スノードロップ

 ドイツはここ数週間調子が悪かった。
 それもこれも、夜眠れないせいである。
 体は疲弊している。眠らなければいけないとわかっているのに、ベッドで寝付けないまま、一時間以上も寝返りをうっている事がままある。
 暗闇に浮かぶ残像は、重苦しいことばかりだ。睡眠の質が悪いせいもあってか、夢見も悪く、すっきりしない。連日の睡眠不足からくる昼間の眠気にも、うんざりしていた。どこかで改善しなければならないと思っていた。
 原因はといえば、思い当たる節がある。
 今は真冬の一月だったが、先週末、春のような暖かい日があった。
 その後気候は例年通りに戻ったが、そのたった一日が、ドイツの体に大きな影響を及ぼしていた。慢性的なだるさは、やる気や思考力まで奪おうとする。悪循環に疲れたドイツはそのうち、イタリアに会いたいと強く思うようになった。
 仕事が忙しくなると言ってあったからか、イタリアとは数ヶ月会っていなかった。ほんの数回、イタリアからの電話で話しただけだ。
 連絡すれば、イタリアはきっと会いにくる。
 忙しいと言っていたのに、こちらから呼びつけるバツの悪さを噛み締めながらも、ドイツは週末、イタリアを家に招いた。これ以上健康を害せば仕事にも影響がでてしまうと、何個かの理由を無理矢理ひねりだした。イタリアが隣にいればよく眠れるものだと信じていた。根拠はなかった。
 イタリアと話しながらリラックスしてベッドに上がった。就寝の挨拶をして電気を消すと、しばらくして穏やかな寝息が聴こえてくる。
 落ち着く音だった。
 これを聴いていれば、いつか眠れるような気がした。
 しかしその時は一向に訪れない。
 イタリアの呼吸を聴いているのはとても心地よかったが、結局ドイツは、一時間ほど経過したところで起き上がった。行きたくもないが、儀式的にトイレに行く事にする。行けば眠れるというわけではないが、それで眠れたら万々歳だ。
 戻ってくると、イタリアがベッドの上で身を起こしていた。
「起こしたか」
「寒いよぉー」
「悪かった」
 ドイツはベッドにもどって横になり、イタリアを引き込んだ。すぐに擦り寄ってくると思っていたのに、ぎこちなく距離が開いている。二の腕を抱こうとした瞬間にイタリアも動いたので、脇腹に手が滑った。触れた体が小さく震えた。服を着ていれば問題ない事も、裸だと変に意識してしまう。イタリアの肌は滑らかで気持ちよく、いつまでも触れていたかった。
 夜中、こっそりイタリアの体触った事が何度かある。ドイツはその行為に昼間のハグなどとは明らかに違う意識をもっていた。イタリアは時々唸るが、起きていないのだと信じたかった。起きているのだとしたら、どう思われているのか考えるだけで顔から火が出そうだったが、今のところ指摘はない。
一度、尻を揉んだ時に欲情してしまったことがあったが、ドイツは若さ故の事故だと認識していた。
「ねえ、もしかして眠れないの?」
「実をいうとな……」
「仕事大変?」
「それほどでもない。……眠れないのは、先週気候がおかしくて、そのせいだ」
「泊まりに来いなんていうからさ〜。どうしたのかなと思ってたけどそういうことかー。じゃあドイツは、俺がいたら眠れると思ったってこと?」
「うむ……。まあ、そうなるな。おまえはよく寝るから、そういうこともあるかもしれんと」
「じゃあ、とびきりのやつやってあげよっか」
 イタリアが触ろうとしてきたので、ドイツは少し身を引いた。イタリアはゆっくり胸板に手を這わせる。
「何を」
「こうやって心臓の音、聴くんだよ。ドキドキしてるのがゆっくりになるまで……」
 動悸がして眠れないのだとは口にしていない。言い当てられた事にドイツは驚いていた。
「イタリア……」
 手は、布団の中で温められていたせいか、ほぼ同じ温度に感じられる。自分の鼓動をイタリアが感じているのだと思うと、少し緊張した。けれど、触られていると嬉しくなるのはイタリア相手だからだろうか。
「あと、あったかいところ、考えるんだよ。浜辺とか……春の花畑とかさ」
「暖かいところか」
「なんか心配な事ある? ドイツ」
「いや……」
「疲れちゃった?」
「ああ、まあ……疲れてはいるが」
 手が胸を離れ、耳上をそっと撫でた。手のひらはゆっくりうなじに廻る。まるで子供にでもやるような仕草で撫でてくる。
 こんな風にされることは滅多にない。ドイツが用心し隙を見せないからだった。とにかく照れ臭さに耐えられないので、普段ドイツは、イタリアに甘えることを自制している。そもそも見ているだけで充分だし、甘えたい、優しくされたいなどとは思わないものだ。今、享受してしまっているのは、相当まいっている証拠だとドイツは思う。
「いい子だね……」
 眠るためという理由がある分、自分を許せた。
「おまえは〜、がんばりやさんなの〜、イタリアはとってもーよくしっている〜」
 イタリアが、何かのメロディに合わせて歌いだしたので、ドイツは黙って聴いていた。
「眠れないときはぁー、イタリアをよぶぅ〜。イタリアのことがだいすきだから呼ぶ〜 いっしょに寝たら、寝れるかも〜しれなくてぇー、イタリアが大好き〜、すげー好きー」
「おい」
「なに?」
 言い過ぎと思って歌を遮ったが、全面的には否定できなかったので、ドイツは口を噤む。
「えーと……、あ、どこまで歌ったっけ」
「歌はもういい…………。俺のことは放っておいていいから、寝るといい」
 イタリアに気を使われるのは疲れる。やはり甘えるのは性に合わないのだと感じた。
「でもさー」
「寝ろ」
「うーん……ごめんね」
 イタリアはその後もぶつぶつと言っていたが、やがて静かになった。やはり眠たかったようだ。
 ドイツもゆっくり目を閉じた。本当の暗闇になる。イタリアの呼吸以外には、ほとんど音がない。
 ドイツはさっきと何かが変わったような気がした。
 歌を聴いたからなのかもしれない。あんな歌で……と思うと、気恥ずかしく納得がいかなかったが、もういい加減に認めるべきかとも思う。こうしてイタリアを頼ってしまうなんて、自分が思っている以上にイタリアの存在は大きいようだ。まぶたの奥がじんわりと温かい。
 イタリアはよく、何でも話してと言う。
 劇的な変化があるわけではないが、その行為には確かに意味があるのだと、ドイツは思う。
 借りを作ってしまったので、今度はイタリアのシエスタに一度付き合ってみよう、という気になった。
 イタリアはどんな顔をするだろうか。どんなふうに言いだせば自然だろう。そんなことを考えているうちに、ドイツはいつしか眠りに落ちていた。
 翌朝起きたときには、イタリアを呼んで本当に良かったと思えた。

2011.2.28