イタリアのことが、本当にわからない。
 こんな状態で長く友好関係が続いているのは、奇跡と言っても良かった。
 泣き出されると何を言っていいのかわからない。普段なら思い切り抱きしめてやるところだったが、言い合いをしたばかりで、手を伸ばす気になれなかった。
 ちょうどチェストの上にティッシュがあったので、渡そうと思いついたが、手に取るといつもの癖でイタリアの鼻にあててしまった。イタリアは素直にかんだ。ぐずぐずときりがなかったので様子を見てそれを捨て、チェストからハンカチを取り出した。
 しばらく手伝ってやって息が落ち着いた頃には、喧嘩がとてもくだらないことに思える。
 イタリアは、選べると言っていた。力はイタリアに勝っている自信はあるが、それだけのことで何が選べるのだろう。いつだって、茶化して終わらせようとするのはイタリアのほうだった。
「ドイツごめん」
「もういいから……。おまえ、明日顔がひどいぞ」
「うん」
 手を洗ってくると言い残し部屋を出た。階段を降り脱衣所に入ると、手早く、くすぶっていた最後の欲を処理した。ため息をついて手を洗い流す。
 イタリアの顔を拭く用と、躰の為にもう一枚、タオルを固く絞って持ち出した。キッチンに寄り、水を一杯飲むと、ドイツの心情は完全にいつも通りになった。
 こうなると、イタリアに自慰を見せろと言った事が本当に悔やまれる。頭に血が上っていたのだ。過ぎた事で、もうどうしようもないとわかっていたが、ドイツは少しのうなり声と共に自分の頬を叩いた。イタリアの前では、本当はもっと大人でいたい。
 コップにイタリアの分をそそいで、ペットボトルを冷蔵庫に戻した。
 部屋に戻ると、イタリアはベッドに腰掛けてまだ鼻をかんでいた。もうほとんど終わりのようで、目の周りが腫れぼったい事以外は、イタリアも平常に戻っていた。目が合うと少し微笑む。胸が痛かった。ナイトテーブルにコップを置くと、濡れタオルで顔を拭ってやる。
「……怒鳴って悪かったな」
「ううん」
「忘れる事にしよう」
「ドイツ、ごめんね」
 ドイツは返事の変わりに、無言で水を突き出した。


***
 隣で目を閉じているイタリアの顔を眺めていると、さっきのことが、まるで夢のように思われた。思いとどまって本当に良かったと思う。もちろん抱いてしまえという気持ちも強かったが、まだ告白もしておらず、正式にデートにも誘っていない。できることなら手順を踏みたかった。
 たまにイタリアのまぶたがひらき、確かめるようにドイツを見る。もう眠いようで、その間隔は次第に長くなっていった。ナイトテーブルに手を伸ばしランプのひもに触れる。
 ここのランプは、イタリアが去年の冬に壊したので、翌週、詫びにと持って来たものだった。出来るだけシンプルなものをと頼んだので、シェードはガラスでできた花形だ。琥珀色で、縁には一周ぐるっとツタ模様が描かれていた。
「消すぞ」
「うん」
 確か明後日は満月だ。カーテン越しの月明かりの為、部屋は真っ暗というほどではなかった。
「俺も気をつけるが…………そうだな、部屋に来るときは、来ると事前に言え」
 イタリアは返事をしなかった。さすがに表情まではわからない。眠そうにしていたとはいえ、もう寝たのかと、やや肩すかしをくらったような気分だった。
 ドイツは枕に頭を預け横向きになり、寝る姿勢を整えた。イタリアのことを考えていると眠れそうにないので、あえて反対側を向く。
「ねー、最初っから一緒に寝れば良くない?」
 イタリアの腕がするりと腹にまわって、心臓が飛び出そうになる。左肩、首の付け根にイタリアの顔のどこかが当たっている。
「いいよね? そうしよ……」
 胴を抱え直すようにもう一度腕が動くと、今度は背中にもイタリアの躰があたった。ドイツは寝たふりをしようか迷う。じっとしていると、イタリアはひるむことなく、肩と首の間に頭を滑り込ませてきた。
 擦り付けてくるのでくすぐったくなり、ドイツは、同じようなことをよくやるベルリッツのことを思い浮かべた。天気予報によると、明日は快晴だ。三匹とイタリアを連れて、どこか広い公園まで足を伸ばそう。気持ちが良さそうだ。
「ドイツー……約束だよ」
 柔らかい唇が耳に押し付けられる。囁き声が響いた。
「ねえやっぱり今度、俺にもドイツのやらせてね」
「イタリア」
 イタリアに向き直り、肘をついて上体を起こした。誘いに乗ったと思われたのか、思い切り首に抱きつかれる。少し躰がぐらついたが持ち直し、そっと腕を外した。
「イタリア、こんなことではダメだ」
「何が?」
「俺は男だぞ。まあ、だが……、男であっても、おまえのことは……ずいぶん、好きだが」
「うん……。俺も好きだからだよ?」
「恋人とか……、そういうのは考えていないのか」
「恋人!?」
 イタリアの驚きように、ドイツは怯んだ。失言だったかもしれないと冷や汗をかく。
「えっ、ドイツって……男でもいいの? あれ、だっていつか」
「場合による」
「場合……? えっと……」
「今のような場合だ」
「ムラムラしてる?」
「違う、おまえが迫ってきた場合だ。俺は……、嫌じゃない。おまえに限っては」
「うん……」
 イタリアにしてはめずらしく言葉を選んでいるようだった。たった数秒だったかもしれないが、ずいぶん長く感じられる。
「ドイツ……」
 イタリアは思考こそ読めないが、喜怒哀楽は隠さないのですぐわかる。名前を呼ばれて、声色だけでも感情がひしひしと伝わってくる。イタリアの額に手をあてた。そっと顔を近づけて、唇に触れる。
 こうして想いを伝え合ってもなお、イタリアが部屋に入って来た時、名前を口走っていなかったか、それだけは心配だった。夢中になっていて、ドアが開く音にすら気づかなかった。尋ねる勇気はない。早く新しい想い出を重ねて、記憶のすみまで追いやってしまいたい。心からそう思う。


おわり

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2011.04.01