弟の機嫌取り



「はー……、たまんねぇ」
 プロイセンは、綺麗に磨かれた便器を見て立ち上がった。
 適当に終わらせてはやく寝ようと思っていたのに、やり始めるとつい熱心になってしまった。バスルームをぐるりと見渡し、壁の水滴すら完璧に拭われている様子を確認して、最後に手を洗い、廊下へ出る。
(どうにかなっちまうぜ。ヴェストの機嫌とらねーとなぁ)
 オンラインゲームの中でちょっとした企みをしたプロイセンだったが、部屋に侵入してきたドイツに阻止されてしまった。その罰として、一週間の夕食当番と、家の掃除を言いつけられたのだ。
 リビングに戻ると、既に暖房と照明が消されていた。プロイセンは顔中を顰めると、二階へ向かう。部屋のドアをやや激しくノックする。返事はなかったので、勝手に開けた。
「ヴェスト、先に寝ちまうとか…」
 ドイツは既にベッドで横になっていた。本が一冊、ナイトテーブルに置かれており、そこのランプだけがついていた。
「言いつけたことは全て終わったんだろうな」
「もちろん、もうピッカピカだからよ!」
「ならいい。おやすみ」
 一度目を合わせただけで、ドイツはランプの紐を引く。部屋は暗くなった。
「ちょ! おい」
 プロイセンは枕元まで寄り、手探りでランプをつけた。不機嫌そうなドイツが、肩越しに睨んでくる。
「何だ」
「もう少し話そうぜ」
 ドイツは黙ったままだ。プロイセンは手振りもつけて、大げさなため息をつく。
「悪かったって。マジで反省してる……」
 もう一度ため息を挟んだ。
「出来心っつーか。結果的にああなっちまったけど、おまえに迷惑かけようなんて、これっぽっちも思ってなかったんだからよ」
「どうだか」
「俺も……、あれ以上調子のってたら、取り返しの付かないことになるかもって、どっかで感じてた……。でも、自分じゃ、やめられなかった。そこにおまえが来てくれたんだ。すげー感謝してるぜ。まぁ、さすが俺の弟っつーか」
 ドイツはじっとこちらを見ていたが、やがて背を向けた。
「ならば反省するといい。罰の軽減はしないぞ」
「ヴェストぉ!!」
 ふとんの上から、ドイツの肩を掴む。
「俺、たった一日でわかったんだけどよ。やっぱおまえが潰した芋って美味いなーって……!」
「誰が潰したって同じだ」
「自分の作った飯なんてぜんぜん美味くねぇんだよぉ!!!」
 身を乗り出し、激しく肩を揺すった。
「頼む! 頼むからー! 飯当番だけは勘弁してくれよ!! あ、ヴェスト肩凝ってねぇ??」
 するとドイツは起き上がった。裸足のまま、プロイセンの横に立つ。足は肩幅に開かれ、手には何も持っていない。その眼光に只ならぬものを感じたが、プロイセンは怯まなかった。
「兄さん、肩を揉んでくれるのか」
「おう、そこ座れよ」
 ベッドを指さしたが、ドイツは一向に座る気配がない。
「兄さんこそ、家中掃除して疲れたんじゃないのか。座るといい」
「えっ、肩揉んでくれんのか?」
「いや、マッサージだ」
 そう言うドイツの表情は、いたって真面目だった。
「兄さんにはいつも、犬の世話を任せきりだしな。よくやってくれている」
 そんな風に言われたのは初めてだ。褒められると悪い気はしない。
「ったく、そのくらい気にすんじゃねーよ。今は俺がヴェストを労るっつー話をしてるんだろ? マッサージとか、おまえマジデキる弟だよな。まあ俺の弟なんだから仕方ねーけど」
「とにかく、座ってくれ」
「じゃあ俺が先に肩揉んでやっから、そのあとな」
「いや、俺だって兄さんには感謝しっぱなしなんだ。座ってくれ」
「そこまで言うかぁ〜? わかった、わかったよ」
 プロイセンは、気分よくベッドに腰掛けた。
「そこへ、うつ伏せで寝転んでくれ」
「お前のベッドなのに…、いいのか?」
 過去に数回激しい叱責を受けていたので、確認する。
「なに言ってるんだ、あたりまえだろう。兄弟なんだから」
 ドイツはいつのまにか笑顔になっていた。プロイセンは心の中でガッツポーズをする。このまま機嫌をとれば、夕食当番ぐらいは回避できるだろう。結局、意固地になっているうちは取り付く島もないが、コミニュケーションがとれるようになると、こっちのものである。
「おっし、これでいいか?」
 言われたとおり、うつ伏せに寝転がった。ドイツが腰の辺りにずしりと跨る。全体重が乗せられているような気がする。息苦しくて、口を開いた。
「ヴェスト、ちょっと重…」
「ではマッサージを開始する。関節の」
「ん? 関節……」


2012.01.31