友人以上のふたり

 トレイを片手で持ち部屋に入ると、イタリアは真っ青なふとんにくるまったままで、ぴくりとも動かなかった。ナイトテーブルにトレイを置き、部屋の隅に寄せてあった椅子をベッド脇まで持ってくる。
「気分はどうだ」
「んー?」
 声をかけるとようやく、唸りながら頭だけ出したイタリアは、トレイ上の湯気を発見して眼を輝かせた。きっちりとふとんにくるまった姿が懐かしくて、つい頬が緩んだ。今は初夏だ。普段ならばこの頃は、タオルケット一枚を、腰に申し訳程度にかけて寝ているのに。
 二週間もイタリアから電話が来ないので、どうしたのだろうと思っていたところに、運良く仕事でイタリアの家の側まで来ることができた。
 顔を見て行こうと、夕方家に向かうと、出迎えたのは少しだるそうなイタリアで、風邪気味で午後は休んでいたのだという。連絡がなかったのは、仕事が立て込んでいたためらしい。
 リビングは散らかっていて、キッチンも然りだった。
 ジェラードのカップばかりが積み重なっているところに食生活が透けて見えて、キッチンの水垢まで綺麗にしてしまってからリビングに戻って文句を言うと、ソファで寝入ったイタリアはだるそうに頷いただけだった。動きがいつにも増して緩慢なので、念のために熱を計ると少し高い。それから部屋に運んでベッドに押し込めたのだ。
「ヴェッ、なんか作ってくれたの?!ありがとー!愛してるよ!」
「愛してるは言い過ぎだろう」
「ううん、言い過ぎじゃないよ」
 イタリアは手をついて起き上がり、トレイを覗き込む。手の平を広げたほどの大きさの、取っ手のついた深いスープ皿。彩りの良い野菜が乱切りになって、琥珀色に光るトマトスープに浸かっている。
「わぁ、ミネストローネ?!」
「おまえが作ったのを思い出して作ってみたが」
「ありがと、こういうの食べたかったぁ」
 イタリアの喜びようが少し照れ臭かった。
 もし食欲がないなら、俺が平らげてしまおうと思っていたのでなおさらだ。器を渡そうとすると、イタリアは顎を突き出して大きく口を開けた。
「ドイツドイツー、あーん」
「なっ……、起きれるんなら自分で食え。ほら」
 ここで甘えられるとは思わず、驚いてつっけんどんにもう一度器を差し出した。しかしイタリアは受け取らず、スルリとベッドへ入ってしまう。そして物欲しげに言った。
「あーん」
俺は短くため息をついた。イタリアは全く照れもせずに、むしろ楽しんでいるようだったが、同じ気持ちでいられなかった。ただでさえ最近の俺は少しおかしい。以前ならはねつけていたようなことでも、イタリアの頼みとあらばきいてしまっていた。
 感謝されたいのかと思っていたが、どうやら違うということに、気づいた。喜んでいるのを見たいのかと思えば、それも違う。
こんな話を、少し前日本に相談した時、「イタリアくんに好かれたいのでは?」と言われた。そのときは不本意で、ありえないだろうと鼻で笑った。
 もう充分にイタリアに好かれていると思っていたし、それが日常だったからだ。これ以上好かれたいなんて、そう、例えば……恋人になりたいのなら、話は別だが。俺とイタリアの間に、そんなことは考えられない。
「一緒に食べようと思って、俺の分も持って来たんだぞ」
「ドイツが食べるとこは俺が見ててあげるよー。それよりすっごいお腹すいてるよー。あーん」
「……わかった、食べさせてやるから起きろ。むせるぞ」
 イタリアは俺と比較するとあまり筋肉がない。体を鍛えようとしないからだ。けれどイタリアが好むようなファッションを着こなすには、都合のいい体型らしい。本人がそう言っていた。
 心地よいトワレをいつも纏っている。
 栗色の髪は指通りが良い。サラサラしていて、梳くとふんわりと軽いシャンプーの香りがする。
 イタリアが腕に抱きついて、その前髪が二の腕に触れると、くすぐったいほかに、ザッハトルテでも食べた後のような、甘美で、優しい気持ちになった。苛々していても、大抵の事を忘れてイタリアの話を聴いてやりたくなる。
「んーおいしいね」
「そうか」
 スープ用のスプーンですくって、イタリアの口元へ運ぶ。柔そうな唇がぱくぱくと動いた。そんなに量を盛らなかったので、十往復程度で皿の底が見えた。
 イタリアは指先で口の端をぬぐって、ヘッドボードに寄りかかる。
「おいしかったー!ありがと……。もう治りそう」
「今夜は安静にしていろよ」
「キッチンにあるもの、何使ったー?」
「トマト……、にんじん、パプリカ、じゃがいも、たまねぎ……、にんにくだろ。あとは……、ナスだ。ズッキーニも入れた。ほんとにおまえの家は食べ物だけはなんでも揃っていて関心する。なぜジェラートばかり食べていたんだ」
「だってー……、だるかったんだもん……。ワインもっと入れていいかも。あとバジルかなぁ」
 トマトを入れたらバジルだと言われていたのをドイツは思い出す。
「そうだったな、次からは入れよう」
「ドイツが俺の為に作ってくれたなんて幸せ」
 イタリアは寝転んで眼を細めた。
「会いたかったよ」
そう言いながら、俺の左手をふとんの中に引きずり込んだ。指が絡み付いてくる。
「下、暑かった?」
「火を使ったからな」
 手のひらが汗ばんでいたので気になったのだろう。イタリアに触れられるとよくわかる。
 イタリアの指は、指の股から先を何度もゆっくりと往復した。たったそれだけのことなのに心地いい。手が離れたら、今度は俺が、イタリアの頭を存分に撫でてやりたかった。ふとんの中で指を撫であうなど、特別な行為だ。よほど親密な二人しか……。
「俺も腹が減った」
 そう言って急に立上がる。もちろん手は払った。椅子をもとの部屋角に戻し、トレイを持つ。
「ヴェッ、ここで食べてよー」
「おまえはもう寝ろ」
「ねえドイツ、シャワー浴びてさっぱりしたいなぁ……。あとほら、寝るんなら歯を磨かなきゃね」
 しぶしぶ抱きかかえたイタリアの体は、しっとりと汗ばんでいた。イタリアが、落ちないように首に腕を巻き付けてくる。そのついでなのか、頬にキスされて、それだけのことに胸が高鳴った。この体をずっと触っていたいと思う自分は、やはりすでに、友人ではないのかもしれない。



2011.07.28