まさか友だち記念日を忘れるなど4

 深呼吸をして、フェリシアーノの寝ている部屋のドアを押した。室内は灯りが消され、廊下から差し込む光でなんとか室内が見渡せる。
 フェリシアーノはすでにしっかり寝息を立てていた。側に寄って確認したが、とても狸寝入りとは思えない。
(こいつ……)
 神経の図太さに呆れ、手に持っていた靴を投げつけたくなったが、なんとか堪えた。傷つけたのではないかと気に病んでいた自分が心底馬鹿らしくなる。
「おい」
 何度か呼びかけると、フェリシアーノはようやく俺に気づいた。
「ん……」
「靴はここに置いておくからな。履きたければ勝手に履け」
「なにー?」
「だから」
「靴……?」
 そう呟いたのが聴こえ、しばらくの沈黙のあと、フェリシアーノは寝返りを打ちながら言った。
「……いらないよう、俺……靴は……」
 寝ぼけているのだろうが、叱られた事は強く印象に残っているらしい。理由もわかっているが、拒否された事にムッとした。ついに靴を投げつけると、フェリシアーノはだるそうに上体を起こした。
「ルート?」
 確認するような呟きが聴こえる。そして今しがたぶつけられ、腿のあたりに転がった靴を片方ずつ手に取ってしげしげと眺めていた。
「えーっと……靴? さっきの?」
「お前の為に買ったからお前にやると言っているんだ」
「え?」
「海に落としたという話をしていただろう……」
「うんでも……」
 ならばさっきの悶着は一体なんだったのかと、瞳が問いかけてきた。
「つべこべ言うな」
「へー……ありがと! 嬉しいよ」
 怒った理由はよくわかっていないようで安堵する。もうこうなったからには、記念日など思い出さないほうがいい。
 フェリシアーノは靴を眺めて、柔らかく微笑んだ。
 その顔に見惚れて言葉もなく突っ立っていると、腕が伸びてくる。
「ねえ知ってた? 寝たあとに、ルートから俺のとこ来るの初めてだよ」
 ぐいと引っ張られてベッドの端に腰掛ける。
「えへへ……」
 フェリシアーノは腕を掴んだまま、特にどうするということもなかった。ただ穏やかな瞳で見つめてくるだけだ。
 さっきのこともあるから、こっちの出方を待っているのだろう。何を求められているのか、それは自然とわかった。
「い……っしょに寝ていいか」
「ええー?」
 フェリシアーノは驚きの声をあげた。
「ほんとにー? 恥ずかしいなぁ」
 そう言いながらフェリシアーノは意気揚々とベッドの奥半分へ寄って場所を空けた。
「どうぞ!」
 部屋履きを脱ぎベッドに上がって、フェリシアーノの胴へゆっくりと手を回した。首元に顔を埋めても、フェリシアーノは楽しそうにクスクスと笑っている。
「どうしたの、ルート……、ずっと一緒に寝てなかったもんね、寂しかった……? なーんちゃってー! そんなことあるわけないかぁ……、俺が寂しかったんだ。ルート」
 フェリシアーノは一人早口で捲し立てたあと、顔を覗き込んできて、子供にするように、頬へ何度もキスを繰り返した。もどかしく、こちらから唇を持っていくと、それが触れるまえに囁くように呟いた。
「ねえ、好きだよ」
 数度唇をふさいで、一旦離れた。俺はどうしてもはっきりさせておきたかった。
「なあ、おまえの考えを聞きたいんだが、その……」
「なに?」
「俺たちは」
 フェリシアーノは、急に体重をかけ押し倒して来て、首に抱きつく。
 問題なのは、フェリシアーノがベッドではいつも全裸であるので、こうして迫って来ても、やる気があるのかないのか、よくわからないということだ。現に今も、すでに眠そうにしていた。
 思い切って肩を押し、頬に手をやる。
「フェリシアーノ、俺は」
 若干だが、いつもより良い声色になるよう意識して喋った。
「実は……、キス以上のことをしたいと思っているんだが、いいか」
 フェリシアーノが急に胸板の上で起き上がり、その重みに息が詰まった。文句を堪えて待っていると、フェリシアーノは、頬に添えられた手の甲に、自らの手を這わせた。
「うーん……」
 この状態でまさか、拒絶の言葉など出てこないだろうと思い込んでいた俺は、驚いて目を見張った。
「ねえルート、ほら、俺たち友達だったから、なんていうか……ちょっと気恥ずかしいっていうか、だからさ……するなら」
 途切れ途切れにそう話しながら見つめてきた。右手は優しく焦らすように、手の甲を摩る。
「……思い切りやってよ」
 フェリシアーノは自由だ。ばかみたいなことに、俺はそこにどうしようもなく惹かれている。
 そして俺には予測もつかない、最高なことたまに言う。



  『後日談』


「ルート、手紙!」
「手紙?」
 その翌週の日曜、俺は自室で机に向かっていた。
 ローデリヒに、夕方四時に茶を入れるので降りてこいと釘を刺されていた。時間になったことに気付き部屋から出たところで、いつ家に来たのか、階段を上がってくるフェリシアーノとはち会う。
 フェリシアーノは笑顔で、手に持っていた封筒のうち一つを渡してきた。封筒は揃いのクリーム色だった。
「フェリクスからだよ」
「何故俺に……」
「へへ、俺ー、フェリクスって絶対ルートのこと好きになると思ったんだよねー 嬉しいな」
 フェリシアーノはなんだか得意げですらあった。
「俺は、仲良くなったつもりはないぞ」
「ねえ読んでよ」
 せがまれて封筒の口を切る。そしてその文面に、顔を覆いたくなった。フェリクスと二人で話した朝、途中になっていた話の続きだ。
 フェリシアーノの寝言や、どれほどフェリシアーノが俺のことを惚気たか、自慢したかが書いてあった。息を止め、静かに便せんを折り畳んだ。
「えーっ、何? 何て書いてあった?」
「特には」       
 俺が赤面したのを見逃すはずもなく、フェリシアーノは食いついてくる。
「別にたいした事は書いてない」
「じゃあ見せてよ、俺のも見せるから、ね?」
 フェリシアーノが慌てて自分の封筒の口を切り始めたところで、俺は自室へ向け踵を返した。フェリシアーノが追いかけて来て、引き止めるように、後ろから胴体へ手を回してくる。
「こら、離せ」
「……もしかしてさー、好きとか書いてあった……?」
 少し沈んだ、拗ねたような声に心臓が跳ね上がった。
「……書いてない」
「じゃあなんで、そんな顔してるんだよう」
「そんな顔ってなんだ」
「うーんと……可愛い顔」
「ばか」
「手紙見せて」
「だめだ」
「なんでー?」
「……俺宛だからだろう」
「さっきさ、仲良くなったつもりはないとか言ってたのに」
 フェリシアーノはしがみついていた腕を降ろした。めずらしく潔いので気になって振り返ると、すでに涙がこぼれそうになっていた。
 どうしようか迷ったが、最後には嘆息して、便せんも封筒もまとめてフェリシアーノの胸に押し付けた。
  

  
END



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2010.08.12