人には言えない・続き3



 翌朝、朝食を食べながら電話でのキスについて話を切り出した。
「したよー」
「やっとらん」
「したって、俺ちゃんと聴いたもん」
「夢と現実を混同しているんだろ」
「夢? そのあとトイレいったよー」
「トイレも夢だ」
 ドイツはパンの最後のかけらを口に入れると、流しこむようにコーヒーカップを傾けた。
「したよね?」
「そう聞こえたなら……、俺も眠かったし、たまたま似た音がでただけじゃないのか。よくあるだろう、予期せず口の中で変な音が鳴ってしまうことが」
「そうかなぁ…。ほんとに? 絶対絶対絶対してないの? 誓う?」
「いい加減にしろよ、しつこいぞ!」
 そう言ってドイツは一気にコーヒーを飲み干し、乱暴に立ち上がる。
「だいたい何故俺がそんなことをせねばならんのだ」
「イタリアを好きだからであります!」
「ふざけるな! いつも切ったあとにやっている!」
 強めの口調で言い切ったドイツは、すぐに付け足した。
「いや、……やるのなら俺は、聴こえないようにやるだろうなと、ただ……そうっ、いうことだ……」
「そっか……」
「それも万が一していた場合の話だが」
 イタリアはドイツの顔を見てにまにましていたが、次の言葉がなかなか浮かばなかった。
「なんだ!」
 ドイツは苛立った様子で机を叩く。
「ううん」
「もう俺は行く。おまえは今日は? 休みなのか?」
「ドイツに会いたい休暇」
「ばかもん……」
 ドイツはため息交じりにテーブルを離れた。
「家にいてもいいが、散らかすなよ。犬と外にでてくれると嬉しいが」
「ねえプロイセンは?」
「よくわからんが、急に海で泳ぎたくなったといって昨日でかけた。今はケアンズにいるらしい」
「ドイツんち毎日この天気だもんねぇ……。俺は雨季もすきだー」
 ドイツを玄関で見送り、ドアを閉めたイタリアは一層笑顔になった。
リビングに戻ると、勢い良くソファに寝転がってクッションを抱きしめる。結局あの夜キスをしたのかわからなかったが、あの動揺ぶりだ。もしかすると電話を切ったあと、たまにしているのかもしれない。ドイツがキスしているところを想像して転がっていると、ソファから落ちた。
 ドイツがどのくらい自分のことを好きなのかわからないけれど、友人に電話越しのキスはしないだろう。ということは友人以上の気持ちがあって、しかも股間が見たかったのだ。
 イタリアはあの日のことを自慰に使ってしまってからは、極力思い出さないようにしていた。けれど、ドイツも好いてくれているというなら、そこまで頑なにならなくてもいいのかもしれない……。もとは、ドイツが股間を見たがったのが原因なのだ。
「なんなんだろう……俺達って」
 今イタリアの心にあるのは、ドイツともう一度キスがしたいという気持ちだけだった。昨夜思い切りしてしまったし、今度はガードが固くなるだろう。なんとかいい方法はないものか、イタリアは考えた。


+++



 仕事から帰宅したドイツと夕飯を済ませたあと、ソファでリラックスしている時に、イタリアは決行することにした。ドイツは背もたれに寄りかかって、膝に雑誌を開いていた。雑誌の下に、するりと手を滑り込ませる。
「おいこら」
「俺、お願いがあるんだけど」
「嫌だ」
「まだ言ってないのに」
「どうせろくでもないことだろう」
 イタリアはひるまずに言った。
「俺もドイツの股間見たいな〜」
「……嫌だ」
 ドイツはため息をついて雑誌を閉じ、下にあったイタリアの手を掴み、押し戻す。
「……あれは、今思うと自分でも恥ずかしい。悪かったと思ってる」
「じゃあじゃあ別のお願いならきいてくれる? すっごく簡単だよ、ドイツは5分ここでじっとしてればいいから」
「何をするんだ、5分?」
「うん5分、そしたらもう股間見せてとか言わないし」
「そのあいだに脱がせるつもりじゃないだろうな」
「絶対服は脱がさないから大丈夫! ほらちょうど見えるとこに時計あるし、5分見ててよ」
「……途中で耐えられなくなったら?」
「うーん、そんなに嫌だったらやめていいよ……」
「わかった」
 その言葉をきいてすぐ、イタリアは顔を傾け、思い切りドイツの唇にくちづけた。
 ドイツは何か言おうとしたが、イタリアはもう一度大きく口を塞いで打ち消した。唇をやわやわとはみ、息が落ち着いてきた頃に、そっと舌を入れた。ドイツの顎は微動だにしなかったが、やがてイタリアにあわせて動いていく。
 同じことを何度も繰り返した。歯列をなぞり、上顎をすり、また唇を吸い……、そんな行為に頭がぼんやりしてきたころ、ドイツの舌が反応を返すようになった。だが決してしっかりと絡み合うことはない距離がもどかしい。
 イタリアは、ついにドイツの首に腕を回し抱き寄せた。深く口付けると、ようやく舌同士が絡む。気づくとドイツは目を閉じていた。イタリアも目を閉じ、もう一度首を抱きしめなおした。永遠にこの時間が続けばいいと思っていたが、急にドイツが肩を押し、終わってしまった。顔が離れる。
「5分たったぞ…」
 ドイツは気まずそうだった。イタリアはドキドキしながらその顔を見ていた。途中でやめなかったのは、嫌ではなかったということだ。それだけでいい気分だった。
「びっくりした?」
「したに決まってるだろ。やりすぎた。……まあしかし、股間を見せるよりはマシだな」
「ドイツさー…、今の、何も感じなかった?」
 ドイツがあまり動揺していないので、イタリアは少しさみしい。ドイツの服の裾を掴んだ。もう一度顔を寄せようとすると、顔を掴み、止められてしまう。
「俺にキスしてどうする」
「うんでも……、キスしたい」
 ドイツは途端に眉を顰めそっぽをむいた。だがソファを離れないところをみると、ポーズだけなのかもしれない。
「あのさ、もう5分キスしたら……、俺今日は客室で寝よっかな」
「は……?」
「ほら、いっぱいキスしたら……、寂しくないから平気かなって」
「まあ……、広々と眠れるというなら、俺は文句がないが」
 ドイツの真意はわからないが、イタリアは再びキスをした。やがて5分後、引き離されたイタリアは思う。ドイツはきっとなにか……、キスしなければならない理由が欲しいのかもしれない。
 明日の朝食をつくると約束して、ドイツは寝坊するなよと言い、またキスをした。3回目が終わるころには、ドイツの息は荒くなっていた。右手はイタリアの背を撫でるほどだ。
 イタリアは、次第にドイツと抱き合いたいと思い始めていた。あの自慰の最中の妄想が、実現するかもしれないのだ。けれど一体どう誘えばいいのだろう? キスをしていたら、したくなってしまったなんて……。
 押しすぎると、変な方向にこじれてしまうかもしれない。見境なくこんなことをしているとは思われたくなかった。
「ドイツ……」
 イタリアはつぶやいたが、自分でも驚くほどに言葉がでてこない。静かにするうちに、やがて気持ちも落ち着いてきて、今日はこのくらいに留めようと諦めがついた。ドイツとのことだから、丁寧に進めたい。
「明日の朝、何食べたい?」
「……別に、なんでもいいぞ。卵」
「卵? いつも卵あるじゃん」
 ドイツはゆっくり体を離した。
「おまえの好きなものを作ってくれ」
 そう言って立ち上がる。
「うん、ど……ドイツどこいくの?!」
 ドイツはリビングを出る途中で振り返った。いつもと同じ顔だった。
「約束通り客間で寝るんだろう。準備だ」
「そ、そう…、かー……」
 イタリアは笑顔を作って見送った。


+++


 ドイツとのキスは、会うたびに続いた。イタリアは何かと理由をつけ、1分でも5分でも誘い、そのすべてが成功していた。最初はなんて至福の時間かと思っていたが、その理由作りにがんじがらめになったのも事実で、次第にむなしく感じるようになった。
 キスは何かと考えてみると、ドイツとの行為はとても矛盾していた。親しい間柄とはいえ、何かと引き換えにキスの時間を買っているのは間違いない。 
 最初は、このことはきっかけにすぎず、そのうち自然とキスするようになるだろうと楽観的に考えていた。しかし、ドイツから求められることは一度もない。もうやめたいと思いながらも、ドイツに会うと必ずキスの感触を思い出してしまい、たまらなくなって誘ってしまう。会わないという選択肢はなかった。やはり本人に相談するしかなかった。
 その日たっぷりとキスをしたあとに、イタリアは切り出した。ドイツの寝室。ベッドの上だった。
「俺さ、もうキスするの……これで最後にするね」
 顔色を伺いながらそう言うと、ドイツは頷いた。
「そうか……。わかった。ようやく飽きたのか」
 体から手が離れていき、やがてドイツは寝る体制になった。イタリアはドイツの言葉に驚いていた。飽きたなんて言われるとは思わない。一言が、胸に突き刺さったように感じた。涙が我慢できなくなるとうつむいた。
 イタリアはその時気づいたのだった。何もしてこないドイツに対して少し怒っていたのだ。よく考えたら、ドイツは好きだとは一言も口にしていない。
「イタリア、なんで泣いてるんだ」
「俺のしてることってさ、お金出して、ドイツの時間買ってるみたいだなって」
 わざとひどい言い方をすると、自分でも傷ついた。だがドイツの心情を引き出したい。
「金なんてもらってない」
 そこが問題ではないのに、とイタリアはもどかしく思う。
「俺が遅刻しなかったり、ドイツの肩もんだり、居眠りしなかったり、二人でいるのに別々に眠ったり、人前で飛びつかないとか、朝食作ったり、そういうのだよ。引き換えにしてるなんて、同じ事だよ」 
 できるだけ真剣な顔で言った。
「……おまえが嫌がることはさせていない」
「そうじゃなくて」
「条件はお前が決めているだろう」
「だから、そうじゃなくてさ……」
「なんなんだ今更。嫌ならやめればいいだろう。今までのことをどうこう言われても、どうしようもない」
 ドイツの言うとおりだ。だがどうしてもイタリアは納得がいかない。股間を見たがったドイツは、かけらもそういう気持ちがないのだろうか。本当に知識欲だけなのか。
「俺やめたくないよ」
「……だったら」
「でも、もう条件とかやなんだもん……。あとほんとは、俺からばっかりじゃなくて、ドイツからもして欲しい」
「それでは、まるで…………」
 会話は途切れた。宙を見つめたままのドイツからは、なかなか返答がない。
「言っておくがな……。やり始めたのが、そもそも間違いだ。友人同士ではこんなこと普通しない」
 ドイツは静かにそう言った。
「判断通り、今日でやめるのがいいだろう。キスをしたいなら他の相手を探せ」
 ドイツは背を向けてまるまってしまった
「ヴぇ、ドイツ……、えっと……」
 イタリアはドイツの肩をゆする。
「ねえ、……俺、ここで寝ていいの?」
「自分で決めろ」
「わかんないよ、だって……ねえ、ドイツもしかして怒ってる?」
 ドイツの返答はない。答えないということは、機嫌をそこねたのは確かだった。イタリアはドイツが振り向かないかしばらく待って、結局、いつもより距離をあけて隣に寝転ぶことにした。






つづく
2013.01.19