シエスタしたいな


「ほな、元気でなぁ。イタちゃんも来ると思っとったのに、残念やわ〜」
「うんー。また今度!」
 二日間に渡った会議は、昼過ぎに終了した。
 イタリアはその帰り際スペインに話しかけられる。近況報告をするうちに会話が続き、結局会議室を出たすぐの休憩所で話し込んでしまった。来る時は兄のロマーノと一緒だったが、帰りは別行動の予定だ。兄はスペインへ、イタリアはオーストリアに行くことになっていた。
 ドイツとオーストリアはしばらくイタリアを待っていたが、そのうち、上のロビーに居ると言い残して去ってしまった。イタリアは、スペインとロマーノの背を見送ってから、エレベータで上階を目指した。
(九階だっけ……?)
 着いてみると、そのフロアは複数の貸しホールが入っているようだった。たまたま催しものがないのか、それとも世界会議の警備の関係なのか、閑散としていた。
 左右を確認すると、左手通路の奥が壁一面ガラス張りになっていて、ここからだと逆光で真っ白に光って見える。近づいて行けば、そこが説明された場所なのだと分かった。
 四つあるソファセットは陽射しに覆われ、その一つに、ドイツの姿がある。窓向きのゆったりしたソファの端で、肘掛けに肘をつき、眠ってしまっていた。
 床に敷き詰められた絨毯のおかげで、イタリアの足音は消えている。目の前まで来て顔を覗き込んでも、ドイツは微動だにしなかった。ここ数週間の疲労のせいかもしれない、とイタリアは思う。
 一階エントランスホールにも広いロビーがあったが、飲食物の販売もあるので常に人が多く静かになることはない。ここにはドイツ以外誰もいなかった。オーストリアはどこへ行ったのだろうと、念のため辺りを見回したイタリアの目に、壁の時計が飛び込んでくる。三時だった。イタリアは、気持ち良さそうに寝ているドイツをじっと見つめた。
 ドイツには、自宅ならともかく外で居眠りをしているときは必ず起こせと言われている。事例はたった一回しかないのだが、イタリアはその時、つい一緒になって眠ってしまい叱られたのだ。
(でも俺もシエスタしたいな……、どっちかが起きてればいいのかな)
 イタリアはドイツの隣に腰掛け、横から肩を揺すった。
「ドイツドイツ〜」
「なんだ……」
 目はつぶったまま、ドイツの口だけが小さく動いた。
「起きないと〜……、えーっと、俺と交代しようよ」
 唸りはしたものの、目覚める気配がない。
 今の返事は無意識か、それとも寝ぼけているのか……。イタリアは再びドイツを見つめ、その顔に手を伸ばした。頬に人差し指をぐいぐいと押し込ませていると、急にドイツの左手が持ち上がりイタリアの手首を掴んだ。
「もう寝ろ……」
 手は掴まれたまま、ドイツの左腿の上に落ちついた。ドイツは起きない。イタリアはどうしようかと考えているうちに、本格的な眠気が襲ってきてしまった。
(ドイツ、ぽかぽかしてる……)
 暖かい陽射しは、燦々とロビーを照らしている。少しだけと思い、ゆっくりドイツの肩に頭をもたれるとホッとした。グレーのスーツには、嗅ぎ慣れたドイツの匂いと太陽光の温かさが入り交じっていた。



 レストルームに向かったオーストリアは、遠回りをし同じところを何度も行き来しながら、ようやくドイツの待つロビーに帰ってきた。
 席に着くとドイツが居眠りをしていることに驚き、そして、そのドイツにもたれて眠っているイタリアも同時に発見する。
 二人の手はドイツの膝の上で繋がれていた……、というより、ドイツが一方的にイタリアの手首を握っていた。
 腕時計を確認すると三時半だったので、イタリアの習慣を思い、起こさず待つことにする。この後はホテルに向かうだけで急ぎの用はない。
 オーストリアは会議に使った資料を取り出し、読み返そうとした。しかし、あまりの強い陽射しに、紙面が白く照り返して焦点が定まらない。仕方なくファイルをしまい、鞄の中を整理するうち、とある重要なことを思い出す。
 深いカラメル色の鞄から出てきたのは、ハンガリーのデジタルカメラだ。『道中の様子を撮ってきてほしいんです』そう頼まれていたのだ。このカメラを目にするまで、すっかり忘れてしまっていた。
 オーストリアはカメラを手に立ち上がる。
 ドイツとイタリアが仲良くしていることは、ハンガリーにとって喜ばしいことだ。それだけはオーストリアの頭に強く印象付いていた。二人の前に立ちカメラを構えたが、表情が入らないことに気づいてかがんだ。
しかし、イタリアがドイツにもたれ掛かっているのだとよく分かる構図にすると、ちょうど良さそうな位置にテーブルがあるので思うようにカメラが構えられなかった。反対側では遠すぎるし、手前では近すぎる。
このテーブルさえなければ……、そう思いながら、仕方なく横から撮ることにした。
 液晶に表示されている二人の横顔はずいぶんと幼く見えた。
 最良ではないが、太陽光の力も借りてなかなか芸術的な画面になったと、オーストリアは頷く。保存されているか確認してから電源を切った。腕時計を見るとちょうど四時だった。
 オーストリアは二人の前で腕組みをして、少しだけ声を張った。
「もう四時ですよ」
 ドイツはすぐに目を覚まし姿勢を正して、仁王立ちになっているオーストリアを見上げた。
「すまん、少し寝てしまったようだ。……イタリア!」
 ドイツは左肩にもたれ掛かっているイタリアに気付き、肘でぐいと押しやった。
 イタリアは眠そうに目をしばたたかせている。
「いつ来たんだ?」
「んー……」
「おい、なぜ起こさなかったんだ。俺たちはお前を待っていたんだぞ」
「俺、起こしたよぉ……でもさー」
 二人の間で、平行線の言い合いが始まってしまったので、オーストリアはため息を漏らした。
「まあ、何も盗まれなくてよかったじゃないですか。そのくらいにして、行きますよ。二人とも荷物を持って。ああイタリア」
 オーストリアは、デジタルカメラをイタリアの手に乗せた。
「ハンガリーの物なんです。頼まれていたのを忘れていて……。あなたのほうが適役でしょう。なにか、彼女が喜びそうなものを撮って帰ってください。頼みましたよ」
 渡されたイタリアは、早速電源を入れ、先に歩き出したオーストリアに向けてカメラを構えた。
 しかし見つめた液晶には、寄り添って寝ているドイツとイタリアの姿が写っていて、思わず固まる。
「おわ!」
 イタリアは声を上げ驚く。
 膝上からの写真だったので、ドイツの手がイタリアの手首をしっかり握っているところも写っていた。これは揺るぎない証拠だと素早くドイツを振り返ったが、ドイツは目も合わせずに、イタリアの横を早足で通り過ぎて行った。
「おい、オーストリアそっちじゃない! そっちじゃ……止まれ!」
 イタリアはドイツの背に声をかけようと口を開きかけ、だがもう一度、液晶画面に見入ってしまう。
 この写真を撮ったのは、もちろんオーストリアだろう。オーストリアの考える『彼女の喜びそうなもの』に自分たち二人が入っていたのだ。
 イタリアは思わず顔を綻ばせた。


               2010.11.25