満たされない想い

「会いたかったぜー! イタリアちゃん」
 プロイセンが抱きついてくるのと同時に、床に何かが倒れる音がした。探すとプロイセンの向こうで、うつ伏せに人が倒れている。
 それはどう見てもドイツだった。たった今まで、プロイセンが横で支えていたのだろう。
 しかし一人で立っていられない原因が、体調不良でないことはわかる。ドアを開けた瞬間に漂ってきたアルコールの匂い。
「なあ、イタリアちゃんそのガウンすげー可愛くね!?ていうかそれで玄関でちゃまずいだろ」
 突然の来訪は、夜半も過ぎていた。
 イタリアは寝支度を整えベッドに潜り込んだところだ。玄関のブザーに驚き、椅子の背にかけておいた膝丈のガウン一枚羽織って、急いで様子を見に来た。さすがに前は閉めてある。
「プロイセン、ドイツが…」
 イタリアが体を離しながら指摘すると、プロイセンは振り返って自分のしたことに気づき、驚いていた。
「やべぇ、大丈夫かヴェスト!」
 しゃがみ込んで様子を確認すると、ドイツは静かな寝息を立てていた。プロイセンは短いため息を付き、ドイツの頬をつつきながら文句を垂れる。
「ったく情けねーんだからよ。こいつ最近弱くなったよな? そう思わねぇ?」
「うーん、どうかなぁ…」
 イタリアが思うに、それはプロイセンと外で酒盛りをする機会が増えたからなのではないか。ドイツを一人で支え、連れ帰ることができる人はなかなかいない。気兼ねなく飲むとこういう結果になってしまうのではないかと思った。
「それでよ。悪りーんだけど、ヴェストだけ泊まらせてくれねー? 俺、さっきんとこでスペインたちに会ってよー。もうちょっと飲みてーけど、こいつそのへんに寝かしとくのも寒そうだしよ」
「いいよ。プロイセンも後で来る?」
「わかんねーけど…。一応朝寄って、連れて帰るぜ。なんかあったら電話してくれよな」
「わかったー」
「助かるぜ!」
 プロイセンはドイツを担ぎリビングのソファに運んだあと、意気揚々と飛び出していった。

 イタリアはソファに近寄り、寝入っているドイツを眺めた。
「俺といるときは、こんなべろべろになんないのにね」
 話しかけるようにそう言うと、横からドイツの顔を覗き込む。前髪が乱れ、数本が額にかかっていた。何故か顰め面だ。白のワイシャツに、下はスーツのスラックス。ベルトも合わせてある。プロイセンは黒いTシャツに、何かカジュアルなズボンだった。ジーンズだったかはわからない。
 ドイツと話せないのは残念だなと思い、しばらく周りをうろうろしたが、起きる気配もない。あきらめてドイツの腹のあたりに頭をのっけると、じんわり温かくて、頬が気持ちいい。丁度よい枕だ。ドイツの呼吸に合わせ、ほんの少し上下する。まだ暖房をつけるほどではないものの、朝晩は肌寒く、ベッドから抜け出すのが著しく困難になる季節だった。ドイツを二階のベッドまで運んでもらえばよかったと後悔していた。
 ふいに頭を撫でられ、気がつくとドイツがうっすら目をあけてこちらを見ていた。
「イタリア……、最近かまってやれなくてすまないな」
 いつになく優しい言葉だ。
「ヴェ、俺もなかなかドイツの家行けなかったし」
「タイミングがな……。なあイタリア、俺は確か兄さんと飲んでいたと思ったが」
「うん、プロイセンはまだ飲みたいからって、ドイツ運んできてくれたんだー」
「そうだったのか」
「にしてもさー、こんな近くで飲んでるなら、俺も呼んでくれればよかったのに。どこにいたの?」
「ローマだ。兄さんはイタリアも呼べと言ったんだが…」
 ドイツは何か考えているのか視線を遠くへやり、少し間を開けた。
「俺は明日来るつもりだった。久しぶりだったから、おまえとちゃんと話したかった…」
「俺は一日でもはやく会えたほうがいいなぁ」
「そうか……そうだな……。おまえの、言うとおりだ」
 ドイツは自分の腕時計に目をやる。そのまま手の甲を額に当て言った。
「1時か。俺のことはもういいから、寝るといい」
 イタリアは笑って首を振った。ドイツが再び寝入るまで、ここにいようと決めていた。
「ドイツってさー、俺といるときは、あんまり酔わないようにしてる?」
「そんなことはない」
「当たってるでしょー。一回だけ、寝ちゃったドイツを俺とにほんで、にほんちまで運んだ時ぐらいかなぁ…。タクシー使ったけど、俺たち玄関まで運ぶので精一杯でさぁ。日本が玄関の、あの段差をあがったすぐのとこに、布団敷いてくれて、そこに寝かせたんだよね。ポチくんが不安がってそのすみっこで寝てたんだー」
 当時を思い出して笑った。今ではなかなかいい思い出になっている。
「あれは…悪かったな」
「今でもにほんとたまに話すもんねー」
「…だから、ああいう自体を避けたいんだ、俺は」
「そっか」
 イタリアは頭を起こし、今度は顎を腹に乗っける。
「もう寝ろ…」
「俺がほんとに二階行っちゃっていいのー? さみしくない?」
「バカめ」
 こういうことを言うと、大抵は白けた目で見返されるだけだ。応えがあったために、イタリアは調子に乗って続けた。
「ドイツにぎゅって抱っこされて寝たいな〜」
 顎をぐいぐいと擦りつけていると、ついにドイツの手が頭を鷲掴み、体の上から退かそうと力を入れてきた。
「そんなことを気軽にいうな」
「気軽に言ってないよ。俺、本気なんだからね」
「本気ならなお悪い……男なんだぞ。俺をぬいぐるみか何かだと思ってるのか」
「思ってないよ、ドイツが好きなんだもん」
「おかしいだろう、そんな……」
 ドイツは大きくため息をついた。
「……俺とやることじゃない」
「……そりゃ、ちょっと変かなって思う時もあるけど」
 イタリアがそう言うと、ドイツはそれきり考えこむようにして、目を閉じ息を吐き出した。
「水をくれないか…?」
「うん。てかさー…、別に何もしなくていいんだけど、ここに居ていい?」
「だめだ」
「ここ俺んちなんだけどなー」
「なら最初から聞くな」
 押し問答が少し続いたので、イタリアはあきらめて水を取りに行く。
 水を渡したあと、軽く就寝の挨拶をする。ドイツが寝やすいように体勢を整えている様子を確認して、部屋の電気を消した。
 しかし、二階へ上がり自室に入ろうとする瞬間に、階下での物音に気づく。急いで手すりから階段下を見下ろすと、ドイツが壁にぶつかったようだった。ふらふらしながら玄関を開け、外へ出たのがぼんやり見える。
「ドイツ!」
 慌てて声をかけ、電気をつけ階段を降りた。廊下と、玄関の外灯も急いで点ける。
「帰るの? 朝プロイセンが迎えに来てくれるって言ってたよ??」
「もう酔いも覚めたのでな…」
「そんなわけないじゃんかー! フラついてるのに!」
 案の定ドイツは気持ち悪そうにうつむいていた。
「ドイツ……」
「もう俺に優しくしないでくれ。変な気持ちになる……」
「そ…、え、俺いつもとなんか違った??」
「これから先、俺に好きというのは禁止だ」
「ヴぇーなんで?!?」
「飽きるほど聴いた、だからもう言わなくていい」
「なんか、それって…、おかしくない?」
「言われる方が不快だと言っているんだ!!!」
 ドイツが厳しい声を出したので、イタリアは怯んだ。不快という言葉は、思った以上に心に刺さった。
「え、えっとぉ……」
 イタリアは急いで、ドイツとの会話を思い出す。一人で帰れると言うのに、引き止めたことがいけなかったのか。それとも、抱かれて寝たいなんて言ったこと? この程度ならしょっちゅう口にしていた気がしたし、実際にしたこともある。だいたい隣に忍び込んでも、狭いと文句は言うが、蹴落とされたことはない。だから一緒に寝ること事体は、良いものだと思っていた。
「うん、でもさ………」
「もううんざりだ」
 ドイツは、階段の横にある腰ほどの石垣へ寄りかかって俯き、静かにつぶやいた。
「こんな気持ちになるのは……」
 外灯のあかりは届いておらず、表情はよくわからない。高い鼻梁と、乱れた前髪のせいで影ができている。
「ドイツのこと大好きって思ったときには、どうすればいいの??」
「俺に聞くな! 俺だってわからないことぐらいあるんだ……!!」
「怒鳴らないでよう」
「そもそも、日常的に俺に好きと言う、おまえのほうがおかしいんだ。わかるか」
 相手は泥酔している。イタリアは自分に何度も言い聞かせたが、ドイツはたまに素面の時のような冷静な口ぶりに戻るので、つい勘違いしてしまう。
「お…おかしくない」
「なんだと?」
「おかしくないよ!!」
「口ごたえする気か」
 ドイツはゆっくり階段を上がり、イタリアの一段下まで来た。その形相といえば、裸絞め実行前と同じである。イタリアは息を飲んだ。階段を一段上がり、じりじりと後退して、そのまま玄関の取っ手を後ろ手に握る。これ以上話しても、ドイツが明日覚えていなければ、泣き損である。
「わかったよ、じゃあ今日はもう帰って…」
「まだ話が終わっていない」
「ドイツが怒ってるだけじゃん」
 つい口が滑り、イタリアはやってしまった、と目を閉じた。怒られついでにと続けて言う。
「そんなに嫌なら言わないよー……」
 今までしてきたドイツとのやりとりはなんだったのかと思う。少し恥ずかしそうにしていたのも、眉間にシワをよせていたのも……、本気で嫌だというサインだったのだろうか。イタリアにはそうは見えなかった。付き合いの中で、ドイツに好かれているという自信が、少しだけはあった。周りからからかわれるようなことは、言葉半分で聞いていたが、それにしてもだ。オーストリアから聞くドイツの話などは、脚色が無いので信用している。
「ほんとに言わないからね」
 突然、ドイツが寄りかかってきたかと思うと、なぜかキスされていた。両肩を捕まれ、唇はしっかりと交差するように重なり合っていた。濃いアルコールの匂いと、柔らかな唇の感触。ついばむように何度か角度が変わる。
 顔が離れると、ドイツの表情がよく見える。眉を顰めていて、少し怒っているようにも見える。
「今日起きたことは、……絶対に忘れろ、いいな。」
「ヴェ、今のを…?」
「返事!!」
 イタリアが頑なに黙っていると、ドイツはイタリアの顎を掴み、もう一度強く口づけ、重ねて言った。
「覚えていたら許さんからな。一人で帰れるから、ついてくるな」
 慣れないことをしたせいか、ドイツの息が荒い。それはイタリアも同じだった。ドイツは不機嫌そうにおぼつかない足取りで、階段を降りていった。
 イタリアはしばし呆然として、ドイツが見えなくなるまでその背を見送った。そのあと、もしかして戻ってくるのではないかと、玄関で少し待つことにした。


「おい、イタリアちゃん!」
 肩を揺すぶられ目を覚ますと、プロイセンらしき人物が屈み込んで、心配そうにイタリアを見ていた。ちょうど玄関に向けて強い朝陽が差し込んでおり、逆光で視界が白くかすむ。
「どうしたんだよ、ここ、開けっ放しだったぜ??」
「おはよー、……あれ?」
 イタリアは目をこすりながら、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
「てか、まさかここで寝てたのかよ?」
「うーんと……、あっ! ドイツ!!」
 イタリアは思い出して大声をあげ立ち上がった。
「ねぇ、ドイツひとりで帰っちゃったんだけど…」
「おう、来る途中の橋んとこで寝てたから拾ってきた」
 周りがはっきり見えてくると、プロイセンの背中にドイツがいることに気づいた。プロイセンは左手一本でドイツを背負っていた。
「そっかぁ、寝ちゃったんだ」
「せっかくここまで運んでやったのによ。何が気に入らねーんだか。こいつたまにほんとにわかんねーことするよな……、あ、これイタリアちゃんに。遅くに来て悪かったな」
 プロイセンは、右手に持っていたワインボトルをイタリアに差し出した。
「グラッツェ…!」
「そんじゃな」
「プロイセン、朝まで飲んでたんでしょ? このままドイツ背負って帰るなんて大変だよー。ちょっと寝ていったほうがいいよ?」
「お、そうかぁ…?」
「うんうん。ふたりでどっか道で寝ちゃったら大変だもん」
「そうだな…。いくら俺様が体力あるっつっても、徹夜してるわけだからな」
「俺、パエリアつくろうかな。食べてってよー!」
「マジで!!」
 プロイセンは両手でガッツポーズを作ると、また昨日と同じようにドイツを手放してしまう。ドイツは床に倒れると、また鈍い音をさせたが、今度は睡眠が足りているせいか覚醒したようだった。自力で膝をつき起き上がる。
「………頭が痛い」
「ヴェスト、今打ったの肩だぜ。昨日もたぶん肩だった」
「大丈夫??」
 イタリアは隣にしゃがみ込む。ドイツはいつもどおりに視線を合わせてきた。
「イタリアか……」
 立ち上がり、プロイセンのほうを見る。時系列が繋がっていないようで、しばらく俯いたり、頭を振ったりしていた。
「イタリアちゃん良いって言うしよ、少し休ませてもらおうぜ。俺寝てねーんだ。飯作ってくれるって」
「ああ、そうなのか。悪いなイタリア」
「ん? うん…、別にいいよー。今日予定なくて、ドイツんち行こうかなって思ってたから」
「さすがだぜ!イタリアちゃん!」
 リビングに移動しながら、イタリアは何度かドイツの顔を見た。さすがに視線に気づいたのか、ドイツもじっと見返してくる。
「ドイツドイツー、髪の毛ぼさぼさ」
 ドイツは指摘され、前髪を後ろへ撫で付けようとしたが、寝ぐせがついて上手くいかなかったので、再びぼさぼさの状態に戻した。
「見るな。あとでシャワーを借りたい」
「いいけどー……」
「なんだ」
 イタリアは数時間前のことを思い出して、つい含み笑いをした。ドイツはからかわれていると思ったのか、むっと見返してくる。寝ているときの跡でも付いているのかと疑い、顔の表面を手のひらで確認している様子が可笑しかった。
「ドイツ大好き」
「ふざけるな」
 ドイツがイタリアの二の腕を軽く拳で叩いてくる。イタリアは大げさに叩かれた箇所を庇い、痛がるフリをした。
「ひどいよ!」
「今なんで笑ったんだ」
「うーん、わかんない」


2011.10.29