Rainy Day

前半(ハッピーエンドですが、ちょっと無理矢理で15禁くらいです)


 ドイツに距離を置かれているように感じたのは、つい先週だった。
 何かやってしまったかと思い返してみても、当てはまるようなことはない。ご機嫌伺いに訪ねれば、同居しているオーストリアが文句を言いつつ構ってくれる。さらには毎週末通い詰めているハンガリーも喜んでくれるので、ドイツの機嫌が直るまでと決め、足繁く通った。
 本人にあまり快く思われていないのはわかっていた。ただ、もう少し様子を見ようと決めていた。何かあったとき蚊帳の外では嫌だから、側に居たかった。
 その日イタリアは言いつけ通り客間で眠ったが、嫌な夢を見て飛び起きた。息を整えるうち、なん
の夢だったのか忘れてしまったが、誰かとの別れだったように思う。切なく、そして言い知れぬ不安が胸にあふれた。とても一人ではいられない気分だった。
 手探りでシャツをかぶり、枕を抱え部屋を出てから、どこへ行くべきか迷う。
 ドイツには、一人で寝ろ、ベッドに入ってくるなと、近頃きつく言われている。
 オーストリアも選択肢に入れたが、なんだかんだで、いままで頼った事などなかった。事前に言ってあるならともかく、いきなり行っては本当に驚くだろう。もう午前二時だ。
 今晩ドイツもとへ行くのは、ちゃんとした理由がある。きっと許してくれるだろうと、イタリアは歩き出した。

 静かに部屋のドアを開け中に入ると、彼は静かに寝息を立てていた。眼を凝らせば、驚く事にベッドの半分は開いている。枕は中央にあるので、寝返りをうってこうなったのだと分かったが、受け入れられているような気になって、急いでベッドに上がる。自分の枕を置いて寄せ、ドイツの横に収まった。見慣れた広い背中の輪郭がぼんやり見え、嗅ぎなれたベッドの匂いに心底ほっとする。
「ドイツ……」
 思わずつぶやいてしまい、慌てて唇を引き結んだ。
 今日は肌寒かった。少しだけならいいかと、その背中に頭を寄せると、急にドイツが上体を起こした。
「わ、ごめん起こしちゃっ」
 文句を言われるかと思ったが、ドイツは何故か体の上に覆いかぶさってきた。薄暗くて、表情はよくわからない。
「理由があるんだ、聞いてよ。えーっと、今俺夢をみて」
 ドイツの手は、強く肩を押さえつけてきた。これはきっと仕置きに技をかけられて、ベッドから落とされるのだろうと予想した。息を飲み、体をこわばらせると、次第に顔が近づいてくる。やがてそっと唇が重なり、思いも寄らぬ行動にイタリアは眼を丸くした。
「ど……どうしたの?」
 寝ぼけているのだろうと思いつつ、そう尋ねた。そして彼が正気になったとき、どんな慌てた顔をするのか想像して、一気に気分が高揚した。笑い声まじりに逞しい首に手をまわす。まるで恋人にやるように、短い毛を指に絡め玩んだ。
「俺、女の子じゃないよ?」
 直後、再び唇が覆われた。何度も口づけられ、ドイツの大きな手が、胸を伝い、下腹部を弄る。そして、雄に触れた。
 さすがにもう間違えているわけではないと気づいて、イタリアは慌てて体の下から逃れようとした。しかし力の差は歴然で、もがく事すらできなかった。
「……っ、ね、ねえドイツ……寝ぼけてるんだよね」
 そうあってほしいと願いながら、口にする。
 口付けは、顔を背ける事で多少どうにかなったが、下半身は逃げ場がなかった。ドイツの手のひらが、指が、直に自身に触れる感触は、思った以上に刺激が強い。すぐに勃ち上がってしまい、下半身に何も身に付けていない事を大いに反省した。
「あはは、やめてよ、ちょっと俺さすがに……」
 まだなんとか笑いながら、ドイツの体を懸命に退けようとしていた。相手がドイツであるいうことが、どうしても受け入れられなかった。
 自由にならないことがもどかしく、同時に焦りも湧いてくる。ドイツの体は動こうとしない。
「ごめん、も……もう、やめて、やだって……」
 このままでは、よりによってドイツの手で導かれてしまう。そうしっかり意識すると、強烈な羞恥心がこみ上げてきた。
「やだぁ……」
 一緒に涙も溢れて、イタリアは精一杯の抵抗を試みた。股間から彼の手を外そうと頑張ったが、虚しいほどびくともしなかった。
 だからといって、力任せに叩いたり殴ったりするのは、どうしても気が咎める。ベッドに来るなと何度も注意されたのに、約束をやぶった自分が悪いのは明らかだ。
 だか、この状態は我慢できない。
 どうしようか迷っているうち、イタリアの体が先に根を上げた。
 生暖かい、液体の感触。それは、ドイツと自分の雄の間にあって、彼の手に付着している。
 それを想像して、叫び出したくなった。
 こんなこと許せない。
 彼の手が汚れてしまった気がした。自分を撫でてくれる優しい手が。
 どうしようもなく悲しくなり、顔を覆って泣きだした。ドイツが、布のようなもので股間を拭ってくれている。
「……イタリア」
 泣きじゃくることしかできなくなったイタリアの替わりに、ドイツが思い出したように声を発した。まるでいつもの声だった。
 これ以上恥ずかしい姿を見られたくなくて、なんとか力を入れ起き上がる。
 ドイツが何か言いかけたのがわかったが、聴きたくなくて、羽枕を思い切り顔面に投げつけた。そのまま一直線へドアへ向かい、振り返らずに部屋を出た。



 ドイツは薄暗い部屋の中、ベッドの上で頭を抱えていた。
 残されたのは、しわくちゃになったシーツと、驚くほどの罪悪感だった。何度ため息をついても変わらない。暗くてイタリアがどんな悲愴な顔をしていたかわからなかったが、枕の湿った感触に胸が痛んだ。
 いつからか、イタリアの飴色に透ける瞳が、自分に向けられる度、衝動的な思いを抱くようになっていた。人前のスキンシップならまだいい。彼は泊まりにくると必ず、裸で自分のベッドに潜り込んでくる。それが悩みの種だった。
 意識する前は、裸にシャツ一枚ひっかけてふらふらするイタリアに呆れて注意もしたが、今ではその姿を正視できなくなっていた。
 惜しみなく投げ出される白い足。よくもあれほど無防備になれるものだと感心すらした。そしてそれが、自分の前だからなのではないかと、いらないことを想像し始めた。自惚れであったとしても、喜んでいる自分がいた。
 近頃は、彼の口から出る女性の話ですら、不愉快に思うようになった。嗜めるつもりで怒鳴りつけながら、ほんとうは醜い嫉妬心でいっぱいだった。
 そして昨日、気づけばイタリアが隣にいた。最近は言いつけを守ってベッドに入ってこなくなったから、内鍵を閉めるの忘れてしまっていた。本当なら、彼が部屋に入って来たと気づいた時点で、追い返せば良かったのだ。
 名前を呼ばれ、背中に触れられドイツもう限界だった。
 もう自分は何十回とベッドに入ってくるなと注意した。それを心の中で言い訳にして、イタリアに触れた。途中で彼が怯えていることに気づいたが、手放す気にはなれなかった。
 
 イタリアは深夜に家を出て行ったようだ。朝、彼の使っていたはずの客室はもぬけの殻だった。
 四人分の朝食を作っていたハンガリーに適当な言い訳をすると、ずいぶん残念がられた。それもそのはず、イタリアは今日は一日、ここで過ごすはずだったのだ。
 朝食を済ませたあと、花屋に寄って花束を買った。彼を深く傷つけた事は確かで、花が少しでも慰めになればと思った。
 昼過ぎにイタリアの家に着いてみれば、ノッカーを握る前に、ドアが引かれれ、待ち構えていたようなしかめ面のロマーノが顔をだした。
「なんの用だイモ野郎」
 ロマーノは眼光するどくドイツを睨みつけた。
「イタリアに会わせてくれ」
「会う気はないってよ」
「あいつが言ったのか?」
「イモ野郎が来たらすぐに追い返せってな!! あああと、大嫌いだからもう二度と家にくんなって!」
 吐き捨てるように怒鳴られ、勢いよく戸が閉まり大きな音が響く。
 仕方なく、手帳をやぶり走り書きのメモを挟んで、花束をその場に置き、踵をかえした。
 ロマーノの言う事は、本当か嘘か分からない。だが、そう言われても仕方のないことをしたと、思っていた。


 ***


「あの、今日は一体どうなさったんですか……?」
 口にした途端、目の前の二人の表情が固まる。訊いてはいけないことだったのだ、と気づいてももう遅い。迂闊だった。
 この二人の間に、本当に気まずい事が起こると思っていなかった。喧嘩のパターンは決まっていて、イタリアがなにかまずいことをして、ドイツに叱られるのを待っているというのが通例であった。
 それは日本からみれば、微笑ましい光景だ。だが今日は違う。
 二人とも何かを必死に押し隠しているようだった。
 朝から不審に思っていた。三十分遅れで集合場所の広場についたときから、二人はぎこちなく、不自然だった。イタリアは笑顔だが、憔悴しているように見える。隣のドイツは自分を見て、心底安心したような顔をした。
 現在夕刻である。
 いつもならば、これから三人でどこかに食事に行こうと、イタリアが提案するあたりだ。
 日本は返答を促すように、曖昧な笑みを浮かべて、二人を交互にみやる。
「えー……何も? 何もないよ……ね? ドイツ」
「あっ……ああ、あたりまえだ」
 そう言いながらも、二人は互いを見ない。日本はますます驚いて、どうするべきか判断に迷った。
「そ、そうですか……いえ、あの……、それならいいんですけれど」
 言及しようかとも思ったが、自分が関われるのは今日だけだ。明日にはまた飛行機に乗らなければならないし、今ほんの少し首を突っ込んだところで、どうにもならないだろう。
「んじゃ、日本またね。今度はもっと長くいてね〜! また俺んとこにもきて〜、ご馳走するよ!」
 イタリアが抱擁してくる。いつもならその後、ドイツのもとに舞い戻るであろう彼は、途中で思いついたように踵をかえした。
「あー、今日、兄ちゃんに早く帰ってこいって言われてたんだったー」
 いつにも増して覇気のない様子でしゃべるイタリアは、ドイツのほうをちらりとも見ない。
「イ、タリア、ちょっと待て……」
「じゃあねーっ!」
 ドイツの呼びかけを強引に振り切り、イタリアは駆け出し始めた。
 日本は眉を顰める。
 横に並んだドイツは、いつものように追いかけて捕まえようとしない。右手を力なく前に伸ばしたまま固まって、イタリアの背中を見送っている。不自然だった。
 そして驚くほど、捨てられた犬のような眼をしていた。イタリアは振り返らない。
 日本はすぐに心を決めた。
「ああっ……急に差し込みがっ」
「どっ、どうした?!」
 大げさに腹をかかえてうずくまった。演技は不慣れで恥ずかしかったが、二人のためだ。
 声を聞きつけたイタリアもすぐに戻って来た。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……も、申し訳ありません……」
「食い物にでもあたったか?」
「いえ、大丈夫です。少しこうしていれば……うっ」
 体を震わせ、笑顔を消す。
「とにかく、近いのは俺の家だ。行こう、歩けるか?」
 ドイツが背を見せ、おぶるような仕草を見せたので、日本はふらふらと立ち上がった。
「すみません……少しだけお世話になります」

***

 今日のことは、集合場所も時間も、もう一ヶ月も前に決まっていた。わざわざ日本が来るのだからすっぽかすわけにもいかない。
 この二週間、ドイツとは一切連絡を取っていなかった。どうやって挨拶するかは、もう決めていた。
 二週間前のことは、なかったことにする。
 きっと、ドイツもそのほうがやりやすいのではないかと思えた。ドイツは深く悩むクセがあるから、笑い飛ばした方が、きっとお互いの為だ。わだかまりなんて一切残したくない。反省してないと思われてもいい。
 しかし、時間より少し遅れて広場に行ってみると、待っていたのはドイツ独りだった。日本は飛行機が遅れているのだという。
 あくまで、日本と三人でいる時のことしか想定していなかったから、イタリアは焦った。威勢の良い、久しぶり!で始め、日本が来るまでの三十分間しゃべり続けた。いつもならば全く苦とも思わないのに、何故か半日ほどにも感じられた。言葉がツルツル口から滑り出るだけで、内容などまるでない。
 ドイツが何か重い言葉を口にしようとすると、それを遮って話題を振った。何度か繰り返して、ドイツは少し困ったような顔をしていたが、とくに怒鳴ることもなく、ひたすら相づちを挟んでいた。
夕刻まで乗り切ればそれで良かったはずなのに、今はドイツの家の客室だった。目の前のベッドには日本が横たわっている。倒れた時は心配したが、もうずいぶん良くなり、笑顔も見せるようになったので、安心していた。
 とりとめのない会話が途切れたところで、イタリアは立ち上がった。負担にならないよう、そっと日本の肩を抱く。
「じゃ、もう遅いし、俺帰るね」
「イタリアくん、泊まっていかれないんですか?……いえ、私が言う事じゃありませんけど、いつもは……」
「うん……、ちょっと今日は兄ちゃんに言われてて」
 部屋を出て行こうとするイタリアの手を、日本はとっさに掴んだ。
「待ってください!」
「ど、どうしたの〜?」
「私……お世話になっておいてなんですが、とても緊張していまして……、落ち着かないんです。イタリアくんが居てくれると……嬉しいのですが……」
「そう? 日本、オーストリアさんとは話した事ないっけ? あっでも会議で会ってるか〜……とっても優しいよ」
「あの……ドイツさんでは頼りないなんて、そんな訳ないのですが、その……どうもつられて固くなってしまいがちで…」
 体調の悪い時は、心細くなるものだ。その上、しっかりものの日本に、こんな風に頼られることなど、そうそうない。イタリアは純粋に嬉しく思い、笑みをこぼした。
「うん、わかった! じゃあ兄ちゃんに電話してくるね」


 日本が寝息を立て始めたので、イタリアは書斎から持って来た本を開き、眼を通した。しばらくして、まぶたが重くなりうとうとしていると、ノックがあり振り返った。入ってきたドイツの顔にどきりとする。シャワーを浴びて来たようで、髪は濡れ、前髪がおりていた。
「どうだ? 様子は」
 彼の手には日本の為の新しいタオルと、桶があった。ナイトテーブルに置くため横に並ばれ、見上げるのがつらい体勢になったので、イタリアはようやく顔を元に戻す。普段どんなタイミングで、眼を離していたのか思い出せなかった。
「ん、寝ちゃったよ。ねぇ……、日本が緊張するから俺にいてくれっていうんだけど……、いいかな?」
「もちろん。あたりまえだろう」
 思い通りの答えが返って来ても、あまり嬉しくない。息がつまりそうだ。
 今日の彼は、苛々しているように見えた。
 朝から全く耳を貸さないんだから当然だ。けれど、ドイツの口から、出てくる言葉がこわかった。どんな眼で自分は見られているのか、想像するとぞっとした。こんなふうに言いながら、帰れと思っているかもしれない。疑うようになった自分にもうんざりした。
 少しの沈黙のあと、イタリアは意を決して口をひらいた。
「ドイ…」
 するとそれにかぶせるようにして、ドイツが強い口調で言った。
「この間は本当にすまなかった。お前はもう蒸し返されたくないのかもしれないが、やはり言っておく。俺は……」
 一層眉にしわを寄せしゃべるドイツに、イタリアは眼を見開いた。
「なんでドイツが謝るの」
「なんだと?」
「散々言われてたのに、俺がベッドに入ったから怒ったんじゃ」
「……まあ……、そうだが。それにしても俺はだな、お前にその……ひどいことをしたと……思っていて」
 ドイツは顔を赤くして口ごもる。
「あのね俺、家で映画見たんだ。スペイン兄ちゃんが……持って来たんだけど」
「野生の子鹿をね、怪我して苦しんでるのを介抱してあげるんだ。でも懐いちゃって、森に帰って行かないんだ……。だから、……わざと石をぶつけて、自然に戻れるようにするんだって……。俺……そっか!って思って……。ドイツがしたこと」
 素晴らしい例えだと自分で思っていたが、ドイツには通じていないようで、彼は眉間のしわを深くしただけだった。
「俺、甘えてたと思う……。いつのまにか、ドイツは俺がなにしても、許してくれるって思ってたんだ」
「あのな……別に、俺はおまえを叱ったわけじゃない」
「だってさ……口で言ってもきかないから」
「バカ、……なっ、なんであんな方法で叱る必要があるんだ」
 ドイツは、怒鳴ろうと顔を真っ赤にして口を開き、だが言葉を飲み込んで、咳払いをして続けた。
「…………そんなわけないだろう」
「だって、じゃあなんで?」
「あのな」
 ドイツは息を吸い込んだが、ため息に変わる。何度かそれを繰り返して、ついに顔に手を当て首を振った。
「……いいんだ。とにかく、もう互いに忘れよう」
 彼が何を言おうとしているのか、イタリアにはわからなかった。今までも何度かこういう事はあった。ドイツは迷うと、結局伝えようとしない。最後は心の内に秘めてしまう。
 自分が鈍感で、普通ならばは察せられることなのだろうかと、だから言わないのだろうかと、悔しく感じることもあった。
 距離を置かれているように感じ、戸惑う事がある。
 たとえ頻繁に同衾したって、いつも心が近いわけではなかった。ドイツの思う事や考えを理解できないと思う事もあるし、反対に自分も、伝えたい事がねじ曲がって受け取られてしまう事もある。性格の違いは大きい。
 迷惑をかけても、ドイツは文句を垂れつつ受け入れてくれるので、甘えてしまうのだ。
 そして彼のもとは、抜群に居心地が良い。
 ドイツは小さく唸りながらイタリアの横を去り、壁際にある椅子に座った。ため息交じりに吐き出す。
「おまえは、キスする理由もわからないのか」
「理由?」
 そう問われ、首だけ振り返ると、ドイツは視線から逃げるように俯いた。
「愛してる…でしょ。愛してると……、愛してる。恋しい、こっち見て、可愛いね、そのくらい?」


END

2010.7.26〜8.01 初稿
2012.7.01 修正再UP




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