Losing myself 3

「ふおおおおーー!」
 イタリアが奇妙な声を出して駆け降りて行ってしまったので、ドイツはしぶしぶそれに付いて行った。
「元気だねぇ」
 テーブルに肘をつきながら、フランスは丘の下を眺め、目を細める。
 バラを中心に何種類もの花が咲き乱れていた。薄紫のナデシコ、可愛らしいキンセンカ。スグリの蔦や朱色の実も目立った。スズランやスイカズラ。敷地は2ヘクタールほどあり、中央に通る真っ直ぐ太めの道、そこからシンメトリーに造園されている。見渡す限り鮮やかだった。
 いくつもの小道と、美しく刈り込まれた生け垣と芝生。四方の出入り口はアーチ型の生け垣が飾り、そこから続く緩い傾斜の上に、この白い六本柱のガゼポがある。雨がよけれるようなしっかりした屋根もついていた。
 丁度良いタイミングで給仕がやって来て、目の前のティーカップに紅茶が注がれようとしたので、フランスは気づいて姿勢を正し、礼を言った。
「これ、おまえ一人で?」
 向かいの席に座ったイギリスは、機嫌良さそうにカップに口をつけた。
「管理はもちろん庭師がいるけど……。計画はな」
「立派だよ。一般公開すればいいんじゃない?」
「あんまり人が来ると、妖精さんたちが嫌がるんだ」
「あそー……」
 丘の端から下を眺めていたアメリカが、戻って来て席に着いた。イギリスの隣だ。今日はめずらしくスリーピースのスーツを着ている。グレーのジャケットは脱いで脇に抱えていた。
「綺麗だけど、いまいち迫力に欠けるなぁ」
「迫力?」
 イギリスは横を睨んだ。
「目を引く物がないよ。あの真ん中、今イタリアが居るところにでっかい噴水とか作ったらいいんじゃないかな」
「噴水ねぇ。いいんじゃない? この広さなら」
「そうだな…、そうする」
 自慢のバラ園だったが、水辺がないことが少し気になっていたので、指摘されて頷いた。他国の目から見ても、やはりそうなのだ。
「それと、園内をハイスピードで駆け抜けるアトラクションが欲しいんだぞ」
「ばぁーか!」
 早速サンドイッチをほうばり始めたアメリカは、イギリスに足を蹴られていた。
 まだ午前11時だ。めずらしくからっと晴れていて陽射しが暖かいが、風は身を切るように冷たい。昼間でなければ座っていられないだろう。
「いいねぇ。イギリス、こういうのだけはほんと得意なんだから」
「はっ……、まぁな。あたりまえだろ。伝統があるんだ」
 フランスは、色とりどりの花を眺めながら、感嘆の息を漏らした。
 イギリスは褒められて悪い気がしていない。口元を引き締めた。
「こうしていると、心が洗われるわー。ただお兄さんちょっと寒い」
「寒い? 今日は気温高いぞ」
「俺も寒いんだぞ。このコテージ、せめて壁をつけたらどうなんだい」
「コテージじゃねぇよ!バカっ! ジャケット脱いでるくせに」
「歩いているときはいいけど、じっとしてると寒いんだぞ」
「ったく軟弱な奴らだな。いいか? もう6月だぞ?」



「ドイツドイツー!!」
 イタリアが笑顔で呼ぶのでドイツは近寄って行った。
「これ、ドイツんちのバラだよ」
 指した先には、咲きかけの赤いバラがある。
「良く知っているな」
「いつかのヴァレンティーノのあと、ドイツんちの品種調べたんだー」
「そ……そうか」
「良い香り」
 イタリアはしゃがんだまま目を閉じた。ドイツは手持ち無沙汰で、バラを眺める振りをして、イタリアの隣におなじようにしゃがんだ。朝雨が降ったのか、地面は少しぬかるんでいる。
 昨日、飛行機の隣の席で、イタリアが手を握ってこないかずっと期待していた。
 ホテルでシャワー中に飛び込んでこないか、それともベッドにもぐり込んでこないか、いきなりキスしてこないか、期待していた。
 一緒のベッドで眠らなくなったことがこんなに堪えるとは思わない。朝起きた時ドイツは、もう二度と客室で寝ろと口にしないと誓った。
 今日の午後はゆっくりして、同じホテルにもう一泊して明日の昼に帰国することになっていた。問題は今日の夜だ。
 どうにか帰国までにけりをつけたいと思っていて、その為には、あの朝のことを謝らなければならない。ドイツは朝起きた時から機会を窺っていたが、結局この時間になってしまった。謝るだけのことがどうしてできないのかと、何度も自分を叱咤したが、イタリアになんと言われるか想像しただけで顔から火が出そうだった。
(俺はばかだ……。今だ、今言おう!!)
 思い立ち、息を吸いながら隣を見ると、イタリアは眠くなってしまったらしく、重心が後方にゆっくり傾いていた。ドイツは目を見開く。
「イ……」 
 イタリアが尻餅をつく方が早かった。ドイツは咄嗟に地面との間に手を突っ込んだが、イタリアの全体重がかかると、なんなく押しつぶされてしまう。手の甲に鋭い痛みを感じたが、それを顔には出さなかった。
「ヴェっ、ごめん!」
 イタリアは立上がった。ドイツの手がぬかるんだ地面に付いたのを見て、眉根を寄せる。
「気をつけろ。草の汁なんてなかなか落ちないんだから」
「あれドイツ……」
 イタリアが注視していたのは、ドイツの手の甲だ。
 見ると中指の付け根から血が流れていた。
「ああ。何か枝が刺さったんだ。きっと剪定したバラの……」
 泥をハンカチで拭うと、傷口は大きくない、一センチ程度の切り傷だった。しかし箇所が悪かったようで、血がなかなか止まらない。ドイツは己の手首を握ろうとしたが、その前にイタリアが近づいて来て、手を取り、傷口に唇を付けた
 傷口を舐めているのだと気づくまでに数秒かかって、ドイツは慌てて手を引いた。
「大丈夫だ」
 イタリアの唇が、頬以外に触れるのは久々だった。  しっとりと湿っていて、ほのかに温かかった。少し肌寒いのでなおさらそう感じた。稚拙な舌の動きに、ドイツは様々なことを連想して、また頭にしまった。
「大丈夫? ごめんね」
「いや、お前の背を支えれば良かったんだ、本当は」
 尻に手を伸ばしてしまった事は、咄嗟だったとはいえ、下心がなかったとは言えない。
「そーだ」
イタリアは立上がって、しゃがんでいるドイツに背を向けた。
「汚れてない?」
 スラックスの腰部をまえに引っ張ったので、生地が伸び尻から股下にかけてが良く見える。尻の形がしっかりと浮き出ていて、ドイツは凝視した。裸の尻は見慣れているはずなのに、呪縛のように、目の前から視線を外せなかった。この状態だと、きっと下着が、イタリアの柔肌に食い込んでいるのだろうと想像する。一言も出さずにいると、イタリアがそのポーズのまま半分振り返ったので、慌てて立上がる。
「問題ない」
「そー? 良かったぁ。ありがとうドイツ」
「おまえ昨日あまり寝てなかったのか?」
「だってドイツと一緒じゃなかったんだもん」
どこか拗ねたような顔ではにかむイタリアに、ドイツは見とれ、呆然として、自分の意気地のなさを恥じた。胸が痛いほどに高鳴って、呼吸は荒くなり、手が汗ばむ。
「今日は……、一緒に寝るぞ」
なんとかそう絞り出して、イタリアの顔を見れば、喜んではいなかった。まさか笑顔が消えるとは思わず、ドイツはショックを受けた。すぐに目を逸らした。出来る事ならこの場から消えてしまいたい。先に謝れば良かったのに、何を偉そうなことを…!そんな思いが胸を駆け巡った。
「……でも」
イタリアが小さく口を開きかけた時、後方からフランスの声が響く。
「おーい! おまえら紅茶ぁー!」
 二人は思わず声のするがガゼポのほうを見上げた。イタリアが歩き出したので、ドイツもそれについて行くしかなかった。

*****
 昼前に一同は解散した。
 朝剪定したバラがとってあると言い、イギリスは希望者に包んで持たせた。アメリカは荷物になるからと断り、フランスは桃色と赤のグラデーションの花束を貰っていた。訊いてもいないのに、イギリスんちでも顔が広いの、とウインクして市街へ繰り出して行った。
「おまえ、それどうするんだ。飛行機でつぶれるぞ」
「いーよ、今日ホテルに飾ろ。綺麗だもん」
 イタリアとドイツは、昨日から宿泊しているホテルに向かっていた。
 昼過ぎだが荷物を置き、その後レストランで遅めのランチをとることにする。フランスが勧めてくれたホテルだったので、味は保証付きだった。
 イタリアが貰ってきたのは真紅のバラだった。ドイツは、イタリアがそれを持っているといつかのヴァレンティーノを彷彿とさせるので、あまり視界に入れないように勤めた。
「まあいいが」
 興味のないふりをして、部屋の鍵を開ける。
 中に入ってカーテンと窓を開け、市街の車の流れを見下ろし、振り返ると、すぐ側にイタリアが立っていた。
 何故かドイツに向かって、花束を差し出すような姿勢を取っていて、ドイツは目を丸くした。
「ああ、花瓶を……」
 周囲に視線を走らせると、イタリアは言った。
「ドイツにあげる」
 時が止まったようだった。
 まっすぐと笑顔で見つめてくるイタリアを見つめ返して、ただなんと言葉を発して良いものかわからなかった。
「俺の気持ち。付き合ってくれてありがとー……」
「いや、ついて行くと言ったのは俺だ……からな」
 いろいろ遠回しな理由も並べたが、結局はイタリアが心配だっただけで、それとついでに二人でどこか観光できれば直良しと思っていた。
 ドイツは流されて花束を受け取った。
 結局部屋に飾るだけだが、妙に意識してしまって恥ずかしい。イタリアはこの花束に、どのくらいの意味を込めているのだろう。
「よし、花瓶だな……! 見当たらないしフロントで借りてこよう」
 何故か汗が出て、ドイツは窓際から離れた。
「待って」
 イタリアが、花束を持っている手首を掴んだ。
「ドイツ、いつも俺の事、助けてくれてありがとう」
「なんだいきなり……」
「……だから、お礼のきもち。ありがとうと、愛してると……。あと大好きも入ってるかな」
 はっきりと好意を示されて、ドイツはようやく向き合う気になった。小さく咳払いをして、イタリアを見つめる。
「そうか。ありがとう…………」
 イタリアがどうして唐突にこんなことを言いだしたのかわからない。だがはねつけてしまえば、この間の二の舞である。ドイツはイタリアを見ながら、ゴクリと唾を飲んだ。自分のすることが、正しいのか、間違っているのかも、わからない。ただ、できれば泣き顔は見たくない。
 ドイツは花束を、すぐ脇にあった鏡台の上に置いた。
「良かったら、今夜は俺のベッドに来ないか」
 言うか言わないかのうちにイタリアを腕の中におさめようとすると、イタリアは体をひねって逃げ出した。そして涙目で言った。
「ドイツがハグしたら……、俺もハグしていい?」
「あの朝は済まなかった。その……だから……、特別優しくしていたつもりはないが。気づかないうちに、自然に……、そうなってしまったのだ。お前の指摘は、全て当たっていたから……。優しくしていたつもりはないんだ。だからそう言ってしまった」
「優しく……してなかったの?」
「ああ、だから、意識してやっていたわけじゃないんだ」
「そうなんだ……。自然にってさ、じゃあさ、いつのまにか優しくしてたってことだよね」
「だから、そういうつもりはなくてだな。あくまで自然に」
 ドイツはそう言いながら、発言を反芻して違和感を持った。意識して優しくしていないのならば、それこそ問題があるかもしれない。
「手を握ったり、頭撫でたり……とか。自然にしてくれてたの?!」
「自然にというか……。暑ければ服を脱ぐし、寒ければ着るだろう。それと一緒だ」
「喉が渇いたら水飲むみたいに、太もも撫でる?」
「そうだ。いや、違うな……それは」
「わかりやすくっていいね」
 イタリアは渾身の力で、ベッドの方へドイツの胸板を押した。なんとか座らせると、その上に自分も座ってしまう。尻の肉が、ドイツの太腿へ添うようにたゆんだ。腿を包む柔らかい尻の感触に、ドイツは懐かしさすら覚えた。
 イタリアは、ドイツの右手を取り自らの腹に添える。
「ドイツが気づいてないだけで、やっぱり優しくしてると思うから、じゃあ二倍優しくしてよ……、それでいいよー……」
 ドイツは呆気にとられてされるがままだったが、イタリアが甘えるように胸にもたれかかってくると、細かい事など本当にどうでもよくなってしまう。それから何をするでもなく、イタリアの腹が鳴るまで、そうして座っていた。
 どうしても部屋の外に出る気になれず、ルームサービスで昼食を頼み、平らげた後ベッドに横になる。ドイツは、午後の博物館の予定などとうに頭から消えていて、隣で機嫌良く横になっているイタリアに、どう告白しようか考えていた。

2011.08.28