ドイツの家に泊まると、夜は決まって客室に通される。
 こんなに頻繁に泊まりにくるのは、やはり自分だけらしく、部屋にはイタリアの私物が増えつつあった。ベッド脇のランプ一つだけにして横になり、見慣れた天井の木目を眺めていた。
 あと三十分。イタリアは一時になったらドイツの部屋に行こうと思っている。
 特にいつも時間を決めている訳ではないけれど、ドイツが寝入り、文句を言うのが億劫になる頃だとイタリアは考えていた。
 もう近頃では、朝、隣に居ても蹴落とされたりしない。普通に起こしてくれるし、たまに額にキスしてくれるのも知っている。
 だがその先に、なかなかこぎ着けなかった。ドイツは同衾を正式には認めたくないらしい。
 律儀にも毎回この客室まで送り、イタリアがベッドに入ったのを見届けてから、電気を消し部屋を出て行く。そしてここから斜め向かいにある自室に戻るのだ。
 ドイツが部屋を出て行くとき、いつも少しさみしい。
 イタリアは、ドイツと今日話した事を思い返していた。笑ってくれた事はなんだったろうと考える。頬になんどもキスすると、根負けして笑うようになった。以前ならしつこくすると裸締めをくらっていたので、大きな進歩だった。手を繋ぐとき、指を絡めても解かなくなったし、事あるごとに求めるハグも細かく応じてくれるようになった。
 いつからかはわからないが、ドイツの接し方は日に日に軟化していた。このままいけば、ドイツから『会いたい』という言葉がでる日もそう遠くないだろう。その類いのことを考えると、イタリアは言い知れぬ幸福感に包まれた。
 イタリアは考えているうちに我慢できなくなり、すぐにベッドを抜け出した。いつもの通り毛布を一枚羽織って、室内履きにつま先を通す。静かに部屋を出た。ドイツの部屋の鍵はかかっておらず、室内は暗い。いつも通りだ。
 イタリアはふいに、驚かせてやろうと思いつく。
 ぐっと息をひそめ、物音を立てないようにドアを押した。損も得も無いこんな遊びはとても楽しい。部屋の灯りは消えているものの、真っ暗というほどではない。今夜は月がでているから、カーテン越しの弱い光でも、自分の手の形がわかるほどだった。
 床に膝をつき、猫のように這っていく。
 わくわくしながらベッドに近づくと、ようやくドイツの寝息が聴こえた……と思った。
 しかし、いつもと様子が違う。
 イタリアは耳を澄ませた。衣擦れのせわしない音と浅い呼吸に、やがてそれがずいぶん個人的な行為なのだと気づいて、息を止めた。
 聴かないでいようと思うのに、どうしても耳をそばだたせてしまう。うなされているのかもしれない、と考えてもみたが、やはり毛色の違う呼吸だった。
 見つかれば叱られるに決まっている。普通の状態なら、ドイツは部屋に人の気配があればすぐ気づくはずだった。イタリアの音の消し方など、ドイツに比べればずっと稚拙だ。
 それだけ行為に夢中になっているのかと思うと、イタリアは恥ずかしくなり、頬が火照るのがわかった。理性的なドイツの人っぽい一面と対峙するのは、特別な秘密を打明けられたような、甘美で気持ちのよい感覚だ。
 自慰の現場を見られたなんて知ったら、ドイツはどんな顔をするのだろう。罪悪感はもちろんあったが、ドイツの自慰なんて一緒に住んでいるプロイセンだって、きっと見た事がないとイタリアは考えた。
 恥ずかしがるか、それとも怒るか、呆れるか……。イタリアは、見てしまったのだから自分も行為を見せるべきなのかとも思う。しかしそれならば、自分は音や声しか聴いていないわけだし、少し不公平な気がした。自慰に関して、今まで直接的な会話はなかったが、お互いなんとなくしていると解る程度の認識はあった。
 ドイツの吐息を聴きながら考え、ともかくここにいてはいけないのだと、イタリアはようやく意識を戻し、後退し始めた。
 だが動揺から早速、羽織っていた毛布をひっかけてしまう。バランスをとろうとして、手のひらを強く床についてしまった。ゴン、と音が響いて、ついでに手のひらもじんじん痛い。呻き声はすんでで我慢したが、すぐにドイツが身を起こしたのがわかった。
「イタリアか」
「ごめんなさい! 俺、そんなつもりなかったんだ」
 一拍おいて盛大なため息が聴こえた。ナイトテーブルの小さな灯りがつく。部屋がぼんやりと暖色の光に照らし出され、ベッドの周辺はほとんど見えるようになった。もちろんイタリアが四つん這いになっている床上もだ。見られていると気づいて、イタリアはすばやく立ち上がる。
 ドイツの視線からは、憤怒とまではいかないものの呆れているのが見てとれる。イタリアは唾を飲み込んだ。


つづく  


2011.03.24