「ねえ、ドイツ」
 ゆすり起こされ、部屋の電気がついていることに気づいた。まぶしさに目を細めイタリアのほうに顔を向ける。不安そうに目を潤ませ、俺を覗き込んでいた。
「起こしてごめんね」
「どうした」
 そう聞いたのとほとんど同時に、イタリアは胸に飛び込んできた。
「ごめんね」
 ただ額を強く押し付けてくるだけで、説明をしない。イタリアは一緒のベッドで寝たがるが、必要以上に触れてきたりしなかった。ただごくたまに、こういうことがある。起こしたりせず、いつのまにか背中にくっついていたり、または懐に入り、頭を寄せ寝ていることもある。
 何回かのうちに気づいたが、そんなことがあった翌朝のイタリアは、いつもに輪をかけぼんやりとしていて覇気がない。
「かまわないが……電気を消せ」
「あ、そっか」
 イタリアは、いったん身を起こして部屋の明かりを消した。戻ってくるともう一度胸に頭を寄せる。鎖骨に張り付いたイタリアのこめかみが濡れていることに気づいた。
「おまえのベッドで寝るの好きだけど……、たまに……初恋の子のこと、夢に見るんだ」
「初恋か……。ああ」
 いつかのヴァレンティーノに聞いた話だった。
「ドイツと髪の色とか光り方とか、ほとんど一緒だったからさ。それで、思い出すんだと思うんだー……」
 俺はイタリアの頭を撫でた。
 イタリアは、その初恋について内容を語りたがらない。細部をぼかして話しているのがよくわかる。あえて訊くことはしていないが、良い結末を迎えなかったのだろうと、俺は勝手に想像していた。イタリアの様子から、楽しい夢を見たのではないということは、容易に見て取れた。
 しかし、今日に限ってわざわざ俺を起こしたのは、何か意味があるのだろうと思った。夢の内容を、誰かに聞いてほしかったのではないか。
「どんな夢だったんだ?」
「秘密」
 イタリアは俺の言葉尻にかぶせるように即答した。らしからぬその言いようと拒絶に少しムッとして、ため息をつく。
「…嫌な夢は、人に話した方がいいと言うぞ」
「そんなんじゃないんだよ、ぜんぜん……嫌な夢じゃなかった」
「聞かれたいのか聞かれたくないのか、はっきりしろ」
「わかんない」
「話す気もないのに、なぜ俺を起こした?」
「おまえの声が聞きたかったから」
「……聞いてどうする」
「んー……、ドイツが俺のそばに居るなぁって、思うだけ……」
 俺は何も言い返すことができなかった。イタリアはしばらくしてもう一度口を開いた。
「すげー幸せ」
「うむ…」
 イタリアがこういうことを言い出すと、俺はただ曖昧な相づちをうつことしかできなくなる。とにかく気恥ずかしくて、イタリアを無視してしまいたくなる。今日は寝たふりをすることができるので運が良かった。自分が思う、出来る限りの自然体で寝息を立て、寝ていると思い込むことに必死になった。
「ドイツ、寝ちゃった?」
 しばらくすると小さくそう聞こえ、頬にイタリアの温かい手のひらが触れた。それから、額を胸に押し付けて甘えるように何度か鳴き、寝ることにしたのか、それきり動かなくなった。
「会いたい……」
 その言葉を聴いた時、俺はもうずいぶんうとうとしていて、あと一歩で眠りの淵に落ちるところだった。それが誰に向けられたものなのかすぐに解る。俺には会えているわけだから、初恋の相手だ。
 一度そう思ってしまうと、声を聞きたかったのも、こうして胸に額を寄せたかったのも結局、俺ではなくそいつなのだろうと考える。不愉快だった。
 嫌な夢ではないと言うが、イタリアは明らかに苦しんでいる。その内容を言わないくせに俺に頼る。そして極めつけにこれだ。
 会いたいのに会いに行かない、それはもう会えないということなのだろうか。
 イタリアになにか言ってやりたかった。けれど事情をよく知らない俺は、どこまで口を出して良いのかわからない。心の底では、その初恋の相手がイタリアにどんな影響を与え、一体どうやって夢にみるほどに執着させたのかた知りたかった。
「イタリア」
 思わず声を出したが、部屋が暗くて表情は見えない。イタリアは黙っていた。
「おまえが寝るまで……、起きててやるから早く寝ろ」
「優しいね」
 自分でも驚くほど胸が高鳴った。イタリアはごく普通の口調で言ったように思う。それなのにこの俺の動揺ぶりはいったい何なのだ。
「優しいドイツ、大好きだよ」
 イタリアはもう一度言う。声が微かに笑っていた。いつもの笑顔を想像して安心したが、そこで俺は、胸にぴったりとイタリアの耳が押し付けられていることに今更気づいた。前言撤回して、もう一度寝たふりをすることに決めた。


END

2010.09.20