call it a night


「ねえ、もうずいぶん経つね……?」
 イタリアは人差し指で、ツツと目の前の首筋をなぞる。指先は鎖骨を滑り胸の中央を通って、音も立てずゆっくりと湯に浸かった。
「ドイツはなんで平気なの……俺」
 水中で、鍛え抜かれた腹筋に到達する。さらに下って行きあと少しというころで、その手はドイツにつかまってしまった。
「平気だったわけではない……、ここしばらく忙しかったろう。俺もお前も」
 ドイツはその手を、隣にいるイタリアの胸に押し付ける。離すと、また元の位置に戻ろうとするので、ドイツは仕方なく掴んでいた。イタリアはそっと左手も出してきたが、注意するとすぐあきらめた。やがて腰を引き、隣でおとなしく膝を抱えた。
「わかっているとは思うがな、公共の場だぞ」
「こんな時間に来る人いないよ」
「ばかもの」
 イタリアは肩をすくめてドイツを見る。
「冗談だよー……」
 小さな声で付け加えて、口を尖らせ前を向いた。


 二人は、一昨日から休みを合わせ日本に滞在していた。日本のスキー場に行きたいというドイツと、寒いから温泉に行きたいというイタリア、双方の要望を叶えられる場所に来ていた。
 スキー場の空は雲が半分ほどで、なかなかの天候だった。固められた斜面にパウダースノーが程よく積もっていて、スキーを履いたドイツは張り切っていた。
 初めは三人とも同じ位置までリフトで上がり、イタリアに合わせて降りてきたが、ドイツはまたすぐゴンドラへ向かって歩き、一番上まで行ってくる、と言い残し去ってしまった。
 イタリアと日本は同じコースを二度ほど滑った。やがて疲労した様子のイタリアを見かねて日本は、ロッジと駐車場の間にある幅広の別斜面に誘う。ソリ用だったので、子供や滑り疲れた人の溜まり場なっていた。
 二人はスキーとストックをまとめてコース脇に突き立ててくると、ソリを借りてきて遊んだ。
 そこにいた子供達と仲良くなり、ソリ遊びに疲れて一緒に雪だるまを作り始めた頃に、ようやくドイツが戻ってきた。
 もう午後四時で、いつのまにか空は厚い雲で覆われていた。客も少しずつ引き始め、三人は予約している旅館に移動することにした。
 ドイツは気分が良いようで饒舌だ。日本に他のスキー場の話を聞き、今度はもっと急斜面に行ってみたい、と漏らした。
 イタリアはというと、スキーは嫌いではなかったが、特別好んでいるわけでもなかった。ドイツのように一日中滑りまわる気はさらさらなく、澄んだ風を感じ、美しい景色を眺められればそれで満足した。
 旅館に到着し、日本の部屋で一緒に夕食を済ませ別れると、酒が入ったせいもあるのかドイツの動きはやけに緩慢だった。
 二人は部屋に戻ると、窓際の椅子に向かい合って座り、話をしていた。ドイツが途中で相槌を打たなくなったので、眠い?、とイタリアが尋ねれば首を振る。
 どう見ても瞼は半分ほど落ちていて、静かになったら一瞬で寝てしまいそうだった。やがて従業員が布団を敷きにやってきて、終えると笑顔で出て行った。
 ドイツはだるそうに立ち上がり、敷かれた布団の上に横になるとすぐに眼を閉じてしまった。
「ドイツー?」
 声をかけても今度は返事をしない。イタリアはため息をついて、自分のほうにあった掛け布団を抱えてきてドイツにかぶせた。
 肩まで引き上げ、いつもドイツがしてくれるように首周りの隙間を埋めると、かがんで頬にキスをする。三度したがドイツが起きなかったので、ついでに頭を撫でた。愛の言葉をささやいて、また気が済むまでドイツの顔に口付ける。
「明日はいっぱい話そうね……。おやすみ」
そうは言ったが、ドイツの寝顔をこんなにも至近距離でまじまじ眺めたのは、数えるほどしかない。イタリアは名残惜しく、穴があくほどドイツの顔を見つめた。そのうち、自らの股間にそろそろと手を伸ばしてしまう。気持ちが盛り上がり、ついに衝動が抑えられなくなった。
 初日は日本の家に泊まったが、イタリアはドイツの隣で甘えているうちに寝てしまい、気づけば朝になっていたのだ。今日こそはと思っていたが、この様子では朝までぐっすりという可能性もある。
「ドイツ……」
 イタリアはベルトを外しチャックも下げた。
 一度立ってズボンと下着を取り払ってしまうと、また座りこむ。そしてじっとドイツの寝顔を見つめ、悩ましげな吐息を漏らし始めた。
 愛しさと羞恥で胸が溢れ、しかし恋人の寝顔で自分を慰めてなにが悪いのかとも思う。ドイツが今起きたら……、どんな顔をするだろう。
 叱責されるか、抱いてくれるか、どちらかだとイタリアは考えた。

***

 ドイツは、足音と施錠音、そして人の気配に気づきのろのろ身を起こす。
 天井の電気は消されていたが、ドイツの枕元右側に、和紙が張ってある長方形の箱が置いてあり、暖色の光を放っていた。上から覗き込むと中には電球が入っている。
 (着替えもせず、いつのまにか眠ってしまったのか……)
 かろうじて布団の上に寝ていたが、掛け布団に乗ってしまっている。だが、体の上からまた布団が掛けられていた。イタリアが気をつかったのだろう。
 ドイツは俯いた。
 窓際の椅子に二人で座ったところまではぼんやり覚えている。だがいつ横になったのかは記憶がない。
「あー、ドイツ起きてるー!」
 襖を開け和室に入ってきたイタリアは、ドイツを見ると笑顔になって近寄ってきた。
「もう! 朝まで起きないかと思ったじゃん。俺、日本とお風呂入ってきちゃったよー。よっぽど疲れてたんだねドイツ……」
「すまんな」
「お風呂行く? 二時までやってるって」
 ドイツが腕時計を見ると、すでに十二時半を回っている。
「おまえは行ったばかりなんだろう」
「ううん。出たあとずっとだらだらしてたからさ。今も日本のとこにいたんだ。あのね、脱衣所出たところにこーんなでかいマッサージチェアがいくつも並んでてさー、いろいろ種類があっておもしろかったよ。ね、行こ行こー」
 イタリアは満面の笑みで二の腕に抱きつく。ドイツはつられて少し笑い、頷いた。


つづき

2010.11.27