外にも優しい声色が響く。
「半年前のことだが……話していいか」
「……うん」
 イタリアの動悸は激しくなる。はっきり言われなくても、それが何を指しているかはわかった。だがもう半年も経って、この話題を持ち出されるとは思わなかった。少し緊張する。
「今まで……、訊く機会を逃してしまっていたが、おまえは俺の事を一体どう思っているんだ」
「好きだよ」
「真面目に答えろ……」
 ドイツは体を起こした。
「別におまえを責めているわけじゃない。その……したことについては、もちろん俺にも責任があると思っている」
「ドイツに責任なんてないよ」
 イタリアは眉根を寄せた。
「あんなに気にしないでって言ったのに……」
 早く話題を逸らしたかった。ようやく心のなかで落ち着く場所を見つけた想いが、また疼きだしそうだった。
「前にも話したけどさ」
 渇いた喉から声を絞り出す。
「ぜんぜん……俺考え無しで……。おまえとその後どうなるかとか、そういうの想像してなくてさ。優しくしてくれたから、どんどんつけ込んじゃったんだ」
「だが、なんだ……その酔っていた、ということは除いても、俺と……、したい、とは前から思っていたということなのか?」
「ちがうよ! ……えーっと……ちがうよ?」
 違うとはいってもすぐに言い訳が浮かばない。
「あの日はたまたまそういう気分で! ほら……、ドイツってどこまで許してくれるのかなーとか、そういうこと考えてみたりして。そしたら思いのほか上手くいっちゃったんだよね……! だからね、ほんとドイツにも早く忘れてほしいって思ってるんだよ。……ドイツは?」
「俺は忘れられない」
 意外な一言に、イタリアは肩をすくめた。心臓が止まりそうだった。
「おまえはずるい……。笑ってごまかせば済むと思っているところが本当に」
 ドイツは、独り言のようなかすれた声でそう言う。怒鳴られた方がまだ調子が出る。イタリアはどう反応すれば良いのか分からなくて、息を飲んで、ドイツを見つめていた。
「あのさ、ほんとは……、なんてゆーか……。少しくらいおまえも気持ち良くなるんじゃないかなって思ってたんだ。だって気づいてないかもしれないけど、あの頃ハグ長かったよね。だからさぁ、なんか俺も……、ドイツのこと可愛くって」
 ドイツの沈んだ、何かをあきらめてしまったような表情は変わらなかった。どうすれば元通りになるのだろう。
「お前がしてくれたのは、俺と同じ気持ちだからなんじゃないかって都合良く考えて……。つらそうな顔してたの、ぜんぜん気づかなかった」
「……つらそうだったか?」
「うん」
 することはしても、最中にドイツが顰め面のまま一度も笑わなかった事に……またほとんど声を漏らさなかった事に、イタリアは”付き合って”くれたのだという判断を下していた。
 男の体を抱いても楽しくないだろうに、あまりにも自分が好き好きいうから、放っておけなくなったのだと思った。ドイツらしい。同情されたということになるが、イタリアは悪い気はしておらず、だが、二人の間に一つひずみを残してしまった事を、後悔した。
 ドイツはきっと長く気に留めてしまうだろうと、翌朝の態度ですぐにわかった。言い訳をし謝り、忘れてもらえるようにと努めて明るくふるまい、それからも以前と変わらぬ態度で接した。やがてドイツもあの日のことには触れなくなっていったが、水面下ではやはり気にしていたのだ。
「そんなことはないと思うが……。おまえのほうが、負担があったろう」
 挿入時のことを言っているのだろうが、イタリアは負担と捉えてはいなかった。笑顔を作ってドイツを見た。
「大丈夫だよ。だって俺がそうしてほしかったんだから」
「なあ、お前は誰かと……、男と経験があるのか?」
「えっ、ないよー」
「ならば何故、その……」
 入れたいとは思っても、入れられたいとは思わない。そういうことだろう。これでは、前々からイタリアがドイツの体を求めていたことになってしまう。イタリアは慌てた。
「なんかテレビか雑誌でみたんだよね! 後ろですっげー気持ち良くなれるっていう……、なんかそういうやつ。興味あってさ」
 ドイツと目を合わせると胸が痛む。どうしてこんなことを言わなければならないのだ。とても空しい。
「……ならあの箱の中身も、同じ”興味”なのか」
「箱? 何の箱?」
「靴の箱だ」
 イタリアは意味が分からずに、しばらくドイツを見つめていた。
「靴は大好きだけど」
「おまえの部屋の空き箱に、一つ中身が入ったままのものがあった。掃除機をかけるとき移動させて気づいたんだが」
 言われた瞬間に背筋が凍る。イタリアは隠しておいた物を思い出したのだ。
「ええええ?」
 イタリアは素っ頓狂な叫び声を上げて両手で顔を覆った、
「勝手に見ないでよう!」
 思わずうなり声のような、声とも取れない声を発し、顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「悪かったが、靴だと思うだろう、普通は……」
「あれはね、人から貰ったんだ! 俺が買ったんじゃなくて」
「納品書はここの住所だったが」
 イタリアは観念したように深くため息をつき、俯いた。
「おまえとえっちすることなんて、もうないって思ったけど、でも……。もしまた、いつか……、ないと思うけどさ。そういう時があったら、今度は気持ちよくしてあげたいって思ったから、だから慣れておいたらいいかなって思って。ああでも、実物みたら恥ずかしくて、結局使ってないんだけど……」
「なっ……なんだその理由は……!」
 静かで冷静だったドイツの声が急に裏返った。
「イタリア……おまえは、まさか本当に、おっ……俺のことが好きなのか」
「ううん、違うよ! 好きは好きだけど、ドイツが考えてるみたいんじゃなくて、もっとかっるーいやつ! 愛してるとか、おまえがいないと生きてけないとか、そういうのじゃないんだ。だから大丈夫だよ、傷ついてないし」
 ドイツがぐいと、イタリアの胴を抱き寄せた。
「ドイツ、大丈夫だよ」
「……俺は、充分気持ちがよかったぞ」
 ドイツの言葉に、信じられない思いだった。本当に?……気持ちがよかったのだろうか。体が密着しているせいでドイツの顔は見えない、けれど体を通して伝わってくる温かさに自分が全肯定されているような気になる。今、抱きしめられているのは何故なのか、イタリアにはわからなかった。けれど、ドイツの機嫌が良くなったのは確かなようだ。これで今晩も一緒にいられる。
「イタリア」
 はっきりと力強く、耳に口付けられた。ちゅ、と濡れた唇の音が響く。やけに優しいドイツの仕草に、イタリアは顔を真っ赤にしてただ耐え、次の言葉を待っていた。

END

つづき
2011.01.23










先日友達独伊に熱いメールくださったかたへ、Grazie!