足音とともに、ドアが開いた。
 イタリアが入って来たのだとわかったが、俺は黙々と目の前のケーキを切り分けることに専念する。こんなに顔を合わせるのが気恥ずかしいとは思わなかった。イタリアと眼が合ったら、どうにかなってしまいそうだ。
 現在午前八時過ぎ。
 様子を窺ったが、居間のロマーノは一向に起きる気配がなく、それは二階にいるスペインも同じだった。
「おっはよードイツ。何? すっごくいい匂い」
 イタリアは横に並んで身を乗り出した。シャツは羽織っていたものの、やはり他には何も身につけていない。
 眠りにつく前に、俺が丁寧に拭った太腿。すぐに感触を思い出せるそれが、右の窓から差し込む朝日に晒されていた。視線を手元に戻し、分けたケーキを深い皿に移した。
「そこの……籠のプラムが腐りそうだったから、全部使ったぞ」
「ふわ〜そうそう、豊作だって言って、スペイン兄ちゃん家からいっぱい貰ったんだ。ジャムにしようかなって悩んでたんだけど、ちょうど良かった」
「シャワーを浴びてこい」
「これ朝飯じゃないの?」
「ケーキとして作った。冷蔵庫に入れておくからな。朝飯はこれから作る」
「ねーねー味見」
 そう言って顔を突き出し、目を閉じたイタリアの頬を、退けと言わんばかりに軽く叩く。
「シャワーを」
「ドイツは?」
「もう済んだ」
「一緒に入りたかったなぁ」
「早く行け」
 肘で押しやるとイタリアは不満そうに漏らした。
「ねえ、どうしてこっち見ないの?」
 俺は硬直して唾を飲み込み、持っていたナイフを手前の皿の上に置く。やはりイタリアの顔を見る事ができなくて、手元をみつめたまま言った。
「その……体調はどうだ……?」
「なんともないよ。だるいけど。ドイツはー?」 
「俺のことはどうでもいいんだ」
 脇腹にしがみつかれ、顔を覗き込まれて動揺し、俺はついそっけなくしてしまった。
 何故この口は気のきかないことしか言えないのだろう。自分を苦々しく思って俯いた目の端に、イタリアのうなじが見える。襟元のタグを見て、俺は驚いた。
「おい、これは俺のじゃないか」
「あー、うん。前におまえんちで貸してもらって、そのまま着て帰って来ちゃったやつー……」
「どうりで一枚ないはずだ」
「ごめんごめん、ドイツのサイズだと、尻の下まで余裕で隠れるから便利で、使っちゃってた」
 ということはおよそ朝晩の、ベッドから出たときに羽織る用にしているのだろうか。それを思って俺は赤面してしまった。
「でもねぇ、なんか良いんだよ。ドイツが着てたのかーと思うと」
「何がだ」
「ほら、ドイツが着てたのかー……ってかんじ。あ、でも」
 イタリアは何か思い出したようで付け加えた。
「やっぱり本物が最高だよね。ドイツの手、温かくて気持ちよかった」
「借りたものくらい返せバカ」
 俺は思わず、皿の一番上に置いた一切れを、イタリアの口に詰め込んだ。
「ふぉいひい」
「それは良かった。早くシャワーを浴びてこい」
 もう一度強く言う。
「ドイツにさー、洗ってほしいな」
「俺はこれから朝飯を作ると言っている」
 それから延々と甘えるように頭をすりつけられ、俺はもうどうにもできなかった。
 いつものように怒鳴ることができない。惚れた弱みとはよく言ったものだ。ため息をつき、ようやくイタリアの顔をしっかりと見た。本物は、記憶の何倍も美しい。
「愛してるから……、一人で入ってこい。一緒に行ったら、おれはまたお前を抱いてしまう」
 イタリアは驚いたようで、少し体を遠ざけた。俺の目をじっと見つめた後、もう一度抱きついてから言う。
「……それでいいんじゃないかなぁ」

                    2010.10.15


END


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