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 気がつくと朝だった。強いノックの音に、寝ぼけたまま反射で返事をした。一瞬、ドアが開いたようだが、すぐにバタンと大きな音を立てて閉まった。
「ごっ……ごめんなさい、ドイツ、キッチン借りるわねー!」
 廊下から女性の声が聴こえた。足音はパタパタと階下へ遠ざかっていく。ぼんやりした頭でしばらく考えた後、さっきの声がハンガリーだと気づき眼を開けた。
 そうだ昨日はーーー
 壁の時計はもう七時を過ぎていた。起き上がろうと肘をつくと、何か柔らかい物に触れ、そこから声がした。
「いたいであります……」
 胸の下から聴こえた声に心臓が跳ね上がる。
 いつもより暖かいのは気候の為と思っていたが、イタリアに半分乗りかかるようにして寝ていたせいだった。二の腕に思い切り体重をかけてしまったらしい。
「すまん。おい起きろ、もう七時だぞ」
「ん〜〜」
 イタリアは唸って頭からふとんをかぶり直そうとした。そうはさせるかと力任せに剥ごうとしたが、イタリアは巻き付いてなかなかでてこない。そればかりか楽しんでいるようで、クスクスと笑い声が聴こえるので頭にきて、先に部屋を出ようと決めた。
 カーテンと窓をきっちり開ける。めずらしく上半身に何も身に着けていなかったので、シャツを羽織った。男だけなら気にしないが、今日はハンガリーもいる。
「俺は先におりてるぞ」
 そう言ってシャワーの着替えを持ち、ドアノブに手をかける。
「あ、ドイツ」
 イタリアがひょいとふとんから顔を出し、鎖骨を軽く叩くジェスチャーをした。見ろということらしいが、俯いても自分ではよく見えない位置だ。
 チェストの上にある長方形の小さな鏡に顔をうつすと、まず腫れぼったい目元に気付いた。ひどい顔に思わず眉を顰める。これは絶対プロイセンに何か言われるだろう。そして鎖骨の下、ちょうど胸筋が盛り上がりはじめる辺りに、赤っぽい痣があった。どこかに当てた覚えもない。
 思わずイタリアを振り返る。
 イタリアはまた寝転がっていたが、顔は見えている。ニコニコと楽しそうだった。
「イタリア……」
「えへへ……」
 寝る直前のことを思い出してみたが、イタリアとキスを交わして、それからいつ眠ったのかよく覚えていない。泣いて頭がぼうっとしていたにしても、セックスをして覚えていないわけがない。アルコールはごく少量しか摂っていない。そのあとDVDを二時間観たし、ほとんど酔いは冷めているはずだ。咳払いをしながら、シャツの前ボタンを鎖骨の辺りまで留めた。
「ドイツって、すげー優しいんだね」
 言葉の意味を考え、昨日の映画のことだと判断してみる。
「あの内容では泣くだろう……。いやしかし、日本が薦めたのもよくわかる」
「ヴェッ、違うよ〜」
「な……何がだ」
「えっちが」
「は……」
 一瞬固まった。本当に、本当に何も覚えていない。
 けれど上半身は何故か裸だったし、イタリアに覆いかぶさるようにして寝ていたし、それに昨夜寝る直前は、イタリアに何度もキスをして……。そしてこの痕。脳内で色々な可能性がせめぎ合っていた。
「イタリア……、して、いないよな」
 イタリアとしばし見つめ合う。
「ヴェ〜……、してたらいいな〜と思って」
「変な冗談を言うな!」
 そんな大事なことを、忘れるはずがないのだ。
 ほっとして胸を撫で下ろし、再度ベッドの横に立った。イタリアはまた隠れてしまった。
 たったいま、感情のまま怒鳴ったことを後悔する。昨日の昼寝の様子からも、イタリアがそれをとても楽しみにしていたのだと、伝わってきていたからだ。
 ちょっとした冗談であるはずなのに、どうしてこうも熱くなってしてしまうのだろう。聞き流すことができなくて、叱ったり、痛めつけたりしてしまう。頭が固いのだとよく言われるが、自分でも充分自覚していた。エイプリルフールだって、イタリアは楽しみにしているほどの行事だが、ドイツはなんとなく苦手だった。
「すまん……、とにかく、起きたなら下へ行くぞ」
 ハンガリーがすぐにドアを閉めたのは、裸でイタリアに覆いかぶさっているように見えたからだろう。

***

「おい、ヴェスト……」
 指摘したのは三人目だったので、ハンガリーが口を挟んだ。
「私たちが寝たあと、イタちゃんと犬の映画を見たんですって…」
 プロイセンはとたんに吹き出し、ドイツの肩をバンバン叩いて笑った。
「それでその顔かよぉ! イタリアちゃんはなんともねーじゃん」
「おはよプロイセン。ほら、俺はワンちゃん飼ってないからさー、その分てゆーか」
 イタリアは皿を運びながら笑顔でフォローした。
 犬たちは所定の位置にスタンバイしていたが、人が多いせいかいつもより落ち着きが無い。
「早くいただきましょう」
 ダイニングの席につきながら、プロイセンはオーストリア見てにやにやと笑う。
「坊ちゃんはもういいのかよ」
「お騒がせしましたね」
「ほんっ…とうに良かったです、もう昨日はどうなることかと…」
「まったくだ」
 バケットに山盛りのパン。ハム、チーズ、ゆでたまご、ヨーグルト。貰い物の手作りジャム。そして香りのいいコーヒー。
 食事が終わってから、ハンガリーとオーストリアを玄関まで見送った。プロイセンは犬達と散歩に行った。自分が行くと言いたかったが、食事中、延々とネタにされたせいか、変な意地を張ってしまい口に出せなかった。
 食器を片付けてしまうと、そういえばイタリアの姿がないことに気づく。シャワーに行くと言ってリビングを出ていってから見ていない。部屋だろうと目星をつけ戻ると、イタリアは白いシャツ一枚でベッドに寝転がっていた。
「イタリア、おまえ今日は?」
「うん、夕方帰るよー」
「そうか」
 ならば急ぐことはないと、ごろごろしているイタリアの側に腰を下ろした。イタリアが仰向けになるとシャツの間から、滑らかな白い肌が惜しげも無く陽光に照らしだされた。
「まだ眠いのか?」
「うん…。昨日の夜、ドイツが寝ちゃってから、ずーっと寝顔見てたんだー。なんかいつもと違う感じで、可愛かったんだよね。でも俺もドキドキして寝れなくて。それで服脱がせて…、キスしてたんだけど」
 右手でイタリアの額をつついた。
「今度はほんとだよ」
「なお悪い」
「ヴェ?」
 イタリアは不思議そうな顔をしていたが、ドイツはそれ以上何も言わなかった。
「散歩、プロイセンが行っちゃったんだね」
「ああ…、まぁ、兄さんがいないときに行く」
「一緒に行けばいいのに〜」
「あんなにからかわれたんだぞ。しばらくは無理だ」
「じゃあ俺の散歩行くワン?」
「バカ」
 反応に困って苦笑いすると、イタリアは起き上がって横から抱きついてくる。
「……元気になった??」
「すまなかったな。他の映画を見れば良かった…」
「ううん……。ドイツが泣いてるとこ見れるのって、すげー特別な感じで嬉しいよ」
 イタリアの髪からは、シャンプーのいい香りが漂ってきた。自分と同じ物を使ったとは思えない。引き寄せられるように耳元に口付けると、イタリアはその何倍ものキスを返してきた。そのうち頬を舐めだしたので、たまらず立ち上がった。
「こら」
「もうちょっとワン……」
 イタリアがクンクンと鳴き真似をするので、仕方無くもう一度腰掛けた。これを可愛いと思うあたり、もう相当参っているのだと思う。
「次は絶対えっちしようね」
「……ああ」
「ほんと?」
「ああ、必ず」
「必ず?ほんとに?ねえじゃあ来週おれんち来てよ」
「わかった」
「嬉しいよう! じゃあ…約束のキス」
 顔をつきだしてきたイタリアに、軽く口付ける。
「もっと〜」
 もう一度、もう一度と繰り返しているうちに、いつの間にかイタリアの上に覆いかぶさっていた。
「すっごい準備しとく!! ねえあと何食べたい?」
 言うべきだろうと思い、なんとか羞恥に耐え口にした。
「おまえが……」
「俺?!」



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2012.04.21