人には言えない・続き7



イタリアはなかなか離れなかった。
両手がふさがっていたので、一度肘で銅を押したが、やめるつもりはないようだ。イタリアはピクルスで汚れていない左手を、太ももの上にのせた。
 習慣とはおそろしいもので、純粋にイタリアからのキスが嬉しかった。もう理屈ではないのだろう。
イタリアから伝わる体温や息遣いは、この状況が特殊なものであるということさえも忘れさせ、思考を奪う。いつもの1分だとか、5分だとか、そういった時間はゆうに超えていた。イタリアの言うとおり、ただ気持ちが良くてしかたがないのだ。しかしこれが仲良しの確認だというなら、どう考えてもやりすぎだ。
イタリアの唇は温かくて柔らかかった。
何かを求めるような口の動きは意外にもたどたどしいので、つい待ってしまう。やめなければと、頭の隅には冷静な自分がいる。それなのに体がどうしても、イタリアを拒否できない。むしろ、このままキスを続けていたいと思うのだ。右手にはめていたゴム手袋をぬいた。
イタリアの髪はさらさらしていて気持ちよく、キスに合わせてゆっくり耳の周りの髪を梳くと、犬を撫でているのと同じような気持ちになった。確かにこれは、スキンシップの一つなのかもしれない……。習慣的にこんなことをしていれば、愛着が湧いてとても喧嘩などできないだろう。
キスは続きいくらか時間が経ち、頭がぼんやりしてきた頃、イタリアはようやく顔を離し、胸板に顔を寄せて抱きついてきた。そのままイタリアの後頭部を撫で続けた。
 イタリアは目を閉じていた。長いまつげが時折震える。
「……ドイツ、怒らないの?」
「このくらいならな」
態度を改めるのだという決意、そして、イタリアの勝手も大らかな気持ちで受け止められる余裕を見せたかった。
「ドイツに股間見せたでしょ。あの日から俺、ちょっと変なんだ」
「へん、とは……」
「ドイツといると……。ドイツを見てるとさ、キスしたくなっちゃうんだよ。叱られるかもって思っても我慢できなくて……ドイツが優しいこというと、嬉しくてドキドキしちゃうし……いろいろハグとかしてほしいなって」
イタリアのこめかみにキスをした。まぶた、鼻筋を通って唇に軽く触れる。見つめ合っていた。
「ドイツ……」
「おまえを、温めてやるのが好きなんだ」
「ヴェ? ええ……?そうなの?」
「何故なんだろうな。よくわからないんだ……」
「わはー…… じゃあ俺が全裸で寝てたらなんかかけちゃうね。寒そうだもんね。俺、ドイツにブランケットかけてほしくて、最近裸で昼寝してたんだよー」
「バカ」
「言っちゃったー」
イタリアの顎をあげさせ、キスをする。
「バカもの……」
「でも、俺、えっちなこと……」
「は……」
「えっちなことだよ。ドイツと……。俺……そんなことも考えてるの。変だよね。ヴェヴェ……」
イタリアを抱きしめていた。つい背を撫でると、イタリアの体がわずかにピクンと震えた。そしてその頬は鮮やかに上気していた。衝動的に、抱きしめたまま背をまさぐって、薄いニットをめくり上げ、中に手を滑らせていた。
「ドイツ…?!」
イタリアの驚いた声に、はっと我に返った。手を引きぬき、イタリアの肩を押し離れた。
「……片付けるぞ、危ないだろう」
「……うん」
そして気づいた。ガラスを取り除いた後であるのに、なぜみじん切りのピクルスを1つずつ拾って片付けようとしているのか。先に古新聞か何かで寄せて、拭きとったほうが早い。イタリアを気にするあまり、考えがまわらなかったのだろうか……。自分でも驚いていた。
新聞紙を持ってきて手早く始末をしてから、手を洗い、交代でイタリアに洗うよう促した。そしてやることがなくなると、イタリアとのあいだになんとも気まずい空気が流れていた。イタリアの背を撫でた感触が、手のひらに生々しく残っている。
「コーヒーを入れよう」
とりあえずそう言って、電気ケトルに水を入れた。
「あっ、そうだ。じゃーん」
イタリアは食卓の上に置きっぱなしにしていた荷物から、ビニール袋を取り出した。
「なんだと思う?」
「なんだろうな……」
イタリアの持ち方からして、ガラスの耐熱容器だとわかった。
取り出すと、中身はミルク色のゼラチン質のものだった。
「パンナコッター!」
イタリアは作り付けの食器棚から皿を出し、大きなスプーンで盛り付け始めた。耐熱容器が入っていたのと同じ袋から、ミントの葉束を取り出し、ちぎって表面に添えた。
それを眺めていると、庭で収穫したラズベリーがあったことを思い出し、冷蔵庫から容器ごと取り出し、パンナコッタの皿の横にそっと置き、イタリアの隣に並んで盛りつけた。イタリアはこちらを見上げ、微笑んだ。
「さっきの、ちょっと言ってみただけだよ」
「そうか……」
その言葉にほっとし、鼓動もいつのまにか一定になり、冷静さを取り戻していた。
「股間を見せた日からといったな。もしかすると、お前は何か勘違いしてるんじゃないか?」
「ヴェ……」
「そんな部分を好んで見せる相手は、恋人くらいだろう。……だから、錯覚しているんじゃないか? 俺がそういった、相手だと」
「ならさ、股間見たいって気持ちも……、好きな人のじゃないと」
「そ……」
イタリアが指しているのは自分のことだと気づき、口を閉ざした。確かに股間を見たい相手というのは、そうそういるものでない。イタリアの股間を見たいと思った気持ちは、なんだったのだろう。ただ美しいものに目が惹きつけられるように、見ていたのだ。
「人体に興味が」
「ドイツ最初さー、よくわからないって言ってたよ?」
「そうだな……。実は、今もよくわからない。ずっと考えていたんだが、俺は長年……」
「長年?」
「長年、不思議に思っていたことがあった。お前が泊まりに来ると、何故だか寝付きがいい。目覚めも爽快だ」
「ヴェー! すごいね……!」
「別に、普段寝付きが悪くて困っているわけではない。そういうときは、日中めいいっぱい運動して汗を流せば、眠れるようになるとわかってる。ただ、そういう肉体的なものとは別の次元で寝付きがいいんだ」
「そっか。別って……どんな感じ? 難しいね」
そう問われて、自分の中で答えは見つかっていた。おそらく精神的なものだ。しかし本人を目の前にして、そのまま口にするのは躊躇われた。抽象的な表現を探していると、イタリアは言う。
「俺、ドイツが好きだし…」
テーブルについていた手の上に、イタリアは自らの手を重ねてきた。
「わからなくてもいいよ〜。たまにはキスしようよ」
キスの感触を、イタリアの吐息を……。胸に抱きしめた感触を、思い出していた。
「…………そうだな。たまには…いいか」
そう言うと、イタリアは一層口角を上げ、横から抱きついてくる。その時ちょうどケトルの湯が湧いたので、イタリアから逃げるようにして、ティーカップの戸棚を開いた。



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2013.02.22