人には言えない・続き1


 イタリアはシーツへ横たわり、身を沈めた。ついさっきまで夢中になって動かしていた右手が、急に忌々しく感じられる。胸中の大半を占めていたのは罪悪感だった。こんなに後味の悪い自慰はいままでにない。なぜか少しだけ涙がこぼれていた。しばらく呆然としたあと、体を起こした。
 確か途中までは、挑発的な赤い下着を身に着けた映画女優を思い浮かべていた。それから……
 イタリアは思わず立ち上がった。早足でバスルームへ向かう。急いでシャワーを済ませ、髪を乾かし、また寝室へ戻ってくる。勢い良く枕に顔を埋めたが、少しでもおとなしくしていると、さっきまで頭に思い浮かべていたことがよみがえり、叫びだしそうになる。
 ナイトテーブルに手を伸ばし、携帯端末を手に取った。長いコールのあと留守番電話に切り替わったので、もう一度かけなおした。4回繰り返すと、ようやくつながる。
「ドイツ?!」
「…………何かあったか」
 いかにも寝起きらしいガラガラ声が聞こえてきた。
「ううん、何もないよ!」
 少しの間があり、そのあと大きなため息が聞こえてくる。
「次会うときは、覚悟しておけよ」
 すぐに電話はきれた。イタリアはいてもたってもいられず、もう一度ドイツへかける。
 再び通話になったようだったが、息づかいが聴こえるだけで、応答はなかった。
「ドイツ」
「……さみしいのか」
「ヴェッ……」
「こんな時間にどうしようもないだろう。明日、会いに来い」
 ドイツの言葉に息を飲む。
「あ……、あした? あした、ってさ……、俺、別に休みじゃないけど」
「じゃあ……、一体なんなんだ。用件は? さっさと言え」
「えっと……俺、ドイツと話したかったの」
「俺は熟睡していたところだったがな」
 ため息が聞こえた。
「それで、なんの話だ」
「うーんと……」
 イタリアは口ごもってしまう。何を話したかったのかわからない。ただドイツの声を聴き、現実に引き戻されたかった。さっきまでのことは、夢の中の出来事にしてしまいたかったのだ。
「俺のこと……いつもみたいに叱ってくれる?」
 何も考えずそう口にしてしまったあと、応答がないので、心臓がバクバクと鳴った。
 それから何度か呼吸が聴こえ、やがてドイツは言った。
「叱られたいなんて、おまえらしくないな」
「うん、でもいいんだよ……」
 再び沈黙があった。ドイツが眠いのだと気づいてから、ようやく妙な間が気にならなくなる。
「叱らないの?」
「もう反省しているやつを……、叱る理由がないだろ」
「そっか……」
「2時か…、何してた」
「ヴェッ、別に…いろいろしてたら、遅くなっちゃって。ドイツは?」
「寝ていた」
「あ、そっか……。だよね、何言ってるんだろ俺、ごめん…」
 ドイツが寝返りを打ったようで、くぐもった声が漏れ聞こえる。胸に何か詰まったような、苦しそうな呼吸。そしてまた息が整っていく。イタリアは胸がざわめいていた。
「……12時までに寝ろと言ってるだろう」
「うん……」
「眠い……、切っていいか」
「うん、おやすみ」
「明日は来ないよな」
「会いたいけど、来週にするよー」
「わかった。おやすみ」
 イタリアは端末を耳に当てたまま通話が切れるのを待っていたが、しばらく無音が続いていた。
 静かにしていると、本当に小さな音で吐息が聴こえた。おやすみと言った途端、意識が途切れてしまったのかもしれない。名残惜しく思いながら、耳から端末を離そうとしたその時だ。はっきりと、チュ、というリップ音が聴こえた。イタリアは驚いて端末を耳から離し、その勢いで床に落としてしまった。すぐに拾い上げる。途中で画面を押してしまったらしく、通話は途切れていた。



つづく
2013.01.06