雨の中で

 劇場から出ると、もう外は真っ暗だった。急いで空港へ向かわねばならないという婦人をタクシーまで送った後、フランスは酒が飲みたい気分で、どこへ行こうか思案しながらあてもなく歩く。空港まで送って行くよといっても、やんわりと拒否されてしまった。
 風は冷たかったし、次第に雨がぱらついてきて、自分もタクシーを使おうと思い直す。
 劇場近くのタクシー乗り場に、ほとんどのタクシーが集まっているから、結局そこまで戻った。
 その途中、向こうの大通りまで通り道になっている、広く細長い公園の前を通った。中央部には大きな彫像と噴水がある。
 いつもはカップルでいっぱいのベンチも、今日は寒さのためか、ほとんど人がいなかった。ぎりぎり見える範囲のベンチに、男が姿勢悪く座っていた。この時間からして、酔っぱらいか何かだろうと思っていたが、視界に入れた後、どうしても気になって立ち止まり、一歩戻って目を凝らした。めずらしくもない、金髪の白人男性だったが、知り合いのような気がした。
 見つめていると、フランスは口もとが緩む。
 歩道から公園に入り、そこへ一直線に歩く。ベンチ前まできて、ゆっくり立ち止まった。
「ボンソワー、げじまゆちゃん」
 イギリスは一瞬顔をあげ、訝しげにこちらを見たが、またすぐ俯いた。
「ここで何してんの?」
「知らねぇよ」
 それきり黙りこんだ。隣に座ろうとすると脛を蹴られたので、もう一度立ったまま声をかける。
「飲みに行かない?」
 反応はない。次第に雨は大粒になってくる。やや強引にイギリスの手首を掴んだ。
「ほら、行こうって。近くに行ってみたかったとこがあんのよね」
「離せよ」
 イギリスはひどい顔で睨みつけてきて、腕をはらった。
「ホテルどこ?」
「もううるせーなほっとけよ」
「濡れちまうぜ」
「うるせーって。……雨に打たれてたい気分なんだよ」
 そう言葉にして聴いたのは、もう何十年ぶりだろうか。古風な言い回しに笑いそうになるが、抑えてもう一度腕を引っ張る。今度はさっきより強く。
 さらに肩を抱いて無理やり立ち上がらせようとしたが、イギリスは子供のように抵抗して、挙句の果てに肘で殴ってくる。力はそこまで差があるわけではないし、やりあっていると疲れる。あまりムキになるのもみっともない。
「離せって」
「はあ、こんなときアメリカがいたらねー、おまえなんかひょいっと」
「あんなやつの話すんな!!」
 わざと名前を出すと、イギリスは不機嫌になり怒鳴った。
「またケンカしたの?」
 唇を噛んだまま、苦い顔をして黙っている。
「もう放っとけよ!」
 腕を振り払い、イギリスは再びベンチに座り、ポケットに手を突っ込んで俯いた。
 イギリスは、アメリカに対して過度な期待をしてしまうようだ。思ったような反応がなくて、それでいつも傷ついている。もっと力を抜けばいいのに、と傍から見思うが、なかなかうまくいかないらしい。
 こういう状態のイギリスを放っておくことはもちろんあるが、今夜は寒く雨が降っているし、良心が咎めた。
「イギリス、寂しい時なんて、誰にでもあるのよ。ほら、行こうぜ。寒いだろ」
 今度は隣に座れた。だがベンチは氷のように冷たい。
「寂しいなんて誰も言ってねーだろうが!!」
 耳元で怒鳴られ反対方向に仰け反る。
「わかったって…。でも、もうこれで何十回めだよ。いい加減大人になれって」
「はぁ?!」
「執着すんなって言ってんの。あっちがああなんだから、期待すんなよ。何があったか知らないけど、今頃、家でピザでも頼んでゲームしてんじゃないの、あいつ」
「……ムカつく……」
 イギリスはついに泣いてしまったようで、それ以降何を話しても、言い返して来なかった。
 ハンカチで鼻をかみだしたので、フランスは自分のハンカチを取り出し、イギリスの膝に置き立ち上がった。
「飲みに行くのが嫌だったら、うちにくるか?」
「行かねー」
「だってもうびっしょびしょだしい、このまま店になんて入れないじゃんかぁ」
「気持ち悪いんだよクソひげ」
 おどけた声を元に戻す。
「俺、都合のいい男でいいわけよ」
「……なにが」
「ふられた時に慰めて、暇な時に相手して。そういうの狙ってるわけ。だからこう上手いっていうか、人が寄ってくるっていうか? 弱ってる時には優しくされたいもんよ。もちろん俺だって。まぁ、それとは別に本気の時もあるんだけど……」
「何が言いたいんだよ」
「おまえのやりかたって、体当たりで疲れない?」
「……うるせぇ」
「もうつらいんだろ」
「どこもっ……、つらくねーよ」
 声は震えていた。
 再びイギリスの両腕を引っ張り上げる。今度はなんなく立ち上がったので、ほっとしたが、手を引いても動こうとしない。仕方無く後ろから強く腰を押す。
「ほら、なんか温かいもんつくってやるから」
「おまえって……暇だよな」
「まぁ、そーね。暇つぶしってより、趣味ってかんじだな」
 そう言いながらぐいぐい押していると、しぶしぶではあるが、ようやく自分の力で歩き始めた。
「不器用なやつって、なんでか嫌いになれないんだよね。お兄さん」
 イギリスは俯き黙っていた。だが、一拍おいて顔を上げる。
「それ、俺のことかよ」
「そう」
「安心しろよ、俺は大ッキライだからよ」
「だから嫌いじゃないって」
「嫌いだって言ってんだろ!!」
 涙をこぼしながら睨みつけてくる。ほんの少しのことで変れるような気がするのに、いつまでも昔の気持ちに固執するイギリスは哀れで滑稽で、だが同時に、魅力的でもあった。いくらアドバイスしても、どうも上手く伝わらずもどかしい。
 それから何度話しかけても睨み返されるだけだった。
 だらだらと歩くうち、雨はどしゃぶりになる。それでも、イギリスは歩調を早めたりしない。
 借りているアパートにつくと、部屋は階段で上がる四階だったので、イギリスは文句を言ったが結局ついてきた。二人共頭のてっぺんからつま先までびしょ濡れだ。シャワーを浴びた後、残り物の野菜でスープを作って渡すと、顰め面で泣きながら食べていた。それからすぐソファで寝て翌朝、部屋を出ていくときイギリスは、小さな声で、ありがとなと言った。

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2012.03.24