後編


 移り香はよくわからなかった。再びベッドに寝転んでみたものの、どうしても気になってしまい、手短にシャワーを浴び戻ってきた。寝転んだあたりの、枕やシーツのにおいも嗅いだ。やはりわからなかったが、落ち着いて眠るためだと思い、カバー類をつけかえた。ベッドに入り、クッションを背もたれに、イタリアのことを考えていた。
 イタリアと性交をするようになってから、もう1年が経過していた。
 何をすれば喜ぶのか、何を嫌がるのか……、最初は思い通りにはいかなかった。1年のあいだには、数回拒否されたこともあった。性欲というより、体力の差が問題だった。イタリアは疲れれば素直に寝たいと言う。反して、性欲をうまく管理できていなかった頃の自分は、そんなイタリアに、知らず知らずのうちに無理を強いたのだろう。そういった危機をを乗り越え、ようやく性交の全体が把握できるようになり、心の余裕もできはじめ、満ち足りた夜の生活を送っていた。
 しかし自分は、イタリアとの交わりでは満たすことのできないフェチズムを持ち合わせていた。はなからそれの解消にイタリアを付き合わせる気はなかった。似合わないだろうし、嫌がるのは目に見えている。口にしたことはない。
 イタリアが置いていった箱に目をやる。
 何故今日だったのだろう。運が悪いとしか言いようがなかった。自分から誘うつもりはなかったが、イタリアから誘ってきたのなら話は別だ。本当に惜しいことをしたと思う。
 今日観てきたものは、刺激的で美しく、欲を満たすものだった。それは確かだったが……。
 コンコンという軽いノック音を耳にし、ドアを注視する。顔をのぞかせたのはイタリアだった。
「入っていい?」
「ああ……」
 イタリアは出ていった時と同じ毛布を羽織っていた。ベッドに寄り、足元の隅にボスンと腰掛けた。こちらを向く。
「あのさ…、もう仲直りでいい? 俺ドイツに会いに来たのに、別の部屋にいるなんて変だし」
 答えようと口を開くと、イタリアは遮るように言葉を重ねた。
「出て行く時、ドイツが悲しそうな顔してたから、それがずっと頭にあって…眠れなかったの……」
 そう言って眉尻を下げ、はにかんだ。
「俺達ってさー、タイミングばっちりだね」
「…ばっちり? 最悪なんじゃないのか…」
「ドイツもSMのこと考えてて、俺も考えてたんだよ。ばっちりだよ」
 言われてみれば、そうとも捉えられる。だだ、SMの対象を別のところに求めた自分がいけなかったのだ。
「……おまえは、興味が無いだろうと思ったから、口にしなかった」
「そーいえば昔、結構からかっちゃったもんね……。でもぜんぜん興味ないってわけじゃないよー…。手錠入ってて驚いた? 柔らかいおもちゃだけど」
「もちろん、驚いた……」
「試してみるのもいいかなぁって……あれ? ドイツシャワー浴びたの?」
「ん? ああ、そうだな、浴び…たが……」
 イタリアがこんなに早く和解してくるとは思わなかったので、気にしてシャワーを浴びたことが少し照れくさかった。シーツを替えたことに気づかれないよう祈ったが、白からクリーム色に変わってしまっている。時間の問題だろう。隠そうとするのはかえって悪い印象をあたえるかもしれない。
「自分でも匂いが気になってな」
 いつものような素っ気ない発言を控えよと、必死に自分で言い聞かせていた。
 イタリアは少し笑顔になる。
「シーツも替えたんだ。良かったら中に…はいるか」
 言いながら、イタリアのために半分をあけ、掛物の縁を折った。イタリアは、すぐにその場所に収まった。ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、一緒に寝れて……」
イタリアは枕に頬を半分押し付けながら、微笑んでそう言う。
「あのまま帰ってしまうかと思ったぞ。…本当に悪かったな」
こめかみにキスをしてから、隣に寝そべった。イタリアは肘をつき起き上がって、首を伸ばし唇を重ねてきた。ごく軽いものだ。イタリアはすぐもとの位置にもどり、仰向けになった。
「SMってさ、何が一番魅力なのかな」
「……コスチュームや、行為の派手さが目を引くが、一番は……そこではないと、俺は思う」
「なにー?」
「うまく説明できない……。俺は、まだ体験したことはない。だがおまえと……」
「うんうん」
「できるなら、嬉しいんだが」
「うん……俺もしたいな」
イタリアは、そっと手をつなぎ指を絡めてくる。脳内にめぐっていた様々な不安が、静かに消えていった。
「あの手錠だけでも、SMできる?」
「充分だ。俺は……、おまえとのあいだに、本格的なものは望んでいない。第一、おまえが泣くようなことはしたくない。少しだけ、そういったエッセンスがあればな……」
「そっか…。優しいね、ドイツ……」
ようやくイタリアの手を握り返した。イタリアの指先の動きが止まる。息を飲んだ。このまま、行為に持ち込んでいいものだろうか。それとも、今日は反省の意をこめて、おとなしく寝るべきだろうか……。イタリアはただ微笑んでいたが、真意はわからない。どちらでも受け入れてくれそうだ。
「エッセンスってどんなこと? 俺、ドイツにさー……、よく感じるセクシーな体だって言われたいな。こういうのでもいいの?」
「ほ……めるのは、違うんだが」
「そっかー。でもドイツ言ってみてよ」
「なぜだ」
「お願いー」
「よく感じる、セクシーな、から……体だ」
「このくらいで恥ずかしがってちゃだめだよ、ドイツ」
イタリアは手をつないだまま言った。
「もう一度言ってみて」
「よく感じるセクシーな体だ」
「棒読みだよ〜。もっと感情こめて…」
 イタリアが何故こんなことを言い出したのかわからなかったが、機嫌を損ねたくないので、とにかく従うことにした。
「よく…感じる、セクシーな体だ…」
「ドイツが、俺をこんな体にしたんだよ」
 耳に唇をあて、イタリアはささやく。熱い吐息を感じた。
 肩にイタリアの額が触れ、胸が高鳴った。
「今日はなんでも、おまえの言うことをきこう」
詫びのつもりでそういう。
「ヴェー、じゃあ俺もなんでもいうこときいちゃうよー!」
「それでは意味が…」
目が合うと、イタリアは覆いかぶさってきてキスをしてきた。キスを返し、やがてイタリアを組み敷いた。その夜はいつもより長く濃密に交わり、終わった頃にようやく、手錠の存在を思い出したのだった。しかし、まだやる気はあった。行為中、ずいぶん気遣っていたのでイタリアもまだ余力がありそうだった。何よりイタリアが先に気づいて、箱から手錠をとった。イタリアはこちらをじっとみつめ近づいてきた。半分たちあがっていた雄に、そっとおもちゃの手錠をかけ、頬を赤らめる。雄はすぐに熱さを取り戻し、固くなり、収まるところを欲して脈打った。手錠は脇において再び激しく愛しあい、終わってキスをしているうちにイタリアは眠った。寝顔を見ながら、イタリアの肩をゆっくり撫でる。それから何度か頬にキスをし、髪をすき、また頬にキスをした。


2013.2.27


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