友情/寒い、のつづき 

 ドイツがドライヤーで髪を乾かし、脱衣所のドアから出て行く音を聞いてから、イタリアはバスタブの縁に頭を預けた。風呂の湯がぬるくなるにつれ、ついうとうとしてしまう。
 しばらくしてカーテンの向こうからドイツに呼ばれ、はっと身を起こした。湯はぬるいを通り越して、動くと冷たいと感じるほどになっていた。
 すぐに栓を抜き、簡単に体と頭を洗ってシャワーで流す。カーテンを開けドイツの前へ出て行った。
「寝ちゃったー」
「そんなことだろうと思ったが」
 バスタオルを手渡され、頭からかぶった。
 洗面所の棚の上には、ドイツが用意してくれた着替えが揃っている。家だと面倒で、走ってベッドに直行してしまうことのほうが多いが、こうやって世話をしてもらうと従う気になる。ドイツはそれを指差した。
「全部着るように。それと……」
 すでに下着を履いていたイタリアに、ドイツは大きめのクリームのチューブを手渡した。
「乾燥してるからな」
 そう言うと、イタリアと入れ替わりにタイルの床に降り、バスタブを掃除に行った。
(ドイツ最近この匂いしてたんだ……)
 イタリアはクリームを手に出すと、すぐに覚えのある香りだと気づく。せっせと体に塗り始めたが、最後、背中の一部に満足に塗れない箇所があった。そこでつまずいているうちに、ドイツが掃除を終え戻ってきてしまった。
「何もたもたやってるんだ」
「ねえ、この背中の上のところが」
 ドイツはイタリアの手からクリームを奪うと、首の付け根から塗ろうとした。しかし、たった今バスタブ掃除をしてきた指先は冷たく、イタリアは短い叫び声をあげる。
「冷たい、冷たいよー!」
「ああ」
 手を洗面台の湯で温め、軽く拭ってからもう一度背中に手を伸ばす。
「これでいいか」
「ありがとー」
「だいたいな。お前の体が固すぎるんだ、まったく」
 普段、訓練で柔軟をやると悲痛な声をあげるので、つい手を緩めてしまうのだ。もっと厳しくしなければ、とドイツは考えた。
 イタリアがようやく服を着込み始める。
「おまえの匂い、このクリームだったんだね。けっこう好きだよー。俺トワレ変えたのかと思ってた」
「そんなに匂いがするか? 誰にも言われなかったが」
 ドイツは言いながら、クリームのよく擦り込まれた自分の手のひらを嗅ぐ。
「だって俺が一番匂い嗅いでるもんねー!」
 イタリアがはりきってそういうと、ドイツはため息をつき、クリームのキャップを閉め静かに棚に戻す。
「……兄さんが待ちくたびれてる。早く行くぞ」
「隊長! 隊長の顔が、あか」
 ドイツの右手の平は、イタリアのまぶた周辺を覆い隠した。
「それ以上言ったら、わかるな」
「俺、おまえの手もすっごく好きだよ……いてっ」
 額を小突かれてイタリアは嘆いた。
 ドイツは横を通り過ぎ洗面所を出て行ってしまう。
「言わなかったじゃんかぁ」
 イタリアは、最後に温かそうなウールのセーターをかぶって、後を追った。


 今日はまず、一緒に風呂に入るのを許したところからまずかった。しかし入ってしまったものを追い出すのは気が引けたし、そもそも、普通は断りも無く人の入っているバスタブに入らない。
 イタリアを出迎えただろう兄に、なぜ止めなかったのか尋ねれば、寒そうだったから、の一言で終わりだった。
 同性の友人に対して、自分が一番匂いを嗅いでいる、と主張し、さらに顔が赤いとわざわざ指摘するのは、イタリアにとってどんな意味を持つのだろう。
 ドイツにはわからなかった。イタリアに関することは、わからないままにしておいてもあまり問題が無いので、最近はそこまで追求しなくなった。だがどうも、悔しいという思いが残っている。自分ばかりが、イタリアの言動に翻弄されている状態がおもしろくない。
「ねえねえ、今日俺たちキスもハグしてないよー!」
 追いかけてくる声に、ドイツは唐突に振り返った。
 イタリアの耳の後ろに手をやり、力任せに引き寄せ、軽く唇を合わせた。思った通り嫌悪感はなく、可愛がっているペットにしてやる感覚に近かった。
 イタリアは眉尻を下げ、驚いているのか微動だにしない。顔を離すと、まだイタリアが固まっているのでおもしろくなり、今度はしっかりと重ねた。
 柔らかい、そう思って無意識のうちに下唇を少し吸うと、イタリアからくぐもった声が聴こえる。上下する喉が驚くほど官能的に見えた。ドイツは何故かもう一度口づけてしまう。何度かついばみ、ようやく体を離した。
「……調子に乗るから、こういう目に遭うんだ」
 ドイツは自分の大胆な行動に少し驚きながらも、今度はイタリアが困惑する番だと確信を持っていた。
 その通りで、イタリアは俯いたまま視線を合わせてこない。動揺しているいい証拠だ。それに加え、心なしか頬は紅潮しているし、瞬きが異様に多い。
「う、うん……。ごめん」
 ただ、ドイツの想像と違ったのは次第にイタリアの瞳が濡れてきたことだ。やがてはっきりと涙の粒が、何個か頬へ伝った。
「イタリア……?」
「わ、あれ……俺」
 イタリアは自分でも不思議そうに服の袖で涙を拭った。めずらしく顔を隠すようにしてドイツに背を向けた。
「俺、トイレに行きたい!」
 そう言い、洗面所へ走って戻ろうとするイタリアの腕を、ドイツはあわてて掴む。
「ま、待て! 今のは……特に意味はない! 何の目的も無いんだ。ただおまえに苛ついただけだ、単なる嫌がらせだ!」
「ドイツひどいよおお〜!」
 イタリアはようやくいつものように泣き出した。
 事態をどう収束すればいいのかわからないドイツは、とにかく念を押す。もうしないと言えば言うほど、イタリアはぐずった。最後には抱きしめて宥めたが、ねだられて小声で歌をうたっている最中に、プロイセンが廊下の先にあるリビングのドアから顔を出し、とても気まずい思いをした。

                    2010.10.28